3 腹をくくる
久瀬は宿の自室に戻って、床の上にあおむけに寝転んだ。
裁判の最後、久瀬の叫びに気づいた鈴李は、首を激しく横に振って、半開きの口から何かを伝えようとしていた。
何か。
そんなもの、分かり切っている。久瀬を巻き込まないように、久瀬の行動をやめさせようとしたのだ。
……なんであの状況で、人の心配なんかできるんだ。
久瀬の目の奥がつんとして、涙がとめどなくあふれてくる。
……俺は保身でお前を見捨てたのに。
あまりの不甲斐なさに、久瀬は嗚咽を漏らしながら、床の上に丸まった。
鈴李の顔はひどかった。右腕は間違いなく脱臼しているのに、はめ直してもらった様子がなかった。正座させられたときの痛がり方からすると、足の骨だって、ひびのひとつやふたつ、入っていてもおかしくなかった。あのままにしておいたら、彼女の体は後遺症でものを作れなくなってしまうかもしれない。痛みでおかしくなってしまうかもしれない。
どうしてただの少女にあそこまでする必要があるのか。わからない。わからないことだらけだ。領主に対する不信感とは違い、この村に来るまでは、お目付け役人のことを悪く思ったことはなかった。慈悲神や神使の代わりに、
久瀬にはもう、何もわからなかった。赤子のようにひたすら泣いた。
泣き止むと、否応ない現実が、目の前に戻ってきた。
このままだと鈴李は死ぬ。生き地獄と評される牢獄で、毎日毎日泣きながら過ごし、最後には泣く力もなくなって、ぼろきれのようになって死ぬ。そんな結末は許せない。あの少女が、そんな目に遭って死ぬいわれなんて、どこにもないのだから。
久瀬は武道服の裾で、両目の水気を切り、立ち上がった。
宿から出た久瀬は、工房に寄って、包丁を2本買った。職人と話すと、工房長は、宿の2階で鈴李の母を介抱しているという。自慢の一人娘を理不尽にも奪われようとしている鈴李の母の絶望は、いかばかりか。
終身投獄を言い渡された人間は、神在都市リンナバラへ移送される。つまり、その移送の道中が、彼女を助け出す最後の機会になる。
ここは天津原の最東端だ。移送するためには、必ず、あの門を通る。戦闘人形が守っているあの門を。彼女は長い間、村を守ってきた。味方に引き入れることができれば、鈴李を助けられる可能性は飛躍的に高まる。移送の日時はわからないが、とにかく戦闘人形を説得し、あの場所で待つ。それがいま、自分にできる唯一のこと。
神罰裁判があったことを知っているのかいないのか、戦闘人形は、いつもの門柱に寄りかかって、地面を見つめていた。
「戦闘人形。頼みがある」
久瀬が呼びかけると、彼女は顔を上げた。訓練を繰り返しているうちに、彼女はずいぶん早く反応を返してくれるようになった。
「村で神罰裁判があったのは知ってるか?」
「知っている。世俗役人の、演説も聞いた」
「なら、前置きは要らないな。あの子を助けるのを手伝ってくれ。お前がいれば絶対に助けられる」
久瀬は頭を下げた。
「頭を下げる必要はないよ」
戦闘人形は、つぶやくように言った。
「じゃあ」
久瀬の期待は、続いた戦闘人形の言葉で裏切られた。
「わたしには、できないから」
久瀬は予想外の言葉にたじろぎながら、
「どうしてできないんだ?」
やっとそれだけを絞り出した。
「わたしは、この村に住む人たちを、守りたい」
「そうだろ? だから、この村の女の子を助けるんだろ? お前がいたら絶対に助けられるんだ! 頼むから手を貸してくれ!」
「慈悲神に逆らって、生きている人間はいない」
戦闘人形は、冷たく事実だけを言い放った。
「ひとりの命より、村人全員の安全が大事」
「そのためなら、あの子が苦しみながら死んでもいいってのか」
「そう」
かっと頭に血が上った。
「お前……!」
血が上ったけれど、殴りかかる寸前でどうにかこらえた。
今回の事態の原因は、戦闘人形ではない。
「逆らうなんて考えないほうがいい。お前の力で、鈴李は救えない」
戦闘人形が、無情な事実を突きつけてくる。
「神使やお目付け役人は強い。移送を妨害した場合、お目付け役人の気分で、村人が皆殺しにされる可能性もある」
言い合いの中で、戦闘人形のしゃべり方が、さらになめらかになっている。
「だから、鈴李が死にに行くのを黙って見送れと」
「何度も言わせないで」
「……お前の力なら、相手が誰だろうが守れるだろ」
「守れる。最初は。でも、2度目、3度目、4度目は? 勝てるかもしれない。でも、村人たちは普通の生活を送れなくなる。それは守ったことにはならない」
彼女の中にある、確固たる信念にもとづいた反論。
久瀬は、今の自分の力では、戦闘人形の不安に対して、なんら保証ができないことを知った。
彼女は呼び名のような人形ではない。人間だ。
その信念を
「そうだな。お前の言うとおりだ。俺は、神使にはきっと勝てない。俺が余計なことをするせいで、お前の大事にしている村人を、危険に巻き込んでしまうかもしれない」
「わかってくれたみたいで、よかった」
その声が安堵の感情をおびていたのは、気のせいだろうか。
心配してくれている?
……まさかな。
久瀬は笑って、戦闘人形から視線を外した。
慣れ親しんだ門にも背を向ける。
はじめから戦闘人形に頼り、彼女を引き込もうとした時点で、覚悟が決まっていなかった。
久瀬はようやく本当の意味で、腹をくくった。
「ひとりで、どうにかやってみるわ。無理言って悪かったな」
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