3章 自分を取り戻す戦闘人形

1 連行

 月に一度の祝宴には慣れても、二日酔いというやつには慣れない。


 目を開けるよりも先に頭痛と吐き気を覚えた。体を起こすと、骨が鳴った。ここはどこだと見渡すと、見慣れた木々と地面が目に入り、いつもの門の前だと気付いた。


「やっと起きたか」


 聞こえた声に振り向くと、隣に戦闘人形が座っていた。

 そういえば、昨日はここで酔いつぶれたんだったか。


「悪い。邪魔だったよな」

「邪魔だった」


 らしい答えに、久瀬は笑う。


「帰るわ」

「でも、お前の寝顔を見ていたら、どうしてかほっとした。少しなら邪魔しに来てもいい」


 戦闘人形は地面を見つめたまま言った。


「なら、飯食ったら、またくるかな」

「少しならって言ったでしょ」


 非難がましい声音を聞いた久瀬は、今度は、おかしさではなくて、喜びに口元をほころばせた。彼女が鈍らせてきた自身の感情を、少しでも取り戻せる手伝いをできているのかもしれない。




 酒の入ったひょうたんをかごに入れ、かごを背負って、門の中に入っていく。


 行きがけに茶漬けでも食べて口の中をさっぱりさせようか、と考え、門のすぐ近くにある茶屋まで歩いた。のれんをくぐって


「茶漬けひとつくれー」


 と大声を出してみたが、誰もいない。まだ店を開いていないなら、のれんは出さないだろう。出ているのに、誰もいない。


 首を傾げながら茶屋を出て、通りに戻る。いきなり宿のふかし芋と干し肉を食べるのは気が進まないが、仕方ない。井戸の裏手で水を飲んでから食べよう。


 久瀬の頭痛と、まだ片付けられていない表通りの提灯たちに、昨日の名残りが残っている。さまざまな仕事はきょうから再開……しているはずなのだが、通りに人が一人もいない。不気味だ。


 しばらく歩いていると、工房の前にさしかかったところで、ようやく人がいた。人が見つかったはいいが、今度は逆に、人が何十人も詰めかけていて、この辺境では異様な人だかりになっている。これはこれで別の不気味さだった。


 さきほど探していた茶屋の主人が、人だかりの後方で背伸びしている。


 久瀬はその背中に、


「おやっさん、こりゃ何の騒ぎだ」


 と声をかけた。


「おお、武芸者のにーちゃんかい。それが、俺たちにもよくわからねえんだ」

「よくわからないのに集まってることはねえだろ」

「ほら、工房に、女の子いるだろ。おもちゃとか作って、子供喜ばせてる女の子が」

「あー、鈴李のことか?」

「そんな名前だっけな。とにかく、その子が、なにかやったらしいんだ。いま、お目付け役人様たちがやってきて、工房の連中ともめててよ」

「はあ?」


 なぜ鈴李が、そんなことになっているのだろう。過去にお目付け役人とやり合った話を聞いたときもあったが、とんぼのおもちゃに、小さな荷車模型、そんなもの、取り上げて終わる話のはずだ。工場こうばで見せてくれた最新作も、特に危険なものじゃない。時計だ。これほど人だかりの起きる騒ぎになるはずがない。


「待ってくれお役人様! もっとしっかり話を聞いてほしい!」


 大きく通る、工房長のしゃがれ声が聞こえた後、人波が割れた。割れたところからはお目付け役人たちがずんずん歩いてくる。


「その子はこの村の宝だ、乱暴な真似をしないでくれ!」


 彼らは工房長の言葉などまるで聞こえないように進んでいく。やがてお目付け役人たちは、他の人々と同じように道を空けた久瀬の前を通り過ぎていく。


 1人、2人、3人、4人……。


 5人目が、キャミソールを着た黒いショートカットの女の子だった。


 顔面蒼白の鈴李は、罪人のように両手を背中の後ろで縛られ、無理やり歩かされている。鈴李の真後ろにいるお目付け役人が、彼女の両手首からのびた縄の先をしっかりつかんでいる。


 久瀬はあまりにも突然の出来事に理解が追い付かず、縛られている鈴李が時計台の方へ――お目付け役人の詰め所があるほうへ連れていかれるのを、呆然と見送るだけになってしまった。


「いまの、どう見ても、鈴李だよな? なんで、こんな……」


 きのう、祝宴ではしゃいでいた子だ。ただ、ものをつくるのが好きなだけの……。


 人波は崩れたまま流れ、静かに解散していく。


「なにか盗んだのか?」

「いやわからねえ。時計がどうのこうのってのは聞いたが」

「実は手癖の悪い子だったのかもしれねえぞ」

「作っちゃまずいもんでも作っちまったのかねえ」

「一見善人だが裏じゃ別の顔があるなんてのはよくある話だ」

「工房長はかばっていたが、お目付け役人様にしょっぴかれるような真似をするほうが悪いんじゃないのかい」

「いままでずっとうまくやってきたってのに、妙なことになるのだけは勘弁してほしいよ」

「あいつは妙にこざかしいところがあったからな。大人をだましていても驚かんな」


 好き勝手に鈴李を評価する声が耳に残る。


「俺も茶屋に戻るわ。元気出せよ」


 立ち尽くしている久瀬の肩に手を回し、気づかわしげに言ったあと、茶屋の主人も去っていった。


 工房の一般販売所、カゴが売られている平棚の隣で、ひとりの女がうずくまって、肩を震わせ泣きじゃくっている。宿の主人……鈴李の母親だ。


 鈴李の母の肩を抱いているのは女の職人のひとりで、彼女もまた泣いている。他の職人たちも目に涙を浮かべたり、沈痛な面持ちを浮かべたりして、それぞれひとことずつ鈴李の母を気遣う言葉をかけたあと、店の奥に歩いて行った。


 工房長が、女2人のいる場所より玄関側の、食器の売られている平棚の前で腕を組み、しかめ面で目を閉じている。


 この場でかろうじて事情を聞けそうな雰囲気があるのは、工房長だけだ。


「工房長」


 鈴李が工房を案内してくれたとき、気さくに声をかけてくれた壮年の男に声をかける。

 彼は目を開けると、ひとつ息を吐いた。


「見ての通りだ。鈴李がお目付け役人どもに連れていかれちまった」


「理由を聞いてもいいですか」


「時計だ。あいつら、最初は2人組で検分に来てたんだが、今日の検分で、鈴李が作った時計を手に取ったんだ。そうしたら、血相変えて飛んで行って、詰所からぞろぞろ仲間引き連れて……」


 工房長は、そこまで言うと言葉にならない悪態をついた。


「俺たちも押しとどめようと、必死に周りを囲んで何十分も抵抗したんだが。『これ以上邪魔だてすれば貴様らにも神罰が下るぞ』って脅されて、さすがにびびっちまってよ……」


 どうすれば鈴李を助けられるのか。話を聞きながら考えていた久瀬は、ひとつの言葉に引っ掛かった。


「貴様らにも? 貴様らにも、って言ったんですか、連中は」


「ああ……鈴李はおそらく、神罰裁判を受けさせられる」


 久瀬は一瞬、立ちくらみのような感覚を覚えた。


 そんな単語が出てきてしまうと、助けられない可能性が出てくる。


「なんで、そんなことに……」


 神罰裁判は、慈悲神や神使に対して危害を加えたもの、危害を加える恐れのあるものが被告人となり開かれる。


 汚職もなく、致命的な失政もなく、大規模な騒乱もない。慈悲神や神使はこの世界を上手く治めているというのが、久瀬含め、大多数の人間たちの見方だ。日常的な不満はあるにせよ、それらは直接の『領主』たちに吸収される。「世界そのもの」である慈悲神や神使に歯向かうという、発想自体がない。


 だから神罰裁判は、お目付け役人たちがする演説を聞く場になりがちだ。その対象になった時点で、もう罪は決まっている、と言ってもいいかもしれない。


「俺が悪いんだ。俺があいつに工場こうばなんて言って、自由に道具作りをさせちまったから……。荷車のおもちゃを取り上げられたときに、止めときゃよかったんだ。小型時計だって、完成品を一番に見せてもらった。自分のことのように誇らしかった。こいつはシャレにならねえくらいすげえもんを作りやがったぞ! ってな。時計が、あんなにお目付け役人どもを怒らせるなんて、想像もしてなかった……。大事な一人娘を預かっておきながら、なんてザマだ! 鈴李のおふくろさんに申し訳が立たねえ……」


 工房長はまくしたてると頭を抱え、その場にしゃがみこんだ。


 鈴李に完成間近の時計を見せてもらった時、素人の久瀬でも、難しさが分かった。細かい部品と複雑な歯車のかみ合わせがどれほどの失敗を繰り返して編み出されたものなのか、簡単に想像がついた。彼女は時計を触るとき、まるで赤子を抱く母親のような顔をしていた。


 完成品を工房長に見せるため駆け寄る鈴李の姿が、簡単に目に浮かぶ。お目付け役人たちの検分を終えたら、工房長と、鈴李以外にも生産は可能なのか、値段はどうするかなど、細かい詰めに入るつもりだったはずだ。そのとき、久瀬がここを通りかかれば、笑顔で時計の完成を知らせてくれる鈴李がいたのだろう。


 実際には、検分ではじかれた。弾かれた段階では、もちろん大きな不満もあったろうが、また別のものを作ればいい、くらいに考えていたかもしれない。けれど、話はそこで終わらず、神罰どうこうまで話が大きくなってしまった。


 自分が良かれと思ってしたことが――実際、彼女はただ、時計を作ってみんなに喜んでもらいたかっただけだ――、とんでもない騒動になっていく。そのときの鈴李の不安ときたら、どのくらい大きなものだっただろうか。


 久瀬はこぶしを強く握り、自らの腰のあたりを何度も、したたかに打った。


「工房長は絶対に悪くねえ。鈴李も絶対に悪くねえ! 時計を作ったら神罰だなんて、そんなおかしな話があるかよ!」


 髪をかきむしっていた工房長が顔を上げ、涙を浮かべながら、何度もうなずいた。


「そうだ。あんたの言う通りだな。鈴李は悪事なんてしちゃいない。有罪になるはずがないんだ!」


 工房長はいくぶんか冷静さを取り戻した顔で言い切ると、立ち上がり、宿の主人――鈴李の母のほうへと歩いて行った。


「おふくろさん。大丈夫だ。まだ神罰が下ると決まったわけじゃない。裁判はここ何日かのうちに行われるはずだ、そこで無罪になって、また笑顔で戻ってくるさ」


 工房長が言うと、泣き疲れてその場にくずれそうになっていた鈴李の母は、工房長を見上げ、頷いた。

 その気休めに、無理にでもすがろうと決めたようだった。


「そう……そうですよね。あの子、夫が死んでから、わたしのこと楽させてやるって、この仕事をはじめたんですよ……あんないい子が、神罰なんて受けていいはずない」


「そうだ! その通りだ!」


 工房長が力強くう。


「俺も!」


 久瀬も、宿の主人としていつもよくしてくれる彼女を勇気づけたくて、工房長に続いた。


「俺も、鈴李とは出会ってひと月くらいしかたってないけど、あいつが、いいやつだってのはわかります! 絶対大丈夫! 絶対に大丈夫ですよ!」


 鈴李の母は、涙を一粒こぼしてから、何度も何度もうなずいていた。

 宿に戻る途中で、時計台近くに、早くも立て札が置かれていた。

 その立て札によれば、神罰裁判は3日後に行われるらしい。















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