第二十話 正義はどこへ
「はい、まずこのジャージに着替えてくださいっす!」
東が香菜に差し出したのは、自身のトレードマークである黄色いジャージ。
「えぇ……これ着るんですか」
もちろん
しかし、東の命令は絶対である。香菜はこれを着るしかないのだ。
「そんな顔しないでくださいっすよ! 絶対役に立つから!」
「こんなみすぼらしいジャージのどこが役に立つっていうんですか!!」
「何すか、これがみすぼらしいっていうんすか!!? わかったっすよ、今からこのジャージがいかに素晴らしいのかをじっくりと教えて……」
などと言い争っていたその時だった。
突然、事務所の扉が強く叩かれた。
「オラァ開けんかいゴラァ!!! 姐さんに逆らっといて無事で済むと思っとらんよなぁ!!!」
今にも扉をけ破りそうな勢いで迫る奴らに、二人は身構えた。
「来たっすか、ついに……」
東はタクティカルペンを手に立ち上がる。
「よーし行け、東さん! 何人だろうとやっちゃえ!!」
香菜は東のデスクに隠れていた。
東は呆れつつも
「まあ、香菜さんに近づけないくらいはできるか……」
と、独り言を言って扉に近づく。
「あのー皆様方、まずどのようなご用件か言っていただかないと困るんすが」
「用件だぁ!? お前らをとっ捕まえて姐さんのとこに突き出すんだってんだよ!!」
「『姐さん』っていうのは、無産党の幹部と不倫している母親を持つ
「東さん、言い過ぎ……」
デスクの影から顔をのぞかせる香菜。
その時、ついに扉の鍵が無理やり壊され、扉の向こうに待機していた構成員達がなだれ込んできた。香菜は悲鳴を上げながらデスクの影に引っ込む。
数は十人、皆それぞれドスや鉄パイプを手に持っていた。それぞれが殺意をむき出しにして東に襲い掛かる。
さあ、東はどうなってしまうのか?
先頭の男がドスを東に突き刺そうとする。
東は左手でドスを持つ右手を刺さる寸前で止め、こめかみにタクティカルペンをたたきつけた。男は吹っ飛ばされて脳震盪を起こし、起き上がることができない。
さらに二人目が東の脳天めがけて鉄パイプを叩きつけようとする。同時に三人目は香菜の方へ向かっていた。
しかし三人目は東に足を引っかけられて転び、足首を踏まれて文字通り「足止め」されてしまう。二人目も鉄パイプを振り下ろす前に右手を抑えられ、目つぶしを食らって悶絶。
三人目が足止めから抜け出して東に殴りかかる。四人目は拳銃を抜こうとしていた。
東は三人目を躱すと同時に脇腹に蹴りを叩き込み、四人目がいる方にふらつかせて銃の射線に自らを入れさせなかった。
五人目、六人目、七人目が東を取り抑えにかかる。三人が東を間合いに入れたとき、すでに東は三人の視界から消えていた。
突然、三人の後ろから銃声が聞こえる。驚いて振り返るが、初め一瞬は疑問にも思わなかった。仲間が発砲したものと思ったからである。
四人目が引き金を引いたことは確かだったが、銃弾の犠牲になったのは八人目だった。それが三人の思考と現実との相違だった。
東が四人目の右腕を取り押さえ、抵抗した四人目が引き金を引いた。しかし東によってその射線は八人目に向けられていた。
発砲。
鮮血が事務所の床に飛び散る。
東は八人目がのたうち回っているのを確認すると、四人目の腕を肘で突いて銃を奪い、襲い来る六、七、八人目のナイフ攻撃をわずかな動きで避け、今度は自ら引き金を引いた。
三人のやくざに対し、三回の破裂音、三発の銃弾。六、七、八人目は一瞬のうちに叩きのめされた。
一部始終を見ていた九人目は、声にならない叫びとともに逃げ出そうとしたが、東が拾って投げたナイフが足に命中、地面に這いつくばらざるを得ない結果となった。
最後の十人目は
扉が破壊されてから澤田が拳銃を突き付けられるまでにかかった時間、十三秒。決着はついた。
東
「テメェ……黄金区一のとはいえ、一介の探偵がなぜそこまで戦える!?」
澤田は声を震わせながらも、威厳を保とうとして強い口調で聞いた。
対して東の回答は、静かであった。
「……僕が探偵を始めたとき、一番に身に着けたのが戦闘能力だったっす」
「何……!?」
「探偵とは本来、警察に守られるべき存在。自ら戦うなんて普通はあり得ない」
このやり取りをデスクの影から聞いていた香菜は、あることを思い出していた。
かつて武道館で起きた殺人未遂事件。犯人のナイフを東がタクティカルペンで叩き落し、一瞬のうちに犯人を制圧したことを(第十四話参照)。
東は淡々と話し続けた。
「でもね、それだけじゃダメなんすよ。それだけじゃ、普通じゃないときにまで対処がつかない。探偵の仕事の99%は戦闘ができなくてよくても、戦闘能力がないと残り1%が命取りになる。だからまず戦うことを覚えたんすよ」
「……」
澤田は歯ぎしりして何も答えなかった。
「さあ、道は二つっすよ。このままこのあたりに寝転がってる連中と一緒に、あと五分程度でやってくる警察に自首するか、あるいは」
話しているときに最初にノックダウンされた一人目が突然立ち上がり、東に襲い掛かった。
発砲音。
一人目の右手から中指が消えた。一人目は激痛を覚えたのちに右中指の欠損に気づき、発狂した。
この時、東は一瞬たりとも澤田から視線を外していなかった。
「ここで全員……死ぬか」
東の声は全く揺らいでいなかった。
「みっちゃんと違って僕は射撃が上手いわけじゃないっすから、当てやすい胴体狙うっすよ。さあ、命が惜しければそのまま両手を頭の後ろに組んで跪くっす」
改めて拳銃を澤田に向ける東。
澤田はただ指示に従うことしかできなかった。
五分後、
水沼と記者は東ビルの前で鉢合わせした。
「あっ、水沼さん……」
「貴方は、東邦新聞の……なぜここに」
「いやぁそれが……ここで何か事件が起きる予感がして」
「奇遇ですね、私もです」
そんな話をしながら二人が二階に上がる。
廊下には血の跡。
水沼と
内ポケットの拳銃に手をかけながらゆっくりとガラス戸を開ける。
彼らは絶句した。そこにあったのは血まみれの床に十人が倒れ伏す姿。そして黄色いジャージの東敏行が平然と突っ立っていた。
「東!」
「あ、みっちゃん! 遅いっすよもう片付けちゃったっすよ?」
「お前、まさか」
「いやいや! 殺してはないっすよ、僕人殺しは嫌いっすから。ほら、さっさと運んじゃって!」
「あ、ああ……」
いわれたとおりにする警察たち。
記者は黙って写真を撮っていた。
その後、すべてが明るみに出たことにより、新藤と無産党幹部は逮捕された。すべての被害者たる
この結末はSNSで大きな反響を呼び、大衆のヘイトは無産党及び検察に向けられた。
そして、作者がレギュラーメンバーに設定しようとするもここ三話全く出番のなかった
「いやー、無事に無罪を証明できて良かったのだ、大赤字だけど……」
と嘆いていた。東に1000万も取られたのである。今野からの報酬を大きく上回るのは想像に難くない。
「まあまあ、これから奴らを民事訴訟で賠償金搾り取ればいいじゃないっすか! それに……」
と、言いかけて視線を落とした。
「ん? どうしたのだ?」
「赤字なのはこっちも同じで…… 」
今回の東の収支
支出
・賄賂 1500万
・香菜の治療費 1万
計1201万円
収入
・前金 300万
・依頼達成料 700万
計1000万
収支 −501万円
「あ~あ、やっちまったな〜……久しぶりの赤字だ……」
「君はいいだろう! たまの500万程度! 私なんか600万以上の大損害なのだ!!」
「いや先生は慰謝料の一割でも取ればトントンっしょ?」
「取れないのだっ!! そんなぼったくりっ!!!」
などと言い争いをしていた二人は、その場にもう一人いたことを忘れていた。
「あの……」
二人はようやく気付いた。笹島が所属する武蔵法律事務所、その一個室には笹島と東と、もう一人、今野がいたことに。
「申し訳ありませんのだ、すっかり熱くなっちゃって」
「いえ……それよりお二方」
と、今野が立ち上がる。
「本当に……有難うございましたぁ……!!」
彼は土下座を披露した。その目や鼻からは液体がチョコレートフォンデュのようにダラダラダラと……
「うわっやめてくださいっすよその表情、気持ち悪いんすよ」
「敏行君!!!」
「僕は別にあんたのために依頼を受けたんじゃないっすよ、ただ腐りきった無産党と検察とあのクソババア(新藤)に痛い目見せたかっただけっすよ。それより……」
東は立ち上がり、うずくまる今野の前に封筒を置いた。
「……へぇ?」
今野がそれを開けると、中には50万円が入っていた。
「こっ……これは」
「その金で整形手術でも受けるっす。その顔は本当に気持ち悪くて見てられないっすから」
そう言い残し、東は部屋を去った。
※先程の出費により、収支報告が修正される。
収支 −551万円
扉の前では香菜がスタンバイしていた。
「東さん、あんな言い方、人としてどうかと思うんですけど」
すべての会話を聞いていた香菜はかなり不機嫌そうであった。
「知ったこっちゃないっすよ」
「東さん……なんで整形費用を渡したんですか? ルッキズムは好まないって……」
「確かに言ったっすよ」
東は歩く方向ばかりを見つめていた。
「でも、あの顔は気持ち悪い。百人に聞けば百人はそういう。だったら今野さんがどんな性格だろうとどんな能力を持とうと関係ないことっすよ」
「そんな……」
「僕を知らない人が見たら、金持ちだと一発で見抜ける人がどれくらいいるっすかね?」
「あ……! 確かに」
「……姿はね、武器なんすよ。それはどの時代だろうと、どんな地域だろうと、確かにそれは真実っすよ」
東は静かにそう語った。
黄金区の街には、夕日が差していた。
次回、File.5 家庭のための仕事、開幕
第二十一話 水沼、不貞疑惑アリ? に続く
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