第三章『お見舞い』
その三十分後。
まるで婚活パーティーにでも行くような、清純なドレスを身に纏った佐藤明美が、まるで誰かを詰めているかのようなバカでかいスーツケースを持って、堂々咲邸の門をくぐったとき、門番のおじさんが笑いながら話しかけてきた。
「よお、明美ちゃん! 元気かい?」
「ぎくっ!」
元気です。と返せばいいところを、変な声が洩れる。それでも何とか平静を装って、門番に微笑みかけた。
「え、ええ。今日は休みなので」
「そうかい」門番の目が、明美の手元を見た。「なんだい? そのでかいスーツケースは」
「ぎくっ!」
肩が跳ねる。それでも、震えた声で頷く。
「ええまあ、ちょっと、用事があって」
「あら、ひょっとして、男を連れ込むために使うんじゃないだろうね」
「ぎくー!」
二つの意味で心臓が跳ねあがった。
「べ、別に、良い男がいたら、ちょっとチョメチョメしてやろうとは思っていましたが、も、持ち帰るだなんて、そんなふしだらなことは考えていませんでしたし、お嬢様を連れ出そうとも考えていませんでしたし!」
「な、なんだよお、冗談じゃないか」
顔を真っ赤にして言う明美に、門番のおじさんはたじろぎながらも、彼女が出て行くのを許可した。
「まあ、楽しみなよ」
「え、ええ」
スーツケースを引いて、恐る恐る門の下をくぐった。この瞬間、この数年、天音が何度も計画しては頓挫するのを繰り返していた、「堂々咲邸脱出作戦」が実を結んだのだった。
門番から見えないよう、塀沿いに歩いて角を曲がった明美は、その場でスーツケースを開けた。中からは、顔を真っ赤にした天音が飛び出す。
「ぷはっ! 息苦しい」
外の新鮮な空気を吸い込んで、息を整えた後、いたずらっ子のような悪い笑顔を浮かべ、明美に親指を立てた。
「やったね! 大成功!」
「よろこぶのはまだ早いですよ、お嬢様」
きりっとした声で言った明美は、スーツケースの端に入れておいたホワイトブリムを取り出し、頭に装着した。
「え、あんた、それメイド服の時にやる奴だよね?」
「これがないと落ち着きませんので」
そうして、完全に仕事モードになった彼女は、天音に深々と頭を下げた。
「ここから五〇〇メートル先にある駅に向かいます。下車先にタクシーを手配しております。はしゃぎたい気持ちはわかりますが、静かに行動していきましょう」
「いや、ちょっと待ってよ」手際の良いメイドに、天音はたじろいだ。「外に出てまでもお嬢様扱いしてほしくないんだけど。それに、佐藤は非番でしょう? だったら、私のことなんて構わないで、好きなところに行きなさいよ」
「そういうわけにもいきません。旦那様の言いつけを破って、お嬢様を外に連れ出した身。必ず、お嬢様を無事に家に帰します」
それに…と言って、明美は目を細めた。
「お嬢様、電車の乗り方わかるのですか?」
「失礼ね! 知ってるもん! 運転手にクレジットカード見せれば一発だわ!」
「はいはい、行きましょうね」
お嬢様が問題行動を起こしかねないと判断した明美は、すかさず彼女の手を取り、歩き始めた。当然、天音は抵抗した。
「もう! 私一人で十分だってば! 無理なら、じいやのリムジンを呼ぶし…」
そう言いかけて、あることに気づいた天音は、抵抗する力を緩めた。
「って…、あんた、なんで電車とタクシー手配してるの? 私の行きたい場所、わかってるの?」
「え…」
明美は意外そうな顔をして、首だけで振り返った。
「行きたい場所って、お母さまの病院じゃないのですか?」
「え…」虚を突かれた天音は口をだらしなく開け、間抜けな声を洩らした。「…そ、そうだけど」
「そうじゃないですか。ほら、行きますよ」
明美はにこっと笑い、また彼女の手を引く。
「私も地図で見たきりなので、現地がどうなっているのかはわからないのですが、まあ『堂々咲』なんて名前滅多にありませんからね、きっと、受付に言えばすぐに通してくれますよ」
それに…と言って続ける。
「手ぶらでお見舞いになんていけません。道中、美味しいものでも食べながら、お母さまの喜ぶものを買いましょう!」
「…うん」
自分の心を読まれていたのが、なんだか恥ずかしくて、嬉しくて、天音は頬を赤らめながら頷いた。
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