その④

「君はさっきから何を言っているんだ」

 せっかく、キメラ製造機が完成したというのに、なかなか話が進まず、悶々とし始める二人。

 業を煮やした助手は、眼鏡を外し、ブラウスのボタンを二つ外した。

「博士が頼りないことがわかりましたので、もう私がヒグマを捕まえてきます。一応、猟銃免許は取っているので、大事には至らないと思いますが…」

「お前さん、猟銃免許を持っているのかね。初耳だな」

「言っていませんでしたからね。撃ち殺したい人がいましたから」

「え…ヒト?」

 その時だった。

 会話をする二人の背後から、ガシャーン! と何かが破損する音が響き渡った。

 二人は反射的に振り返る。

「え…」

 見ると、研究資料を収納しているガラス棚に、何やら白い毛の塊が突っ込んでいた。

 その毛の塊の正体が何であるか…? どうしてそんなものがこの研究室にあるのか? 理解するよりも、思考するよりも先に、研究資料の破損を危惧した博士は、慌てて走り出していた。

「こ、こら! 貴様! 何をやっている!」

 その怒鳴り声に驚いてか、毛の塊がびくっと震え、棚から離れ、博士の方を振り返った。

 破損したガラスに首を突っ込み、そこにあった研究資料を貪っていた生き物…。

それは、山羊だった。

「や、山羊?」

 島田博士の声が裏返る。

 近くで見ると、泥棒草やら落ち葉やらが貼り付いて、意外に汚い身なりをした山羊は、研究資料をムシャムシャと齧り、飲み込んでから、「メヘエエエ…」と鳴く。

 その声を聞いた瞬間、島田博士は現実に引き戻され、顔を赤くして怒鳴った。

「き、樹様! 今、何を食った!」

「メヘエエエ!」

「研究資料だぞ! わしの十年の研究の結晶だぞ!」

「いえ…、六年と十か月ですよ。構想は十二年ですが」

 博士の横に走り込んできた助手が冷静に突っ込んだ。

「どうやら、野生の山羊のようですね。この近くは山だらけだから、迷い込んだのでしょう…」

 ギロッ! と、横の博士を睨む。

「というか、研究室の扉を閉めなかったのですか? 基礎中の基礎じゃないですか」

「ええい! 過ぎてしまったことは仕方ない! それをどうにかするのが助手の務めだろう!」

 自分の失敗を棚に上げて、島田博士は山羊の方を指した。

「さあ! さっさとやっちまってくれ!」

「はいはい」

 助手は何処からともなく取り出した猟銃を構えると、慣れた手つきで弾を込めた。

「せっかくなので、この山羊を実験に使いましょう。早速撃ち殺します」

「一応言っておくが、『あ! 手元が狂った!』って言って、ワシを撃つのはなしだぞ?」

「ちっ」

 助手は舌打ちをすると、猟銃の照準を、のんきに資料を食っている山羊の脳天に向けた。

 よく狙いを定め…、引き金を引く…、寸前でやめた。

「待ってください」

「あ? 何をしている、さっさと撃ち殺さないか!」

「すみません、緊急事態です…」

 助手はそう言った助手は、頬に冷汗を浮かべながら山羊の方を指した。

「あの山羊…、何かを背負っている」

「うん?」

 そう言われて、島田博士は改めて山羊を見た。

 そして、驚愕する。

 もふもふに逆立った白い毛。その中に埋もれるようにして、人間の男の子…、しかも、まだ一歳…いや、生まれて間もない子どもが背負われていたのだ。

「あ…!」

 山羊は「メヘエエエ!」と鳴くと、背に負った子供を差し出すように身を屈めた。

 潤んだ瞳が二人を見る。

 まるで、「この子供を助けてくれ」と言っているようだった。

「博士…、これは」

「うん、これは、実に面白い…」

 博士は感慨深く頷くと、山羊の方へと歩み寄った。

 人間が近づいてきても、その山羊は抵抗することはなかった。

 山羊が背負った子どもを、博士が抱きかかえる。子どもは衰弱していて、泣かなかった。

「助手よ」

「はい、博士…」

 二人は決意した目で見つめ合う。

「この子供を、実験体に使おう」

「いや鬼か?」

 助手は博士から赤子を取り上げた。

「あんたの倫理感どうなっているんですか? 早く親の元に…」

「ええい! うるさい! 八年の研究の末に手に入れた神からの贈り物だぞ! ここで逃すわけにはいかん!」

「だから! 十二年だっつーの!」

 とにかく、赤子をキメラの実験に使うわけにはいかなかった助手は、赤子を抱きかかえたまま島田博士から距離をとろうとした。

 その瞬間、島田博士が、ポケットから注射器を取り出し、慣れた手つきで投擲した。

 空を裂いて飛んできた注射器が、助手の首に突き刺さる。

「うっ…」

 痛みは一瞬。意識が混濁する。

 立っていられなくてその場にしゃがみ込むと、震える目で博士を見上げた。

「は、博士、なにを…」

「ふむ…、君にはしばらく有休を与えよう」

 博士は勝ち誇った声で言うと、助手から赤子を取り上げた。

 次の瞬間、助手は意識を失った。

 こうして、二〇〇一年一月十日。

 一人の、キメラ人間が生まれたのだった。

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