第十九話 札束で殴るべし

 「何ですって!? あずまが東京地方検察庁へ向かった!!?」

 みずぬまゆうがその話をすぎもと聞いたのは、東が出発してからすぐだった。

 「あのバカまさか……暴力沙汰でも起こす気か!?」

 「どうしようか……とにかく僕らも向かうかい?」

と、杉本が出ていこうとしたとき

「待ってください!」

水沼が杉本の腕をつかんだ。

 「東を追いかけるのは危険です!!」

と水沼が言えば

 「検察なんかにやりたい放題されてもいいのかい!?」

と杉本も言い返す。しかしここで水沼が発した台詞が、この話を聞いていた周囲を含めて大混乱を起こすことになる。

 「違います!! やりたい放題しているのはあの『無産党』ですよ!!!」

 「……はぁ?」

 杉本がその台詞を理解するのに時間がかかっていると、さらに水沼がダメ押しに

 「無産党が検察に圧力をかけて、だから検察がこん容疑者の身柄を送致しろって言ってきたんですよ!!」

 「なんだって!! それは本当かい!?」

 それを聞いていた周りの警官及び警察職員は動揺した。そして神の悪戯か、その中にはたまたま取材に来ていた東邦新聞の記者がいたのである。

 「その話、詳しく聞かせてもらえませんか?」



 水沼は東とは別ルートで、この事件の真相を突き止めていたのだ。

 今野容疑者に痴漢されたという自称被害者しんどうあゆは、実は無産党の党員だったのである。さらに前日香菜が目撃した無産党の幹部(第十七話参照)、奴はあろうことか新藤の母親の不倫相手なのだ。

 つまり、事件の真相はこうだ。

 事件当日、新藤歩美は弱者男性を嫌悪する感情を抱きながら通勤ラッシュの電車に乗っていた。

 その時、たまたま今野を発見した新藤の感情は以下の通りである。

 (何よあれ!! この世にあんな気持ち悪い生物がいるの!!? 朝から最悪の気分ね!!)

 そして彼女は思い立った。やつを痴漢に仕立て上げよう。そうすればあの生きてるだけで有害なクソ男を社会的に抹殺したヒーローになれる上に、示談金をせしめることができると。そうしてまんまと今野を陥れ、さらに警察内での反対勢力を無産党の力で押さえつけたことで逮捕に至らせたのだ。

 検察や刑事課の動きが怪しいと感じた水沼は、新藤のことを独自に調べており、さらに今野の弁護人であるささしまたけしにも接触していたのだ。東とは違い無償で。



 一方、杉本の言葉で確信した東は、区にある東京地方検察庁まで来ていた。

 怒りに任せて正門から無理やり入ろうとすると、

「あ、勝手に入ったら駄目です!」

と、もちろん守衛に拒まれる。

 しかし東が百万円ほど渡し、

「どうしても検事正に用事があるんすよ」

といえば

「……どうぞお通りください」

と、あっけなく入庁許可証を渡した。

 そのまま東はまっすぐに検事正のいる部屋に向かい、道中でも賄賂として500万ほど消費し、ノックもせずに扉を開けた。

 「おっす、検事正さん」

 「だ、誰だね君は!!」

 招かれざる客に恐怖し、席から立ち上がる検事正。

 「もうご存じだとは思うっすけど、一応自己紹介させてもらうっす。黄金の街に生を受け、金と引き換えに正義を執行する金持ち御用達のキャッシュヒーロー。人呼んで『関東一の名探偵』、皆さんお待ちかねの東としゆきっす」

と、感情のこもってない声で言う東。

 「東敏行だと!? 誰が貴様なんか待つか!!!」

 検事正が顔を真っ赤にして内線の受話器を取ろうとしたその時、

「あ、勝手な行動はお控え願うっす」

東がものすごい握力で検事正の右腕を掴んでいた。

 「ちなみに助けを呼んでも無駄っすよ? ある程度の要人はさっき買収してきたっす。ところで……」

と、東が取り出したのは新藤と腕を組む無産党幹部の顔写真。

 「この男がここに来ていたっすね?」

 「し、知らん!」

 右腕を掴まれ、悶絶しながらも叫ぶ検事正。

 「駄目っすよね? 司法試験に合格して、苦労して検察官になったあんたが、たかが一政党の幹部の言いなりになんかなって」

 「無産党の幹部など知らん!!」

 「フーン……」

 東は右腕を離すと、検事正を椅子に座らせてこう言った。


 「僕がいつ、この男がの幹部って言ったんすか?」

 「……あ」

 自分が墓穴を掘ったことに今更気づき、冷や汗をかく検事正。

 東は笑みを浮かべた。

 「じゃ、話し合いましょっか」



 言うまでもないことだが、「話し合い」は終始東のペースで進んだ。

 「それで、そいつからいくらもらったんすか?」

 「300万円だ……従わなければ左遷させるとも言われた」

 「事件を担当している検察官は?」

 「今から呼ぶ……」

と、先ほど取ろうとして阻止された受話器を取り直す。

 「もしもし私だが、例の痴漢事件の担当の……ああ、今すぐ来るように言ってくれ」

 二分後、その検察官が来た。

 「あんたはいくらもらったんすか?」

 「300万円です」

 「なるほど……どっちも300万なら」

 東はカバンから次々に札束を取り出した。一束積まれていくごとに二人の顔が青くなっていくのがわかる。

 「はい! 二人にそれぞれ600万用意したっす」

 「……それで、我々にどうしろと?」

 「そーんなに疑わないでくださいっすよ! ただちょっとこの誓約書にサインしてもらうだけっす!」

と、東はその紙を二人に見せた。

 内容は以下のとおりである。


 ・現在東京拘置所に留置されている今野容疑者を不起訴処分とすること

 ・二人に賄賂を渡した無産党幹部議員を逮捕するように、東京地検特捜部に圧力をかけること

 ・今後新藤歩美及び無産党幹部議員が身柄送致された場合、必ず起訴すること

 ・今日の件を口外しないこと


 「わかってるっすね? 今日、今すぐにでも不起訴処分を出してもらうっすよ? 万が一にも『起訴猶予』なんて書いたらメディアを買収してあることないこと発信させるっすよ?」

 「わかっている……直ちに不起訴処分告知書を製作しよう」

と、二人はおとなしく誓約書に署名した。



 一方その頃、新藤への取材を終えた香菜が新藤宅の門から出てきた。

 「何よあいつ……何を話すかと思えば全部独りよがりな責任転嫁じゃない! 時系列めちゃくちゃだし、何度も痴漢にあってるなんておかしいし、イケメン以外滅べばいいと思ってそう。同じ女として恥ずかしいわ……!」

 あまり香菜を責めることなかれ、先程まで新藤の愚痴・憎しみ・嫌悪等々を一方的に聞かされていたのである。

 ちょうどその時

 「おいそこの女、止まれ!」

と、不意に後ろから怒鳴られた。

 香菜がびっくりして振り向くとスーツを着崩し、顔に入れ墨を入れた、いかにも反社会的勢力の構成員の様な男が二人。

 「わわわ!! 私にどっどんなご用件でしょうか……!?」

 「あんた、さっきまでこの家で何してた?」

と、一人が新藤宅を指差す。

 「わ、私はた、法律事務所の職員でしてててて、しゅざっ取材を」

 香奈は生きた心地がしなかった。

 「嘘だよなぁ? 昨日ずっとここに張り付いてたもんなぁ!?」

 (バレてたの……!?)

 命の危険を認識した香奈は、脇目も振らずに走り出した。

 「あ! オイ待て!!」

 男たちが追いかけるが、相手は元陸上部・100m自己ベスト11秒76の俊足である。なかなか追いつけない。

 しかし、香奈の方も今日はハイヒールで来ていたため、全力で走ることができず、両者の差は縮まらずとも開かず。

 そして、ハイヒールを履いてきたことが災いし、

「キャアッ!!」

右側のヒールが折れ、その拍子に転んでしまった。

 「イタタタ……」

 右足首を捻り、痛みに悶えながらも立ち上がり、右足を引きずりながら走る。しかし、このままでは追い付かれてしまう。そんな鬼気迫る状況下、香奈はとっさに妙案を思い立った。

 スーツの内ポケットに入っていた100万円を取り出すと、走りながら後方にばらまいた。

 「おい兄貴! あいつあんなに金持ってまっせ!!」

 子分格の方はまんまと金を拾い始めた。

 「へっへ、儲け儲け!」

  「あっ馬鹿!! 金なんか無視しろ!!」

 兄貴の方はさすがに懸命だったが、二人が足止めを食らっている間に香奈はハイヒールを脱ぎ捨て、この先の人生一生走れなくなってもいいから今だけは、と思い全力で逃げた。



 「ハァ……ハァ……もうダメ……」

 何とか命からがら探偵事務所に帰り着いた時には、時計の針が正午を指していた。

 「香奈さん!? どうしたっすか!?」

 先に戻っていた東がすぐに駆け寄った。

 「只今戻りました……」

 「それはいいから、何があったんすか!? なんか裸足だし」

 「新藤さん家から出てきたら、やくざみたいな人たちに追い掛け回されて……ヒールが折れちゃって、何とか東さんにもらった100万円を囮に逃げてきました……」

 「そっすか、よく五体満足で戻ってきたっす。それより……」

 東がスッと立ち上がる。

 香奈は東の顔を確認した。犯罪者を嫌悪するときのチベットスナギツネのような死んだ目ではなく、静かに怒りの炎を奥の奥に灯した眼であった。

 「そいつらは遅くとも明日にはここに攻め込んでくるはずっす」

 「それで……どうするんですか?」

 ここで東はいつもの東に戻る。

 「えー? やだなぁ! 決まってるじゃないっすか」

と軽く笑い飛ばすと、また先程のように怒りを眼の奥の奥に灯した。

 「ボコボコにして慰謝料請求するっすよ。1000万は搾り取ってやるっす」

 東は左手のひらに右の拳をぶつける、空手家がやってそうなあのポーズをとった。



 一方その頃、新藤の家。

 「なんですって!? あの女を取り逃した!!?」

 新藤は烈火のごとく怒り狂っていた。怒られているのはもちろん、やくざの二人。

 「すんません姐さん、あいつ結構足速くて」

 「そんなの知らないわよ!!」

 怒りに任せてコップを弟のほうに投げつける新藤。コップはわずかに左に逸れ、床に当たって砕け散った。

 「それ片づけときなさい!!」

 「ヘイ……」

 「そっちのデカいほうはえーと……なんだっけ?」

 「さわです」

 「そう澤田!! さっさとあの女を捕まえてきなさい!! 私に恥をかかせた罪を償わせるのよ!!」

 「かしこまりやした」



 また、東邦新聞社本社においても

「編集長! 特ダネです! 無産党の幹部が検察に圧力をかけたという証言が警察関係者から……!!」

 あの記者が音声データを採集していて、本社に持って帰ってきていた。

 「なんと……この警官の証言は本当なのか?」

 「恐らくそうでしょう。声の主は水沼祐樹警視。あの黄金区の東敏行と深い関係がある警官です」

 「ほう、あの守銭奴探偵も関係していると?」

 「そう思います」

 「……よし! 取材に行くぞ!!」

と、編集長は立ち上がった。

 「はい、黄金署へですよね?」

 「いや、東探偵事務所だ」

 「あ、そっちですか」


 さらには水沼のもとに電話がかかる。

 「もしもし、東か? お前何やってんだ!」

 『やあみっちゃん、今すぐ直ちに無条件で事務所に来てほしいんすよ』

 「はぁ!? それよりお前検察庁に……」

 『じゃ、よろしくっす』

 プツッ、プー、プー。

 「……どうするかい? 祐樹君」

 「……そうですね、東が必要ないことをするはずがありませんし……行きますか、事務所」


 ……いろいろとごちゃごちゃとしてしまったが、とどのつまりはこういうことだ。

 無産党幹部の手下、東邦新聞記者、水沼ら警官たち。それぞれの思いは交錯し、東探偵事務所に集結する!!



第二十話 正義はどこへ に続く

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