4 奇襲
道中で雨が降り出した。
幸い、ここに来るまでで、襲撃地点の目星を付けることはできた。炉地村周辺は未開拓地域のため、ほとんど人の手が入っていないのが大きい。街道のすぐ横に入るだけで、身を隠せる木々や枝葉がうっそうとおいしげっている。
久瀬が目を付けたのは、輸送仕事で苦労するもっとも勾配の激しい坂の、下りに差し掛かる場所だった。坂の頂点を通り過ぎたところで後ろから襲えば、敵は坂に足を取られる羽目になる。
あの裁判のとき、配置された護衛官は10人だった。移送に全員送り込むとは考えにくいから、移送にかける人数は、希望的観測で4人。最悪で8人。
神罰裁判の結果に逆らうことは、神使代行であるお目付け役人の決定に、異議を唱えるということ。こんな
久瀬は雨に濡れながら、付近にある大きな石をできるだけ集めて、襲撃予定地点に隠した。そして自らは、うっそうと生い茂る葉をかきわけ地面に伏せた。木の葉の隙間から落ちてくる雨粒に、体はびしょ濡れ。祝宴のときに新調したばかりの武道服はもう泥だらけだ。武道服の隙間から、雨で活発になったヤスデやらアリやらが、肌の上に迷い込んでくる。気味の悪い感触にもめげず、久瀬はじっと耐えた。
空腹を訴える腹の虫は、度を越すと腹をいじめはじめた。時計がないので、昼なのか夜なのかもわからない。いつも赤い空は、時間を教えてはくれない。立ち上がろうとしたら、配達人や行商人だった、ということを何度か繰り返しながら、ただひたすら、足音に耳を澄ませる。
雨は強くなったり弱くなったりを繰り返しながらしとしと降り続き、時間の境界をぼやけさせていく。そう低くない気温のはずなのに、濡れた武道服はぴったり肌にはりついて徐々に体温を奪い、からだがいやおうなしに震え始める。久瀬はひたすらに機会を待った。
複数人の話し声が遠くから聞こえる。少なくとも3人。ここまで、同時にこの道を通ったのは多くて2人。こんな辺境に隊列をなしてやってくる人間たちなど、そういない。
久瀬は、近くに置いていた包丁の柄を手に取って、そこにあることを確かめたあと、もう一度置き直し、静かに立ち上がった。
足音が徐々に遠ざかっていく。
まずは、石。
久瀬はためこんだ大石のうちのひとつを、踏ん張りながら持ち上げた。
足音を極力立てないよう、しかし素早く。剣術で鍛えた足さばきで、ぬかるむ泥道に躍り出た。
黒い武道服の集団が、坂を下っている。雨でぼやけてはいるが、人数は確実に数えられる。1、2、3、4、5、6、7、8……真ん中にいる、ひとつだけ小さなシルエットを合わせると9人。どうやら、想定の中の最悪を引いたらしい。
それでも、やるしかなかった。久瀬は大石を振りかぶり、一番後ろを歩いていた人間に向かって思い切り投げつけた。結果を見ずに、次々に置いてある大石を投げる。
襲撃に気づいた護衛官たちが、隊列を整えようとしたが、石に頭を割られた人間がいたり、よけようとして泥に足をとられて滑り落ちていく人間がいたり、石にやられた人間が転がり別の人間にぶつかるなど、見るも無残にくずれていた。
久瀬は包丁2本を拾い、それを両手に構えて、坂を駆け下りた。隊列の混乱に乗じて接近して、一番早く刀を抜いた護衛官の脇腹に突進し、突き刺した。すぐに抜いて、隣にいた男の胸に突き刺す。深く刺さりすぎてしまったので、抜くのをあきらめ、左手の包丁を右手に持ち替える。
立っているのは残り3人。ひとりは、混乱の中で右腕を折ったようで、刀を抜けていない。狙いを定めてとびかかり腹に突き刺す。刀を抜く音が耳元で聞こえた。久瀬は、石に頭を割られてうめいている護衛官のもとへ転がった。同士討ちを嫌ってか、刀は振り下ろされなかった。
久瀬はその隙に木刀を抜いて左手に持ち替え、落ちていた抜き身の刀も右手に拾って立ち上がった。
立っているのは2人。片方の持ち主は隙のない中段の構えで、片方は上段に構えている。
「エエエエエイッ!」
上段に構えたほうが、突進してくる。
目の端でとらえた中段のほうは、刀を少し引いて薙ぎの構え。久瀬が上段を受け止めてがら空きになった横腹を狙うつもりだろう。
久瀬は左手に持った木刀を、薙ぎの構えを見せた中段の男に投げつけた。中段の男は薙ぎから手首を返して木刀をはじいた。
上段の男が振り下ろした刀は、こちらも刀で受け止める。衝撃を叩きつけられた刀が、一瞬で刃こぼれしたのが感覚としてわかった。
『人体の破壊。やり方はいくつもある』
師匠の声がよぎる。
久瀬はその刃こぼれした部分を、相手の刀に対してななめに滑らせた。そのまま相手の刀の刀身に沿うように刀をすべらせていき、一気に体ごと接近する。そして、刃の根元を押し付け、上段の男の右手に深い切り傷を付けた。上段の男は久瀬と体ごとぶつかった衝撃と右手の痛みで、刀を取り落とした。勢いの余韻を使って、まだ刃こぼれしていない切っ先で、上段の男の太ももを斬りつけた。バランスを崩した上段の男の肩口をつかんで引っ張り、中段の男の前に放り出す。久瀬を斬りつけようとしていた中段の男は、慌てて刀をそらすが間に合わず、上段の男を斬りつけてしまう。
上段の男が取り落とした刀を拾い、上段の男の陰から、中段の男の腹に向かって突き出す。それは見事に中段の男の正中をとらえ、彼は上段の男ともども、その場に倒れ伏した。
どしゃぶりの雨の中、返り血で真っ赤に染まった久瀬は、荒い息を吐きながら、足元に転がる護衛官たちを、ひとりひとり検分していった。大石にやられている者の下に、ひとり、息をひそめている人間がいた。
「こ、殺さないでくれえ……俺には、女房も、子供も」
久瀬が一瞬ためらうと、男が隠し持っていた小太刀を取り出し、足を斬りつけてきた。
久瀬はすぐにその頭に刀を突き落としたが、間に合わず、小太刀の刃は、右足の太ももをえぐった。
痛みに顔をしかめながら、死体の数を数える。今殺したのが1人、大石で殺したのが2人、包丁で殺したのが3人、奪った刀で殺したのが2人。
8人。
残りの1人を探すと、彼女は、先ほどの男と同じように、死んだ男の下に潜り込んでいた。
「もう、大丈夫だ」
久瀬はそういって、震える鈴李に左手を伸ばした。彼女は脱臼していなかったほうの左手で、久瀬の手をつかんだ。
鈴李の体を引き上げるとき、右足に軽く力を入れただけなのに、太ももの傷が痛んだ。厄介な置き土産をされた。
「おにーさん……ごめんなさい……わたしなんかのために、こんな……」
雨音にかき消されそうなかすれた声。
よく頑張ったと抱きしめてやりたいところだが、今の彼女にそんなことをしたら、けがを悪化させるだけだ。
代わりに久瀬は、彼女の頭に手を置いた。
「謝ることなんてない。お前は何も悪くない」
「でも……護衛官とか、お目付け役人たちは、みんな、わたしが悪いって言ってた。わたしの罪を、殴って軽くしてやってるんだって。わたしも、そうなんじゃないかって思う……」
「違う! お前はただ、時計を作ればいろんな人たちが喜んくれると思った。そうだろ?」
「うん」
「あんなろくでもないやつらが、正しいわけねえ。お前は何も間違ってない」
「本当に、そう……なのかなあ……?」
「鈴李が鈴李を信じられなくても、俺は言い続ける。お前は何も悪くない。何も悪くない」
「うっ……うぅ……」
鈴李の嗚咽が少しずつ大きくなっていく。
そして空を仰ぎ見て、かすれた大声で泣き始める。
――なあ戦闘人形。俺は、自分がよくないことをしたとはどうしても思えないんだ。この子を、遠い異国の牢獄でひとり、死なせずに済んだんだから。
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