2 神罰裁判

 胸に押し寄せる不安を振り払うように、久瀬はその3日間、戦闘人形に徹底的に訓練してもらい、体をいじめ抜いた。

 戦闘人形にはときどき動きをほめられたが、そんな些細な喜びも、あっという間に消えていった。

 すべては3日後。3日後、ひとりの少女の運命が決まる。

 



 裁判の日の朝もいつもと変わらなかった。空ではオレンジ色と紫色のグラデーションが揺れ、ぬるい風が襟元から入り込んで、武道服をなびかせる。宿を出て、時計台を見上げて時間を確認する。午前8時。裁判の開廷は10時の予定だ。


 時計台の下の広場では祝宴で作られたステージがそのまま残され、ステージの中央には演説台がひとつ、ぽつりと置かれている。ステージの前の広いスペースは、真ん中をぽっかりと開けたまま、ぐるりと柵で囲われている。柵は久瀬の背よりも高い。お目付け役から選ばれた村人たちが、3日のあいだにつくりあげたものだ。あの柵の中に、鈴李が呼ばれるのだろう。


 演説台をじっと見つめていると、詰所の中から、久瀬と同じ黒い武道服に身を包んだ人間たちが10人ほどやってきた。彼らは出入口以外に柵のゆるみがないかひとつひとつ丁寧に確かめた後、柵をさらに囲うようにして、立った。


 四角く並べられた柵の、左側の辺で待っていた久瀬は、目の前にやってきたひとりと目が合った。彼は柵のすぐ近くに陣取る、怪しげな武芸者である久瀬をにらみつけてくる。


 お目付け役人を守る護衛官は、村が雇う警備人と同様、帯刀を許されている。開廷前にひと悶着もんちゃく起こす気はなかったので、柵から少し離れた。護衛官の顔を見ると、まだ近い、というように首を横に振られた。顔色をうかがいながらある程度まで離れると、「そこでいい」と言うように護衛官が頷いた。柵から7~8メートルくらいは離されてしまった。


 けれどここからなら、鈴李の表情もぎりぎり見えるだろう。


 地面に座りこんで待っていると、徐々に村人たちも集まってきた。今回の神罰裁判は、祝宴以外ではめったにない、村にいる人間全てが強制参加の『もよおしごと』だった。


 10時になり、鐘が鳴らされる。


 ステージの端にお目付け役人たちがやってきて、姿勢よく立つ。世俗に関わることのない彼らは、あくまで傍観者として出席している、ということなのだろう。


 お目付け役人ではなく、領主から派遣されている世俗役人が、演説台の前にやってきた。


 遅れて、鈴李が、護衛官の男たちに引き連れられてやってくる。


 彼女は見るからにふらふらで、足取りがあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた。


 そして真ん中へきたところで、観衆にどよめきが起きた。久瀬もその中の一人だった。久瀬とは反対側の柵の前からは、ひときわ甲高い悲鳴が上がった。そこには鈴李の母と工房長がいた。


 鈴李は、顔をぼこぼこに殴られていた。右まぶたと唇は無残に青く腫れあがり、鼻は曲がって鼻血のながれたあとがくっきり見て取れる。この状況でなければ、とても鈴李だとわからない。


 顔以外もひどい。右腕は力なく垂れ下がり、左腕にも内出血がいくつも見て取れる。キャミソールの下はわからないが、無事だとは思えない。


 これは現実、それとも夢なのか……?


 護衛官の男が鋭い視線を送ってくる。


 久瀬はただ、こぶしを握り締め、鈴李を眺めることしかできない。


 鈴李は地面の上に正座させられた。正座をさせられただけで鈴李は悲鳴を上げ、身をよじったが、連れている男に蹴られて、静かになった。


 鈴李の様子が伝われば伝わるほど、どこか祭りの延長のようだった、ゆるんだ空気は失せていった。


 これが、神罰裁判。


 鈴李の発する、水分交じりの呼吸音だけが、場にひびく。


 演説台前の世俗役人が、懐から、折りたたまれた紙を取り出した。


「えー。このたび、神罰裁判がり行われる運びと相成ったのは、わたくしたち天津原区の役人どもの不徳の致すところであります。お目付け役人様がたには、大変なご迷惑とご心配をおかけいたしました。お目付け役人様にこれ以上のお時間を取らせるのは大変無礼かと思いますので、さっそく本題に移らせていただきます。

 被告人は炉地ろじ村の鍛冶職人、鈴李」


 世俗役人は顔をあげ、一呼吸置いた。


「この者にかけられた嫌疑は『窃盗』『虚報』『冒涜ぼうとく』『反逆』の4つでございます。

 こやつめはあろうことか、お目付け役人様の詰め所に、盗みに入ったのでございます」


 聴衆がどよめく。

 落ち着くのを待って、世俗役人が続きを読み上げる。


「この女は事故により父を失ったあと母子家庭で育ちました。表面上はなんでもないふりを通していたようですが、実際は父の残した借金にまみれ、金銭面でたいへん不自由しておりました。

 そこである日、この女はお目付け役人様の詰め所ならば、とびきりの金品があると考えた。そして盗みに入り、盗みそのものは成功させたのです。


 けれどこの女は欲をかいた。金品だけでなく、なんと時計の製法までもを詰所から盗み、まるで自分が作ったかのように喧伝けんでんし、あまつさえそれを商品にしようとしたのです!」


 最初は鈴李のありさまに、彼女に同情的であったはずの空気が少しずつ変わっていくのが分かる。


 世俗役人がつむぐ物語に、聴衆が吸い寄せられていく。


「本来、時を刻み、時をつかさどることは、永遠の時に住まわれる慈悲神や神使にしか許されぬものです。製法を盗み、神のみに許された御業みわざで金を稼ごうなどまったく言語道断!

 しかし寛大かんだいにも、お目付け役人様がたは、ここまで挙げた罪ならば、数年の牢入りで許そう、とおっしゃっておられた」


「なんとお優しい」


 ぼそりと感嘆の声が聞こえた。久瀬のうしろにいる村人の男だった。


「けれどこの女はあろうことか、慈悲で与えられた数年の牢入りすら拒否し、ちょっとした隙をついて、詰所から逃げ出そうとした!


 みなさまはこの女のありさまに疑問を抱いたでしょう。やりすぎではないのか、と」


 世俗役人は右手で鈴李を示した。


「この女は逃げだそうとした際、お目付け役人様のひとりともみあいになりました。女の抵抗激しく、お目付け役人様のひとりは首に噛みつかれ、大けがを負われました。その方はいまも治療中でございます。女はなおも死に物狂いで抵抗を続け、それを取り押さえた結果、このありさまとなったわけです」


 嘘だ。


 この男は嘘しか言っていない。 


 けれどわかる。わかってしまう。この世俗役人の、一切よどみのない朗々たる演説と、鈴李の潔白と、村人はどちらを信じるのか。


「さて、以上がこの件の顛末てんまつとなります。お目付け役人様の詰所に盗みに入った窃盗の罪。時計の製法を盗み自らの作だと喧伝けんでんした虚報の罪。時を商品とし不可侵の領域を踏み荒らした冒涜の罪。一度は許そうとしたお目付け役人様に裏切りと暴力をはたらいた反逆の罪。

 以上4つの罪を勘案かんあんし、合議した結果……」


 世俗役人はわざとらしく間を空け、


「このものを、終身投獄の刑に処すことになりました」


 判決を告げた。


 ――終身投獄。


 その刑罰を言い渡されたものが連れていかれるのは、神在都市リンナバラにあるという牢だ。そこでは世界から神の怒りに触れた者たちが集められ、棒打ち、鞭打ち、火責め、水責め、叱責、無飲食、身体拘束……七つの刑罰が毎日日替わりで行われる。


 生き地獄、とされている。


 久瀬は聞いた瞬間、怒りで目の前が真っ白になった。


「当初、極刑はさけられないという判断になりましたが、本人は現在では、深く反省し罪を自白したため、終身投獄で済ませることと……」


「い、言わせたんだろ!」


 しらじらしく嘘をつき続ける世俗役人に、耐えきれなくなり、叫んだ。


「無理やり自白させたんだろ、お前らが!」


 世俗役人をにらみつけながら、痛みに縮こまった少女を指さして、久瀬は絶叫する。


「あんな子供に、よってたかって! 恥ずかしいと思わないのか!」


 声が届いたのか、久瀬の指先で、鈴李が顔をこちらに向けた。彼女は激しく首を横に振り、開かない口を無理やりこじ開けて、何かを訴えかけようとしていた。


 興奮のあまり息を切らした久瀬は、お目付け役人にも何か言ってやろうと、彼ら彼女らのほうを向いた。彼らは久瀬のことなど見てすらいなかった。ただぼんやりと空や足元を見つめ、この退屈な法廷が終わるのを待っていた。


 久瀬は連中に何を言っても無駄だと悟り、村人たちの方に向き直る。


「みんなもおかしいと思うだろ!?」


 久瀬は怒鳴ってから、周りを見回した。


 村人たちは、怪訝けげんな表情を浮かべていた。久瀬が何に怒っているのかわかっていないようだった。


 久瀬の言葉は、何の影響も生み出さなかった。


 叫びは場の静寂に、あっという間に呑み込まれて行く。


 もう一度鈴李のほうに向きなおろうとしたところで、激しい衝撃を左頬に受け、久瀬は倒れ込んだ。


 地面に肘をついて半身になりながら見上げると、護衛官の男が久瀬を見下ろしていた。


「貴様も、終身投獄の刑を受けたいのか?」


 久瀬はそう言われた途端、肌があわ立ち、自分の体がなまりのように重くなったことを自覚した。


 なんでだ。


 どうしてだ。


 いますぐ目の前の男を倒して柵を破り、鈴李を連れ出して逃がせばいい。それだけだ。


 まさか神罰裁判でそんなことが起きるとは、この場の誰も思っていない。やるしかない。


 それなのに、体を動かせなかった。


「以上で神罰裁判を終える。村の者ども、足労すまなかったな。それぞれの仕事に戻ってくれ」


 鈴李が手縄を引っ張り上げられ、小さく悲鳴を上げながら、立ち上がった。


 暴力の嵐に遭い、丸まった背中が、少しずつ遠ざかっていく。


「あ……あぁ……」


 情けないうめき声が口から漏れ出す。


 鈴李の背中は、護衛官たちの背に隠れ、見えなくなった。











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