第二十三話 前例無き事例の裏側

 依頼を受けてから数日間、あずまみずぬまを監視し続けた。

 水沼はバー「トゥルー・エビス」で飲むこともあれば、武蔵金山跡自然公園をぶらぶらと歩いているときもあった。

 東はその様子を細かくまつに報告した。茉莉はとにかく、ゆうがほかの女と会っていないということに安心していた。

 しかし、それは東が裕基の進展についてまで説明していなかったからであろう。


 水沼祐樹を警視監・刑事部部長に昇進させる。裕基曰くその様な動きが上層部のほうであるようなのだ。上層部といっても、裕基より偉いのは警視庁内には警視正・警視監・警視総監くらいしかいないのだが。主にその様な動きがあるのはけいさつちょうではないかと、東はにらんでいる。

 何よりも東は、裕基がこのような異例な待遇を受けることに違和感を覚えていた。

 裕基はノンキャリア(非国家公務員)である。どうあがけど警視監にはなれない。ノンキャリアでの最高位は警視正までであるからだ。それなのに裕基を警視監にしようということは、何か異常な圧力が警視庁やどこかにかかっているのではないか、というのが東の考えだ。

 真相を探るため、六月十四日、東は警察庁へと忍び込んだ。

 心配することなかれ、過去に検察庁に乗り込んだ時(第十九話参照)のような無茶はしない。

 まず警察庁で働いている清掃員の一人に二十万ほど渡し、制服と道具を借り受けて変装する。

 後はその清掃員がやるべきだった仕事をやり続けるのみ。そこにいるのは誰がどう見ても東敏行ではなく、誰にも名前を覚えてもらえないただの清掃員である。

 しかし、中身はやはり東敏行であるので、他人の目を盗んで上層部の管理する書類を確認したり、警視庁や警察庁のデータベースにアクセスしたりした。

 水沼裕基の名前が書かれている文書はすべて確認した。だが、特に怪しい文言は確認されない。

 (やはり書類や電子データには確認されないか……だとするなら、直接的な会話か?)

 そう考えた東は、翌六月十五日未明、会議室や廊下などにICレコーダーを設置、何かヒントになりそうな会話を収集することにした。



 そして二日後、梅雨も中休みに差し掛かってきたころ……


 六月十七日、午前九時二十五分、東探偵事務所。

 「はぁ……東さん昨夜ゆうべも帰ってこなかったし、電話しても出ないし……あの人は『他人に任せる』っていう能力については完全に欠如してるなぁ……」

と、香菜がぼやいた。

 いや、任せることができないわけではない。彼がすべて自分でできると思っているから任せないのだ。現にラッキーセブンの事件では香菜をモニカの影武者として運用している(第十四話参照)。さらに言えば、東が不在の時に依頼された仕事は香菜がこなしている。

 とはいえ、東のほうが肉体的負担が大きいことは間違いない。香菜は東さんが帰ったら説教しなきゃと思いながら他の仕事に取り掛かる。

 その時、

「香菜さん!! 香菜さん!! やったっすよ!!」

東が事務所内に飛び込んできた。髪は荒れ、目の下にはクマができている。ハイテンションなのは寝てないせいだろう。

 「みっちゃんの昇進の裏側がわかったっすよ!!!」

と、香菜の肩をつかんで前後に揺さぶる。

 「わかりました! わかりましたから、落ち着いてください!!」

 香菜が何とか荒ぶる東をなだめ、とりあえずみっちゃんの昇進の裏側とやらを聞くことにした。

 「これ、昨晩警察庁内の会議室で撮られた音声なんすけど」

と、東がイヤホンの片側を香菜に渡す。

 香菜はそれを装着し、音声に耳を傾けた。

 音声は以下のとおりである。

 『本気か? 奴の昇進人事』

 『ああ、本気さ』

 男二人の会話のようだ。

 『じゃあ、なぜそんなことを……奴が憎いんじゃないのか?』

 『ああ、憎いさ。だからあの決定はだ』

 『撒き餌?』

 『刑事部部長になれば、流石の水沼祐樹も本庁に戻らざるを得ない。そのほうがだろう?』

 『なるほど、でもどうやって?』

 『そうだな……おっと、そろそろ見回りが来る。また別の機会に』

 『そうか、場所はまたここか?』

 『ああ。じゃあな、誰かにばれるなよ』


 「……聞いたっすか? 香菜さん」

 「ええ……確かに、水沼さんを殺すって!」

 二人は顔を見合わせ、互いに冷や汗をかいていた。

 「本気……ですかね?」

 「あの声は本気っすよ。問題はなぜみっちゃんを憎んでて、どのように殺すかってことっすが……」

 「次に『話し合い』が行われるとしたら、それは今夜ですか?」

 「どうっすかね……なんてったって警察庁の人間である以上、責任とか仕事とかたくさんあるタイプの人間じゃないかと思うんすよね。次の『話し合い』がいつになるやら……」

 次にどのような手段を打てばよいかわからず、黙り込んでしまう二人。

 数十秒後、先に口を開いたのは香菜だった。

 「とにかく、今夜もレコーダーを設置してみるしかありませんね、東さん?」

 彼女が東を見たとき、ようやく香菜は気づいた。

 「……あれ、東さん?」

 いつのまにか、東はソファに座ってはいなかった。その恰好は完全に「寝転んでいる」というに相応しかった。

 「寝ちゃってる……」

 東がいきなり眠りだしたので多少の困惑もあったものの、すぐにブランケットを用意する香菜。

 「そうだよね……東さん、ここ数日ちゃんと寝てないもんね」

 香菜の姿が、遊び疲れて寝てしまった子供にやさしく毛布を掛ける母親に重なる。


 この後、東は十時間眠り続け、次に東が光を確認したのは二十時過ぎであった。

 「う……ん、もう朝か……?」

 眠たい目をこすりながら体を起こす東。そのままスマホを確認し、現時刻が朝と呼ぶにはあまりにも常識外れであることに気づいた。

 「やっべ!! 完っ全に寝過ごした!!! 仕事仕事……!!」

慌てて鞄をつかむ東。しかし

「あれ? 軽い?」

今までにない重量感のなさに違和感を感じる。

 恐る恐る鞄を確認すると、そこにあったはずの清掃作業用の作業服が消滅していた。

 「はぁ!? 作業服は!!?」

 珍しく東の冷や汗が止まらず、鞄を逆さにして中身を振り落とそうとしている。すると、一枚のメモがひらひらと表れた。

 東がそれを取って確認する。

 『東さんへ、揺り動かしても起きないので今日は私が代わりにお仕事やってきます。明日の朝には帰ります。香菜』

 「え……香菜さん勝手に行ったの!!? 馬鹿なの!!?」

 すぐに香菜を連れ戻そうと思い立ったが、

「まあ、たまにはいいか……これも経験だよな」

と、いきなり落ち着き、夕飯の支度をするべく三階へ上がって行った。



 翌朝十時を過ぎても、ももやま香菜は帰ってこなかった。



 『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません……』

 「おいおいやばいよ、完全に行方不明だよ……」

 何度も着信を入れながら事務所内をうろうろする東。その表情には焦りと香菜を心配する思いが見て取れた。

 「どうしよ……俺も行こうかな」

 その時、東のスマホに着信が入る。

 非通知であった。

 一瞬迷うが、意を決して電話に出る。

 「もしもし?」

 『東敏行だな』

 レコーダーで聞いた通りの音声だった。

 「……そうっすが」

 『君の助手をこちら側で預かっている。桃山さん、だったかな?』

 「……!!」

 東の左手に今までにないほどの握力が働いた。

 「香菜さんをどうするっていうんすか?」

 『良いか、君はおそらく我々のを知っている。そうだろう?』

 「さあ、何のことやら」

 『とぼけるな。君の助手がICレコーダーを持っていた。やれやれ、我々も不覚を取ったよ。全部録音されていたのだからな』

 「……それで、僕に何をしろと?」

 『今日の二十三時、日比谷公園大音楽堂に水沼裕基と二人で来い。持ち物は現金が五億円と、水沼に拳銃を持ってくるように伝えろ』

 「はぁ!? 何言ってんすか、あんたらの目的はみっちゃんを殺すことっしょ!? なぜみっちゃんを連れてこなきゃならないっすか!!?」

 『つべこべ言うな! できなければ憂さ晴らしに助手を殺すだけだ。最も、君が水沼を連れてこれば予定通り水沼を殺すがな!』

 「このっ……下種野郎……!!」

 『なんとでも言い給へ。我々の目的はあくまでも水沼の殺害だ。それさえ叶えば君の助手も解放してあげよう』

 「待て!! 香菜さんは無事なんすか!!?」

 『君自身の目で確かめることだな』

 男はそう言い残し、電話は切れた。

 東の左手から血液が伝った。


 東は今までにない怒りにあふれていた。

 相手は香菜か裕基、どちらか一人を見捨てさせるつもりである。

 もちろん、東が人命を見捨てるような選択をするはずがない。

 東は鞄にエアガンとカプサイシン弾を詰め込み、タクティカルペンをポケットに入れて、東探偵事務所を飛び出した。

 行く先は、武蔵金山跡自然公園である。



 『もしもしみっちゃん? 今すぐ出て来れるっすか?』

 「なんだ? 今よしとマリオカートやってるんだが」

 『そうっすか。じゃあ義人君に後で謝っとくんで、直ちに来てもらうっすよ』

 「おい待て、東」プツッ、プー、プー、プー

 「……」

 「どうしたの、お父さん?」

 すぐ隣にいた義人が問いかける。

 「……すまんな、父さん、今から仕事だ」

 裕基は素直に着替え始めた。東が急に裕基を呼び出すのは別に初めてではない。

 「えー! またお仕事!?」

 子供心に父親と遊んでいたい義人はもちろん不満である。

 「裕基さん、今日はどうしたんですか?」

と、未だに裕基に対し浮気を疑っている茉莉が問いかける。

 「まあ……俺もいろいろあるんだ」

 裕基はすぐに出発した。

 自然公園までは徒歩圏内である。十分ほどで黄色いジャージの男が見えた。

 「やあ、東」

 「みっちゃん。すまないっすね休日に」

 「全くだ。いったいどんな用件で」

と言いかけたところで、裕基は東の異変にようやく気付いた。

 「……東、何があった?」

 裕基もすぐに仕事モードに入った。



第二十四話 日比谷公園の決闘 に続く

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