5 酔い
表通りのベンチがだいたい埋まっていたので、仕方なく、いつも塔見と顔を合わせることが多い宿屋の裏庭に移動した。
お互い反対方向から井戸に寄り掛かって、ちびちびと酒を飲む。祝宴の酒は、どこの村で飲んでも似たような味がする。独特の苦みと辛みが癖になる。
「戦闘人形とはその
「おお。そういやお前とは、山で迎えに来てもらったのが最後だったな」
「その声の様子だと、何か進展があったようですね」
「あいつと言葉を交わした」
塔見がむせて、咳をし始めた。
立ち上がる気配がして、塔見が井戸を回り込んできた。途中で久瀬ののばしていた足に引っ掛かり、地面に転がった。
膝立ちのまま、両手をついて虫のように這ってくる。
「な、なにを、何を話したんですかあの人形は! 名前はあるんですか? 本当に100年以上も生きているんですか? 人形ならだれに作られたんですか? 人間ならなぜ百数十年も生きていられるんですか? なぜ害光をつかってもとがめられないんですか? あの本は人形自身が書いたものなんですか? 他にも本は残っているんですか!?」
目を血走らせてずんずん寄ってくる塔見の頬を右手でつかみ、押しつぶしながら、
「ぜんぶ話してやるから落ち着け」
とたしなめた。
塔見はそれでやっと落ち着いた。
「まず、名前は教えてくれなかった」
「名前も聞き出せてないんですか! 聞きださないとだめですよ! 名前で出身地や出身時代がわかるかもしれないんですから! あーあ。がっかりですよ」
塔見がさっそく話の腰を折ってくる。
「なら、もうこれ以上話すことはないな」
「あっ、嘘、嘘。相手が言わなかったならしょうがないですよねえ。しょうがないしょうがない、久瀬さんはできることをやってますよね!」
塔見があからさまなほど態度を変えて、ごまをすってくる。
いつもと違いすぎる態度が面白く、意地悪してやりたくなるが――塔見のおかげで話すきっかけがつかめたのもあるから、あまりいじめないでおいてやるか。
「まずあいつは、自分のことは人間だと言っていた」
「やはりそうですか。自分のことを人間と思いこむほどの知性をもった人形、という可能性もありますが、そんな超文明が数百年前に存在したとは想像しにくいですね。基本的には人間と考えてよさそうです」
「年齢は覚えていないが、この村ができたときからここにいる、と」
「本当ですか!?」
「お、おお」
塔見の声がいきなり高くなった。
「この村が付近の村に残る資料に登場するようになったのはおよそ170年程前です。つまりあの人間は、最低でも170年以上生きていることになる……」
「170年? 妖怪じゃねーか」
「彼女は村人に絶対に危害を加えず、逆に、村を襲う盗賊のような連中からは常に守ってきた。もしかすると、彼女はこの村を作ることそのものにも関わっていたかもしれませんね。ああー、惜しい。当時のことを知っている人に話を聞けば、一発で事情が分かるのに!」
「なにか残ってないのか? 当時の村長の日記とか」
「こんな怪しげな男に、大事な先祖の日記を見せてくれる物好きがいるとでも?」
「自分で言うな」
「それに記録や伝承が残っているなら、村人たちもあの戦闘人形が何なのかわかっているはずですよ。答えは簡単、記録や伝承が残っていないか……あえて残さなかったか」
「あえて?」
「害光については何か言ってませんでしたか」
「お前の推測通りだったよ。あいつは害光の力を使って、あの強さみたいだ。俺たちの害光は体の外側にあるらしいけど、あいつのは内側をぐるぐるまわっているらしい」
「なるほど。だから、使っても感知されないのですね。長寿なのも害光が内側を循環していることと関係していそうですね」
「あとなんかあったかな……」
「声やしゃべり方はどうでしたか」
「声は女みたいで、言葉はカタコトだった。本人が言うには、ずっと喋っていなかったから、らしい」
「女性ですか。筋力の差は害光で補っているわけですね。普段は無視しているだけで、言葉もちゃんと通じると……。なるほどなるほど」
一字一句を頭に刻み付けるように、塔見は久瀬の言った内容を繰り返していく。
「こんなもんだな。あとは戦闘に関するアドバイスくらいだった。役に立ったか?」
「そりゃあもう!」
塔見が満面の笑みを浮かべたあと、ふと笑みをけしたが、また顔がゆるみだし、その場で高速の足踏みをし始めた。
「うおおおおおお……気になる気になる気になる~~~!」
塔見はまだ酒もさほど入っていないはずだが。
「お前もたいがい変人だよな……」
彼の突飛な行動を横目に、久瀬は酒をあおった。
塔見が「調査に行ってきます!」とどこかへ走り去ってしまったので、久瀬は酒を飲み歩きながら、門の方に向かった。けれど戦闘人形は珍しく、門の所にいなかった。山の方にでも行っているのだろうか。
酒で温まった体を、宵の風がなでていく。
久瀬は、いつも戦闘人形が座っている門柱に背を預けてみた。
左側に隣村とつながる道があり、正面にはただ地面と雑草と木々があるだけ。城下に近い村とは違い、この辺境の村を出入りする人間はあまり多くないから、違う景色になるのも日に3、4回くらいだろう。
人間が、こんなところに170年もいられるのだろうか。たまに本を読みに行ったり何かをやったりしているのかもしれないが、久瀬が通い詰めたあいだ、戦闘人形はほとんどここにいた。自分だったら絶対に耐えられない。10年もすれば確実に頭がおかしくなる自信がある。
酒を一気に何口か飲み下した。熱がのどを滑り落ちて、顔がほてってくる。
「なんでそこまでして、この村を守る?」
久瀬はつぶやく。
「目的は何なんだ」
酒をひとくち含む。
「わたしは、久瀬にも、同じことを聞きたい」
気配もなく、隣に戦闘人形が立っていた。
久瀬はもう、彼女が何をしても驚かない。
「どうしてわたしに、そこまでこだわるの」
「なぜって……」
強さの秘密を知るため。
わかり切ったことを伝えるだけでよかったが、なぜかその表現には違和感があった。
考える時間をおいても、戦闘人形はせかしたりしない。
判定人に19連勝で武芸硬貨を集めてきた自負を胸に、この村へ乗り込んできた。門にいた戦闘人形にあっさりやられ、心を折られた。それから、いたずらして無理やり干し肉を食わされたり、鐘の音を使った卑怯な攻撃をしかけて脅されたりした。強さをただ求めていただけなら、戦闘人形が本当にただの人形だったなら、脅されたあたりで、諦めて他の村へ行っていただろう。
けれど戦闘人形の中には明らかに、記憶を持った人間の面影があった。鐘の音を聞きながら戦った時の苦しみに、興味をひかれてしまった。
「気になるから?」
久瀬が上手く言えずに適当なことを言うと、戦闘人形がわざとらしくため息をついた。感情を示す仕草のようなものを見せるのは、あまりなかったような気がする。
「理由になってない」
すぐに戻る、と本人が言っていたように、本当に人形のようだった言葉遣い自体も、だんだんなめらかになってきている。
「そうとしか言いようがないからな」
久瀬はひと口酒を飲んだ。
戦闘人形が、酒をあおる久瀬を
「そのお酒、飲まないほうがいいよ」
「なんで?」
「お目付け役人は慈悲神の手先だから。信用しないほうがいい」
「手先なんて言い方は初めて聞いたな。神使の代行なんだから、間違ってはいねえけど」
また風が吹いて、さわさわと木の葉が揺れる。ほてった顔に心地いい。
「そっか。現代人の感覚からすれば、そうなるのか……」
戦闘人形は、顔を上げて、門柱に後頭部をくっつけた。
「わたしの理由は、約束」
「理由?」
「自分から聞いておいて……」
「ああ。村を守る理由か」
「ずっと昔に……。わたしがまだ完全な孤独ではなかった頃……お前みたいなおせっかいたちと一緒に、この村を作った。少し、お前が武芸者になった理由と似てる。わたしには、大きな流れは変えられなかった。だから、せめて自分にできることを探した……。そして仲間が死んで、リンナバラ以前の世界を知るものはいなくなった。わたしの存在は、この村にとって邪魔になる……それからは、ずっと、眠っていたようなものだった」
戦闘人形は淡々と言った。
「お前はわたしにとって、目覚ましのアラームみたいなものなのかもしれない」
「なんだ? あらーむって」
「ふふっ。ほめ言葉だよ。久瀬」
小さな笑い声がした。
久瀬はそのくすぐったさにどきりとして、戦闘人形を見上げた。
戦闘人形の目元はやわらかくこちらを見ていた。
「お前を見ていると、昔、わたしによく絡んできたやつを思い出すよ」
少しの間、その目のやさしさに見とれた久瀬は、我に返ると、酒に赤くした顔をさらに赤くして、視線を正面の木肌に戻した。
――相手は数百歳のばあさんだぞ。何を血迷ってんだ、俺。
自分でも予想外にすぎる煩悩を振り払うように、酒をあおる。
そのせいで余計に酒が回り、だんだんと眠気がやってきた。
「寝るなら、宿に戻れ」
酔いと眠りと
まとまらない思考のまま、久瀬は言葉を投げかける。
「ずっとひとりでこんなところにいて、お前は、寂しさとか、つらさとか、苦しさとか、感じなかったのか? 人はひとりで生きられるもんなのか?」
戦闘人形の応答は、さきほどまでより遅かった。
「わからない」
「お前はひとりで生きられたのか?」
「無理だった。だから、感覚や感情を、鈍くするよう努力したよ。そうしたら平気になった」
「よくわからない。それって、いいことじゃないだろ」
「いいことと悪いことは表と裏。わけられない。死は絶望で、死は救い。生は救いで、生は絶望」
戦闘人形がつぶやく。景色が揺れる。戦闘人形のからだの輪郭がぼやけはじめる。
久瀬はその言葉に、彼女の苦しみを感じた。
「お前は、なんだか、かわいそうだ……。村人を守り続けたお前は、もっと幸せになるべきなのに」
久瀬は起きていられなくなり、目を閉じた。
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