第71話:君がいちばん・
母さんの口からすーすーと小さな寝息が聞こえてきたのは、あれからすぐのことだった。一生懸命長く話そうと重たそうな瞼を見開いていたが、こういったことは今後もしていくから焦らなくていい、と言うと安心したように眠りについた。
この人寝る時間も早ければ、眠りにつくスピードも速い。
重ねられた手がいつの間にか絡み合い、恋人繋ぎになってしまっている。安心させるために手を繋いでみたが、ずっとこうしていると、今はまだそんなにないが、次第に頭痛が強くなってしまうためゆっくり離す。
手が離れる一瞬、眉が下がり泣きそうな表情になり、葛藤と戦うことになったが、それだと今度は俺が倒れてしまうため断腸の思いで実行する。
頭を優しく撫でると、安心したような表情に戻った。
寝袋から少し体を起こし、横になって母さんを眺める。本当にこの人には感謝してもしきれない。この世界にきた当初は大変だったけど、いかに不木崎くんのことを愛していたかは過ごしている内に理解できたし、そしてその愛で救われた場面も多々あった。
元来俺という男の心は強くできていない。
口では色々高飛車なことを言っているが、その心の中はただの子ども同然だ。
……まったく、前の不木崎くんを馬鹿になんかできないね。
ため息をつきながら立ち上がり、テントから出る。
夏の夜は空気が澄んでいてひんやりとしている。
「あ………ふっきー」
声の方を向くと、城がお湯を温めていた。傍にマグカップが置かれている。どうやらこいつも眠れないらしい。
「春も眠れない感じ?」
「うん、椿の寝相がすっごく悪くて、蹴られたり抱きつかれたりして全然眠れない」
「え、寝袋持ってきたんじゃないの?」
「あるんだけど暑いからいらないって……霞さんは?」
「もうぐっすり。綺麗に寝袋にくるまってるよ。写真見る?」
「……撮ってるし」
呆れた顔の城はティーパックの入ったマグカップをもう一つ取り出してお湯を注ぐ。少し砂糖を入れてからこちらに寄越した。
「飲むでしょ」
「おう、ありがとう」
そう言って城がキャンプチェアーに腰掛ける。
一口飲むと、少し冷えた体が温まり、程よい甘さにリラックスさせられる。
城もちびちび飲みながらこちらを見ていた。
「座ったら?」
「ん?ああ。そうだな」
促されて、城の前にある椅子に座ろうとすると、不貞腐れたような声が耳に入る。
「なんでわざわざ離れたとこに座るの?……隣空いてるじゃん」
顔を伺うと、こちらを一切見ていなく、髪に隠れた顔から尖った唇が突き出ていることだけが確認できる。
ご機嫌斜めのようだ。怒らせても仕方ないため、城の隣に腰を下ろす。
こちらをチラッと見た城は、拗ねているのにどこか嬉しそうな複雑な表情を浮かべていた。ひとまず許されたのか、そのまま紅茶を黙々と飲む。
「楽しかったね」
「ああ、母さんもすごく楽しそうだったし、来てよかったよ」
「……」
「春?どうした?」
押し黙った城をなんとなく伺う。すると、こちらをキッと睨みつけた城が右手をこちらに突き出した。
「特訓」
……多分手を握れということなんだろうけど、やたら目が据わっているのは何だ?
そのまま握りつぶされそうな威圧感がある。
「……いやなの?」
不安そうに言うもんだから、思わずその手を取る。こいつ本当に表情の起伏が激しい。さっきまで母さんの手を握っていたからコンディション的には芳しくない。
「別に嫌じゃない」
「ならすぐ握ってよ」
当てつけのように手に力を籠められる。いつもより力が強い。やはりご機嫌斜めらしい。
「なんかあった?」
「……なんかって何」
「それそれ、めっちゃ不機嫌じゃん」
指摘すると、頬をぷっくりと膨らませる。ばれてしまったのなら隠す必要はないな!と言わんばかりに顔に出してくる。
にしても、やはりこいつはどんな表情をしても美少女を維持している。
「今日は椿と霞さんばっかり優しくして、私には全然優しくしてくれなかった」
「そんなことないが」
「ある!」
「わ、わかったわかった。あんまり大きな声出すな。みんな寝てるから。……で、例えばどんなとこ?」
「テント張ってた時に教えてくれなかったし」
「できてたじゃん」
「私のコーヒーに砂糖とミルク入れてくれなかったし」
「ブラックの方が好きじゃん」
俺が反論するたびに頬が膨れていき、そのままいけば破裂するんじゃないかと不安になる。多分その柔らかそうな頬っぺたをつついたら、すごく怒るんだろうな、とぼんやり思いながらその場から立ち上がる。
俺が突然立ち上がったためか、隣からぷしゅー、と空気の抜ける音が漏れる。顔を確認すると、怒っているんだけど、俺の機嫌を害してしまったのでは、という焦りの表情も見て取れる。こいつも母さん並みにわかりやすい。
そのまま、城の背後に回り、後ろから覆いかぶさる。
おっぱいに触れないように気を付けながら、数秒間ぎゅっと抱きしめて離れる。
「テントの張り方を教えなかったからじゃなくて、後ろからぎゅっとしてくれなかったから」
言いながら、城の頭を優しく撫でる。相変わらずのふわふわ具合で、この頭痛がなければ普通に気持ちいいのだが。
「コーヒーに砂糖とミルクを入れなかったからじゃなくて、頭を撫でてくれなかったから」
城の目の前まで行って、顔を覗き込む。
真っ赤な顔に、エメラルドグリーンの瞳が揺れている。
「だから、怒ってるんだよね?」
襲い来る目眩と戦いながら微笑む。
まぁ、違ったら俺自身すごく恥ずかしいやつだが、十中八九当たっているだろう。俺もそんなに鈍感ではない。それにこのあべこべ世界では俺は前世で言う超絶美少女だ。そんな存在からハグされたり、頭を撫でられたりして嫌がるやつはそうそういない。
現に、萎んだ頬は見事に色づいて、鼻はひくひくと動いている。
「……あ、えっ……し、知らないふりしてたの?」
「そんなつもりはないんだけど……その反応ってことは正解だな」
「…………」
「まぁ、その黙秘に何の効力もないけど、一応言っておくぞ。母さんも椿ちゃんも、正直触ってもそんなに体がキツくならないんだ」
「……え?」
どういうこと?といった感じで城が小首を傾げる。
「……あんま言いたくないんだけど」
「さ、最後まで言って!気になって眠れないじゃん!」
「わかったって……俺が女だと認識しないと、頭痛が発生しづらいんだ」
「……ごめん、まだよくわかんない」
「だから、俺がエロいって思わないと、体の拒絶反応が起きないの!だから母さんも椿ちゃんも、頭撫でても添い寝してもそこまで何ともないの!」
最後まで言い切る。これってつまり貴女のことはすっごく性的な目で見てますよって告白していることに他ならない。
「……春は……その、一番拒絶反応が強い」
「それって……」
「全部言うな……だから、春には気軽にそういうことできないんだよ。別に嫌とかじゃない。こうして二人っきりとかじゃないとマジで気絶するから意識的に人が多い場所ではやらないようにしてるの!」
言い切ってから肩で呼吸をする。なんでこう本音を話すときって緊張するのだろうか。俺って本当に心弱いよな……。
辺りは虫の声以外何も聞こえない。
城はこちらを真っすぐ見据えていて、その瞳は俺の目を捉えて離さない。
いつの間にか離していた掌に熱い感触が伝わってくる。
城が俺の両手を掴み立ち上がる。興奮しているのか、心臓の脈打つ鼓動が握られた手から伝わってくる。
「ふっきー、今は周りに誰もいないよ」
「そうだな」
「二人っきりだね」
「そうだな」
月明かりが照らした城の顔はあまりに妖艶で、期待に満ちた表情。今日は我慢させてしまった分、反動がすごそうだ。
これは、気絶コースを覚悟しなければならないらしい。
挿絵 第71話:君がいちばん 待ってたんだよ
https://kakuyomu.jp/users/hirame_kin/news/16817330663278489427
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