その③

 渋るメイドに痺れを切らした天音は、「ああ! もう!」と声を荒げると、スーツケースの中から手足を伸ばし、パンツが見えるのもお構いなしで駄々をこねた。

「連れてって! 連れてって! 私も外に連れてって!」

「勘弁してください…」

 そう言いつつ、壁に掛けられた時計を見る佐藤明美。

 そろそろ電車に乗らないと、婚活パーティーに間に合わない。

 かといって、駄々をこねる天音をこのままにしておくのも気が引けた。

 佐藤明美がこの屋敷にメイドとしてやってきたのが二年前。金持ちの住む屋敷で他の従者と暮らし、あわよくば男の召使と恋に落ちて玉の輿…なんて甘いことを考えていたが、彼女を待ち構えていたのは、当主のセクハラと、その子供のおもり。多忙な日々で精神は摩耗するばかりだ。それでも、その苦しみに勝り、天音との日々は幸せなものだった。

 新入りで、右も左もわからない佐藤明美に、天音は優しく接してくれた。無理難題を押し付けられることも多々あったが、彼女のその奔放さは、気まぐれな猫を相手にしているような気にさせてくれる。

 当主の昭三の「天音を外に出すな」という命令は絶対だったが、だからと言って、彼女の願いを突っぱねることはできなかった。

「お嬢様…、お嬢様の願いはわかります」

 その言葉に、天音は暴れるのを辞めた。

「ですが、やはり、旦那様のご命令なので、従うわけにはいきません」

「そんなあ…」

「また私からも、旦那様に掛け合ってみますので、今日は、今日だけは、諦めてください」

 今日は、婚活パーティーがあるんです。

 わがままお嬢様が分かってくれるよう、深々と頭を下げる。

 天音は何も言わない。佐藤明美の部屋はしんと静まり返る。

「わかっていただけましたか?」

 そう言って顔を上げる…。そして、仰天した。

「ちょっと! お嬢様! 何やってるんですか!」

 ベッドの上に天音の姿は無く、彼女は何処からともなく取り出したロープを固定机の足に巻き付け、もう片方を開いた窓の向こうへと垂らしていた。

 しっかりとロープが固定されていることを確かめた彼女は、そのまま窓枠に足を掛ける。

「何って、ここから脱出するのよ」

「やめてください。ほんと辞めてください! ってか、庭に出たところで、門番が居ますから!」

「いいじゃないのさ。大事なのは結果よ。『窓から飛び降りるくらい外に出たかった』ってお父様に思わせたら、きっと外出許可が出るはずだわ」

「やめてください! 私の部屋から飛び降りたら、私の首が…」

「大丈夫よ、首の一つや二つ」

「一つしかないっつってんだろーが! このわがままお嬢様!」

 そう、完全に口汚くなり切れない声で言った佐藤明美は、床を蹴って、天音に飛びついた。彼女を抱きしめ、こちら側に引き戻す。

「わかりましたよ! わかりました! あなたを外に連れ出しますって!」

 その言葉に、天音の目が夜空の一等星よりも輝いた。

「ほんと?」

「ええ、ほんとうですとも」

 今日の婚活パーティーは諦めよう。

「私が生涯独身なら、恨みますからね…、お嬢様」

「え? どゆこと?」

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