2、誓約
エリザベートが領主として君臨してから三百年間は戦乱の時代が続いた。南北からの異民族の侵攻によって帝国は瓦解し、民は戦火にさらされた。
エリザベートは兵を束ね、自らも戦場に立った。数十年、数百年が経とうとも彼女は老いることなく、若々しい姿のまま戦った。深紅の瞳に鋼鉄の如き黒髪の女は、陶器のような白い肌を敵の血で濡らした。板金鎧を纏いながら、六フィートもの大剣を片手で振るい、馬をも一太刀で両断した。人ならざる強さで、立ちはだかる敵の一切を薙ぎ払い、その血を飲んだ。エリザベートは敵に恐怖を与えるため、そして卑しい悦楽のため、下品に音を立てて血を啜ることを好んだ。
戦時中、エリザベートは自らの血に特別な力があることに気づく。彼女の血を嗅いだ者は恍惚とした気分になるとともに、抑えがたい攻撃性を発露した。彼女は兵士に自分の血を嗅がせ、無慈悲な殺戮集団を作り上げた。兵士たちは自らが傷つくことも厭わず、死をも恐れず、狂乱のうちに戦い、敵を殺した。
民草は領主が人ならざる怪物であると気づいていたが、彼女を恐れ、黙して支配を受け入れた。
エリザベートは三百年もの間戦いに明け暮れ、敵を殺しては血の渇望を満たした。絶え間ない殺戮の日々に、戦場こそが自らの在るべき処だと知った。彼女は異民族や異教徒との戦い、諸侯との内紛、あらゆる戦いに身を投じ、すべてに勝利を収めた。エリザベートと彼女の軍団は敵のみならず味方からも恐れられ、彼女に挑む者は誰もいなくなった。
長い戦いの末、異民族は撤退した。諸侯による勢力争いは協定によって鎮まり、戦争は終わりを迎える。
エリザベートにとっては、長い倦怠の日々の始まりだった。
「領主様、子供が隠れていました」
エリザベートの前に引き立てられたのはみすぼらしい少女だった。貧相な体躯とは裏腹に、馬上の女領主を見据えている。
──兵の中でもこれほど真直ぐ私の目を見られる者はいまい。
エリザベートは少女を値踏みするように見下ろした。
戦が終り、敵もなく、鬱屈とした日々に倦んだエリザベートの新たな獲物となったのは、民衆だった。夜毎、騎馬隊を駆って村を襲い、財産のみならず女を攫って、ほかの者は殺した。森の狼に血の匂いを嗅がせて猟犬の如く調教し、逃げ惑う農民にけしかけた。弱者を蹂躙し、血の渇きを満たすとともに、支配者が誰なのかを知らしめた。
人狩りだ。
木々が爆ぜる音に混ざって、農民の悲鳴が聞こえる。村を焼く炎が闇夜の森に灯りを投げかけ、騎乗した女領主と小さな少女の影を映していた。
少女を見つけたのは森の中だった。木々に隠れて逃げ出そうとしたのだろうが、狼の嗅覚からは逃れらなかった。背後には四人、少女より幼い子供が隠れていた。弟と妹だろう。親の姿がないということは、エリザベートが道中で手にかけた者の中にいたかもしれない。そうでなければ火の中にいるのだろう。
火を放つよう命じた女領主は、少女の頭の上からつま先まで視線を這わせた。櫛も通していないくすんだ黒髪に、畑仕事でマメだらけの手、嫁に迎えられてもいいような年頃にも関わらず、哀れなほど細い体。取るに足らぬ、卑小な存在。それにも関わらず、小さな胸を震わせながら、弟と妹を守ろうとするかのように領主の前に立っている。
少女は曇りのない瞳で、エリザベートに言った。
「私の命は差し上げます。ですからどうか、弟と妹はお助けください」
──高貴なる私に指図するとは無礼な娘だ。弟妹共々、この場で八つ裂きにしてくれようか。
そんな思いが頭をよぎったが、今すぐに殺してしまうのは惜しいと思い直した。
気まぐれか、あるいは好奇心か、少女の瞳が光を失い、暗闇に墜ちてゆくさまを見てみたいと思ったのだ。
「いいだろう、だがお前の命はすぐには奪わぬ。お前が私の下僕となり仕えると誓うならば、弟と妹の命は助けよう」
「私の下僕は、生涯私の傍を離れることなく、私の欲するものをすべて差し出さねばならず、私が与えるものはすべて受け入れねばならぬ。どうだ、誓うか」
吸血鬼の下僕になる、その意味することを悟ったのか、少女の呼吸が速くなる。瞳は見開かれ、肩には幼い弟妹の視線が注がれている。それでも領主の視線をひたと受け止めていた。
「大丈夫、お姉ちゃんが守るから」
今にも泣きだしそうに愚図る弟たちを安心させるかのように、少女は小さな声で言った。
そして、震えの止まらない小さな体を、今生のすべての意思の力を込めたかのようにゆっくりと折り、跪いた。
「誓います」
「生涯お傍を離れることなく、貴女様にお仕えすると誓います」
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