6 生
世界は何層にも折りたたまれていて、我々の見ている世界は世界のうちのほんの表層だ。
そう言ったのはバレク連合と北海同盟、どちらの宇宙物理学者だったか。
リンナバラは、召喚術によって、その折りたたまれていた世界のひとつを開放した。
旧世界は夕景世界を侵食し、夕景世界は旧世界を侵食した。
混ざりあい、変質しあいながら、2つの世界は1つになった。
夕景世界の支配者は、すぐにこちらの言語体系を習得し、慈悲神と名乗った。
不老不死の肉体を手に入れてから、あまたの人々を蘇生し、戦った。勝った。勝った。勝ち続けた。それでも、慈悲神と名乗るものには勝てなかった。
慈悲神と名乗るものが支配する新世界は、旧世界のすべてを養分にしながら、リンナバラを代行者にして統一へと向かった。慈悲神を召喚した40万を超える魔術師たちは、慈悲神から魔素の循環体――不老不死――をさずけられ、神使となり、慈悲神による統治体制を構築した。
40万人を超える不死者と、1人の不死者。もはや抗うすべはなかった。
目的を失い無為に数十年を過ごしたあと、故郷に村を作ろうと思った。
半身のロジェをもじって
リンナバラによってまとまる前の世界を知る者たちが、かろうじて生きていた時代だった。
彼らは同郷の者に好意的だった。
彼らが死ぬと、腹を割って話せる友人がいなくなった。
彼らを死者蘇生で何度もよみがえらせてもよかったが、それでもいつか寿命はくる。
慈悲神はまだ、かつて自らに歯向いた人間を探しているようだった。
慈悲神には絶対に勝てない。
見つかれば村は滅ぼされる。
思いとは裏腹に、人々は慈悲神の支配を自ら進んで受け入れていった。
神使以外の不死者の存在が知られるのを恐れて、姿を明かせなくなった。
かつて友人たちと作った宝を壊されるのが怖かった。
ひとりになった。
ひとりの時間は長かった。
感覚を
感情を
記憶を
自分を
『お前は、なんだか、かわいそうだ……。村人を守り続けたお前は、もっと幸せになるべきなのに』
酔った久瀬にそう言われたとき、とてもうれしかった。
けれど感情はすぐには表に出せなかった。
100年以上も、檻に閉じ込めてきた。
鍵がさびついていて、うまく開かなくなっている。
不死のからだで行う死者蘇生はたちが悪い。
蘇生するたび死の間隔は短くなるが、こちらがその気になれば、期限までは何度も繰り返せる。
いくら生きていてほしくても、相手はそれを望んでいない場合もある。
自分勝手な術だ。
だからもう、使うことはない。
そう、思っていた。
久瀬が鈴李を救いたいと申し出てきたとき、百数十年ぶりの変事の予感に、感覚が、感情が、記憶が、檻から飛び出そうとした。
必死でそれにあらがって、もっともらしい理屈で久瀬を説得しようとした。本当は怖かっただけだ。かつて友人たちが残してくれたこの村を、無残に奪われるのが。その恐怖は正当なものだ。
しかし、久瀬に言葉をぶつけながら、正当だと思い込もうとすれば思い込もうとするほど、違和感が募った。
『ひとりで、どうにかやってみるわ。無理言って悪かったな』
久瀬が背を向けて去っていった後、その違和感はどんどん大きくなっていった。
大きな流れにあらがうのをあきらめ、戦いをやめてから、おそらく200年以上経っている。まだ、見つかっていない。慈悲神が本当に全知全能の神なら、とっくに捕まっているはずだが、現実はそうはなっていない。
かつて勝てなかったことで、慈悲神やリンナバラの力を、過大評価しているのではないか。
少女一人救ったところで、何も起きないのではないか。
百数十年ぶりの葛藤に、簡単に答えは出なかった。
結局決断できたのは、護衛官の群れが鈴李を引き連れていくのを見てからずいぶん経ってからだった。
死を受け入れられない、大馬鹿者の創始した術。死霊術。その使い手として、命を救うことに迷うなんて、頭がさびついていた。久瀬は、こんなことで悩む死霊術師よりも、よっぽど死霊術師らしい。
全速力で追ったが、決断できない間にずいぶん先まで進んでしまっていた。
途中で、護衛官たちの死体があった。護衛官は領主によってお目付け役人につけられる、選りすぐりの猛者。
死体を数えると8人。鈴李と久瀬の姿はない。
久瀬は、ただの人間の久瀬は、魔術も魔動力もなしに1対8を勝ったのだ。
とてつもないことをやってのけた久瀬に、百数十年寝かせていた感情が、震えた。
「すごい」
言葉にせずにはいられなかった。
「本当にすごいよ、久瀬」
あとは、追いついて、2人を守ってやるだけだ。
やっと追いつくと、雨の降り続ける中、久瀬は、鈴李と折り重なるようにして倒れ込んでいた。
久瀬がやりとげたことに対して抱いた興奮が、急速に冷めていく。
そう。
そうだった。
今の時代の人間ができるのは、ここまで。
神使以外の魔術の使用が禁じられ、過去のあらゆる技術がリンナバラに集約されている今は、その技術の一端を
いくら剣の腕を磨いたところで、銃や魔術の奇襲には勝てない。だから、助けてやらなければならなかった。
彼らを殺したお目付け役人のうちのひとりは、携帯電話で、誰かとやりとりをしている。他の3人は木に寄り掛かったりその場にしゃがんだりで雑談しながら、やりとりが終わるのを待っている。誰も、こちらに気づいていない。
携帯電話でのやりとりが終わるのを待った。
久瀬のそばまで行くと、ようやく一人が気付いた。
「どうされましたか?」
物腰やわらかくたずねてくる。
お目付け役人たちは村人たちを監視しているが、同時に、神使たちに監視されてもいる。ときおりはけ口として与えられるいけにえ以外に横暴な態度をとれば、特権をはく奪される。
その嘘くさい笑みを浮かべる男の腹に、こぶしを叩きつける。それだけで、男のはらわたは中で飛び散った。うめき声をあげながら、倒れてくる男の体を避ける。
「敵だ!」
他のお目付け役人が叫び、銃を構える。
半身を失い、友人を失い、同僚を失い、戦友を失い、理解者を失い……。
魔術も魔動力もない時代にひとり過剰な力をもち、旧時代の亡霊のように生き続ける自分は、いったいなんなのだろう。
わからない。わからないが、いまするべきことはひとつ。
銃弾をかわす必要のない体で、銃弾をかわしながら駆け寄り、一番手前の男の首をつかんでへし折った。悲鳴を上げて逃げ出そうとした女の背を蹴り飛ばす。女の体は不気味な方向に折れ曲がった。
気の遠くなるような時間、体内の魔術波長をさまざまなかたちで変化させ、実験してきた。いまは触れさえすれば相手の人体を破壊できる。
瞬く間に3人が死んだ。
携帯電話で話していた人間だけを残した。
「お、お前……なんなんだ、なんなんだよ!」
腰を落として無様に怯えている男が、銃を乱射する。ひとつひとつ手ではたき落としながら、彼に近づいていく。やがて彼の銃の弾は切れた。
「質問に答えれば生かす。逃げようとしたら殺す」
「な、何が聞きたいんだよ!」
「いま電話していた相手は誰?」
「炉地村のお目付け役人だ」
「内容は」
「救難信号の件は解決した、護衛官を殺した男と、移送される予定だった女は殺した、と伝えた」
「お前はどこの所属?」
「つ、土山村」
「土山村の詰め所には、お目付け役人が何人残ってる?」
「こ、これで全部だ。もともと人数が少ないから、安全策をとって全員で来た」
「わかった」
「で、あ、あんたは何者なんだ。神使の力を使うくせに、なんで俺たちの邪魔をするんだよ!」
「お前らが殺した男の師匠、かな」
「そいつが死んだのは自業自得だ! 護衛官たちがなにをしたってんだ。ただ神罰裁判の対象者を護送してただけじゃねえか! その男は無実の人間を何人も殺した殺人鬼だ! 裁かれて当然だろ!」
「お目付け役人がなぜ神使に忠実なのか。領主から派遣されているにすぎない護衛官が、なぜお目付け役人に忠実なのか。知ってるでしょ。お前たちもしていることなんだから」
男が言葉を詰まらせる。
「役得があるからだよね。金、女、酒、薬物、暴力……。日々領民から適当に生けにえを選び、わけ与える。腐りそうな部分は最初から腐らせておく。そうしてこの支配体制は維持されてきた」
「だからなんだってんだ! お前も神使なら、似たようなことはやってきただろ!」
「わたしは神使じゃない。だけど、そう。ずっと蓋をして、見て見ぬふりをしてきたという意味ではたしかに同罪かもしれない」
「だ、だろ? わかってくれるよな?」
「だから、見て見ぬふりはもうやめようと思う」
しりもちをついたままの彼に、一歩近づく。
「話せば生かすって、生かすって言ったじゃねえかよ!」
「護衛官を襲った犯人と、移送者を殺したという報告をしたあと、お前たちはなぜか行方不明になった」
「やめろ……やめてくれえ!」
腹ばいになって逃げる男のことを、足で小突いた。胸と腹がはじけ飛んだ。
久瀬と鈴李の前まで歩いていき、その場に膝をつく。
そして二人の背中にそれぞれ右手と左手を当てる。
「2,3,5,226,224,132、52、35、47」
ふと、自嘲の笑みがこぼれる。
気に入らないものは殺して、気に入ったものはよみがえらせて。
かつて慈悲神のしたことと一体何が違うのか。
それでも久瀬には、生きていてほしかった。
彼の生きざまは美しい。
まだ、彼には人のためになせることがある。
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