第70話:かわいい我儘・

side.不木崎ふきざき拓人たくと

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 寝間着姿の母さんは恥ずかしそうにこちらをちらちら見ている。

 いつもより心なしか肌の露出が多い気がするのは気のせいだろうか…。すべすべしてそうな真っ白な肌が、月明かりに照らされて発光しているようだ。


「母さん……」

「な、なに…?」


 テントの中で寝袋を敷いたはいいが、母さんの寝袋は一番端に寄せてあり、その間にはリュックがバリケードのように置かれている。

 バリケードと母さんを見て目で訴えると、慌てて更にバリケードを増設する。

 ……違う、そうじゃない。


「何でそんなに離すの?」

「な、何でって、拓人が嫌がるといけないと思って」

「母さんが嫌とかじゃなくて?」

「わ、私が嫌なわけない!」


 少し声の音量が上がり、自分の言ったことが恥ずかしかったのか頬を抑える母さん。

 なるほど、それだったら何の障害もないわけだ。


 俺はバリケードを全て取り除いて、母さんの寝袋を俺の寝袋の隣に移動させる。


「よし!じゃ、寝ようか!」

「よし!じゃない!ち、近すぎない!?」

「え……そう?」

「そう!」


 真っ赤な顔で頑なに言い放つ。まぁ、確かにゼロ距離だから近いっちゃ近い。俺は少し母さんの寝袋を動かして母さんの顔を見る。首を横に振られる。

 もう少し遠くに動かす。まだ首を横に振られる。

 そこから人一人分くらいの空間が空き、ようやく母さんは首を縦に振った。


「うーん、これが今の母さんと俺との距離感か。寂しいな……」

「だ、だめ!そんなこと言ってるくせに顔がにやにやしてる!からかおうとしてるじゃん!」

「母さんがどんどん慣れてしまって俺は寂しいよ……」


 そこから母さんを寝袋に促す。もう外は真っ暗で特にすることもない。


「夜は寒いからちゃんとジッパー全部閉めてね」

「うん……あれ、た、拓人。ちょっと閉めてくれない?お母さん自分で全部閉められなくて」

「もちろん」


 そう言ってジッパーを上げる。完全なミノムシ状態になった母さんはキーホルダーとして持ち帰りたいくらいに可愛い。


「自分で下げられる?」

「う、うーん。ちょっと難しいかも。頑張ればいけると思う」

「うんうん、それじゃ下げてほしかったら俺のこと起こしてもらっていいからね」

「ありがと……」


 口元を隠しながら照れている母さんを見てほほ笑む。


 さて、はじめようか。


 ミノムシ母さんの腰と足の隙間に手を突っ込む。


「あ、あれ?拓人何してるの?」


 返事をせずにそのまま持ち上げる。羽のように軽い母さんの体は、いとも簡単に俺の腕の中に収まる。


「たたた拓人!?」


 慌てる母さんを無視して、俺の寝袋のすぐ隣へ移動させる。


「拓人!ジッパー下げて!今下げて!」


 俺が何をするのか理解したのか、母さんはもぞもぞと必死に蠢くがジッパーをなかなか開けられない様子だ。

 母さんが奥の方へ転がって逃げないように、母さんの外側へバリケードを作る。

 それを母さんは真っ赤な顔で眺めていた。


 俺も寝袋に収まり、間近にいる母さんに微笑みかける。常夜灯が付いてるため、こちらを恥ずかしそうに見ている母さんの顔がはっきりと見えた。


「よし!じゃ、寝ようか!」

「よし!じゃない!」

「やっぱりちょっと寒いね。もうちょっと引っ付こうか」

「無視!?」


 散々拒絶していた割に、顔はこちらを向いている。やっぱり近くが良かったみたいだ。本当にこの人は強引にいかないと俺に遠慮ばかりする。


「どうしても離れたいって言うなら離すけど」

「そ……そうは言ってない」

「……やっぱり寝袋脱いで母さんを抱き枕にしようかな?」

「それはダメ!あ、明日も運転するの!……眠れなくなる」

「うーんそれは仕方ないな。わかったよ、これで我慢する」


 しばらく沈黙が続き、常夜灯を眺める。優しいオレンジ色の光は見ているだけで安心できる。寝袋越しなのか、母さんがこんなに近くにいても特に頭痛も起きていないし、普通に眠れそうだ。


「お、お母さんが近くて辛くない?」


 隣を見ると、心配そうな顔で俺のほうを見つめていた。

 恐らく俺の症状を心配してくれているのだろう。女性への拒絶反応はこの人が一番近くで見てきているし、一番近くで拒絶された人だ。


 だから過剰に俺と距離を取ろうとしているのもわかったし、でも、本音は一緒に寝たいしもっと触れ合いたいという気持ちもわかっていた。これまで拒絶されてきた反動がこうして大きな波となって母さんを襲っているのだ。


 息子への愛故に息子が望んでいることをしてあげたいという気持ちと、愛するが故に自分が望んでいることがごちゃ混ぜになって、こうした可愛いモンたスターが生まれてしまった。

 近くにいることが嬉しくてたまらないはなずなのに、今も息子が苦痛を堪えているのではないかと不安で仕方がない。


「母さん。我慢しなくていいんだよ?」

「……え?」

「俺、母さんに酷いことばかりしてきたけど、今になってやっとわかったんだ。母さんの優しいところだったり俺のことを愛してくれていることだったり」

「……」

「だから、母さんがしたいことは全部叶えてあげたい。こうして隣で一緒に寝ることだってね」

「……私顔に出てる?」

「出てるよ。母さんわかりやすいから」


 と、言うよりもどんどんわかりやすくなってきている。最初のころは表情がこわばり、泣いてばかりだったため望んでいることなどわからなかったが、今は表情も豊かになり、言いたいことがわかるようになった。


「……気持ち悪い母親って思わない?」

「思わないよ」

「……我儘ばっかり言うって思わない?」

「思わないよ。全然足りないくらい」


 そう言うと、母さんは震えた声で言葉を続ける。


「本当は、もっと一緒に寝たいし、もっとお出かけしたい。もっと一緒に写真も撮りたいし、もっと遊びたいし、もっとお話ししたい」


 どんどん溢れる可愛い欲望。たったこれだけのことを母さんはずっと我慢し続けてきたのだ。拓人くんが嫌がるから、と。また拒絶されてしまうからと。すべて蓋をして生きてきた。


「母さん、寝袋から手を出せる?」

「え?手?……出せるけど」

「全部やろう。まずは――――」


 困惑している母さんに笑いかけて、小さな手を握る。


「お話するところから、かな」


 返事をするように、母さんの手に少し力が入った。



挿絵 第70話:かわいい我儘 本当は…

https://kakuyomu.jp/users/hirame_kin/news/16817330663278479924

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