その②

「ああ、島田博士、お戻りですか」

 腰まではある艶やかな黒髪。目はきりりと細く、掛けた眼鏡からは知的な印象が漂ってくる。身長は一八〇センチほどと高く、白衣の上からでもメリハリのある体型だとわかった。

 杖を突きつつ歩いてきた老人に、研究員かつ助手の女は一礼した。

「機械の整備はできています」

「うむ、ご苦労」

 島田博士…と呼ばれた老人は、優しそうな見た目には反して、どすの利いた声で頷くと、着ていたジャケットの胸ポケットから眼鏡を取り出し、掛けた。

「どのくらい進んだのかね?」

「マウスを使った実験を済ませ、安全確認もできております。お心の準備ができているなら、今すぐにでも使用可能です」

「ほお、そこまでできたのか!」

 部下の手際の良さに、感嘆の声を洩らす島田博士。

「素晴らしいじゃないか」

「…はい、博士が、くだ…じゃなくて、素晴らしいフルーツパフェを作っている間に」

「いま、くだらないって言おうとした?」

「くだものパフェって言おうとしたんです」

「なんかかわいい響きだね」

「ええ、とてもかわいい響きです。くだらないパフェ」

「え?」

 まあ、部下の本心は聞かなかったことにして、島田博士はさっき掛けたばかりの眼鏡を外すと、ぽろり…と涙をこぼした。

「…そうか、そうか、やっと完成したのか」

「…そうですね、長い道のりでした」

「実に十年、私はこの機械を作るために、人生を捧げてきたのか…」

「いえ、六年ですね」

「………」

 研究室に静寂が訪れる。

「この研究を実際に始めたのが、六年前です」

「四捨五入をしたら…」

「いえ、六年と十か月なので、四捨五入したら約七年です」

「構想したのは十年前だから」

「いえ…、博士が構想して、それをノートに書き記したのは十二年前です」

「十二年前? 勝った!」

 まるで、家にあるテレビの数を競う子どもように喜んだ島田博士は、折れ曲がっていたはずの腰を大きくのけぞらせた。

 助手の女は、「自分がこの研究を思いついた年を正確に覚えていないなんて…」と、先行きが不安そうな顔をした。

「とにかく、博士のくだらない研究が実を結んだのです。最後の実験を終わらせましょう」

「そうだな!」

 もう「くだらない」の部分には触れず、島田博士は強く胸を張った。そして、目の前にある、この巨大な機械の説明を始めた。

「この機械は、Aの保護瓶に入れた生物から、任意の遺伝子情報を抜き取り、それをBに入れた生物に遺伝子に組み込むための機械! Aの生物の遺伝子を組み込まれたBの生物は、Aの生物の能力を有することができるのだ! 言うなれば! 『キメラ製造機』!」

 そう、張りのある声で言い切る。

 助手の女は白けたように眼鏡を押し上げた。

「博士、私は六年…じゃなく、四捨五入して十年間、あなたの研究に協力をしてきました」

「十二年だぞ?」

「うるせえな、このジジイ…」そう暴言を吐きながらも続ける。「この機械の目的も性能も、私は完璧に理解しているのに、どうして、今更、馬鹿でかい声で説明する必要があるのですか?」

「いや、そりゃあ、この機械の能力が分かっていない人もいるだろ」

「何処にいるんです? そんな神さまみたいな存在は」

 と、かなり危ない発言をした助手は、咳ばらいをしたのちに、機械の方を向き直った。

「とにかく、この機械はキメラ製造機。博士がいない間に、ネズミで実験しましたが、見事成功しています。蜘蛛の遺伝子を組み込まれたネズミは、肛門から白い糸を噴出するようになりました。強度も成分も、蜘蛛の糸と遜色はありません」

「ご苦労」

 部下の手際の良さを褒めた博士は、悪意に満ち溢れた笑みを浮かべた。

「…となると、後は、人間で実験するだけか」

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