2 稽古

 久瀬は毎日、戦闘人形のもとへ通いながら、色々な話をした。


 1番目の判定人と戦って、意外な弱さに拍子抜けした話。2番目の判定人と戦って、気を引き締め直した話。3番目の判定人がよぼよぼのじいさんで手加減した話。4番目の判定人と戦った後に意気投合し、酒をみ交わした話、5番目の判定人の腕の骨を折ってしまい看病に何日か費やした話……。


 ここ数か月の修行の旅を、久瀬は事細かに話して聞かせた。相手のことを何一つ考えていない冗長なひとりがたり。久瀬は反応がなくても、人形に話しかけるのをやめなかった。


 人間の感情の現れは言葉や動作だけじゃない。お互いが感じている緊張はお互いに、ただ同じ空間にいるだけで、どことなく伝わるものだ。少し前までの戦闘人形と自分の間にもそれがあった。けれどいまは、その緊張がほどけはじめているのが実感としてある。ここへ来て1か月のあいだ、ほとんど毎日通いつめたことは無駄じゃなかった。


「なあ」


 素振りを終えた久瀬は、戦闘人形の近くまで行って、門柱に背をつけ座っている戦闘人形を見下ろした。

 緊張はとけても、こちらを見つめ返したりはしない。視線はずっと地面にある。


「害光が俺に使えない以上、お前と同じ場所に行けないのはわかった。けど俺は、お前に少しでも近づきたいんだ」


 久瀬は、頭を下げた。


「頼む! 俺の稽古けいこ相手になってくれ!」


 前に一度無視された、稽古依頼だった。


 しばらくのあいだ頭を下げていたが、特に反応はない。


 まだだめか……と顔を上げると、座っている戦闘人形がこちらをじっと見つめていた。


「強くなって、どうする」


「城下町の護衛部隊に採用されて、領主の近衛隊長まで上り詰めて、村に対する横暴を減らす」


 戦闘人形は首を横に振った。


「お前は、前にも、同じことを言っていた。でも、それはできない。近衛隊長は、政治と関われない」


「それはわかってる。でもな、警備の裁量でやれることは結構あるんだ。たとえば汚職役人をお目付け役人に突き出したり、盗賊が住み着いたら追い払ったり。近衛隊長にもなれば、もう少しいい線もいけるかもしれない」


「それは、問題の解決にならない」


「それもわかってるよ。でも、俺なんかができることは、せいぜいそのくらいだ……。俺が頑張って、俺みたいな子供を少しでも減らせれば、それでいい」


 まっすぐに自分の思いを伝えた。

 これでだめなら……また、やり直すだけだ。


 どのくらい時間がたっただろうか。

 しばらく無言で見つめ合った後、戦闘人形がゆっくりと立ち上がった。


「名前は」


「三崎村の久瀬くぜ。お前の名前は?」


 聞き返したが、それには答えてくれなかった。


 戦闘人形はその場で、両手をだらりと下げたあと、胸のあたりで拳を構え直した。


「来い。久瀬」


 久瀬は頷き、ベルトから木刀を抜いた。




 一番自信のあるの振り下ろしは軽々と避けられ、薙ぎは拳ではじかれ、突きは木刀を引いた瞬間にもう見極められている。


 やはり戦闘人形の動きは規格外だったが、稽古、という話になると、戦闘人形は手加減をしてくれるようだった。拳も当たる寸前で止めてくれている。


 だというのに、久瀬はあっという間に息が上がり、足がもつれ始めた。動きについて行けずひざから崩れ落ちたところで、戦闘人形は足を止めた。地面に這いつくばった久瀬は、呼吸を整えながら、木刀を杖に立ち上がる。あれだけ足腰も鍛えてきたのにこのありさま。情けなくて泣きたくなってくる。


「久瀬は素直。いいこと。でも、戦闘では悪いこと」

「はい」


 初めて得た、武芸の師のような存在。師と呼ぶのもおこがましいくらいの力量差もあり、自然と返事は素直なものになる。


「人体の破壊。やり方はいくつもある。首や腹以外にも、血は通っている。斬られると、急所でなくても、戦闘能力が落ちる。深く斬られると、戦えなくなる。最悪、死ぬ」


 戦闘人形は熊の毛皮の上から、右腕をなぞっていく。久瀬も自分の腕を見る。


「城下町の、護衛部隊は木刀を持たない。真剣と槍。戦い方を覚えて損はない」

「はい!」


 たしかに、首や体の中心部を狙いすぎていた。相手の狙いが分かるなら避けたり守ったりの難しさは格段に落ちる。


 久瀬は言われたとおり、腕や足も切りつけようとしたが、軽々と避けられる。


「だから、お前は素直すぎる。今度は、首や腹を狙えてない。織り交ぜて」

「わかった!」


 戦闘人形は、感情の揺れがほとんどない。だからこそ久瀬はここまでくるのに苦労したわけだが、これは、教わる側にまわるとありがたかった。下手なことをやっても、怒ることもなければ、嫌な顔や面倒な顔をすることもない。うまくいかなければ何度も同じことを、丁寧に繰り返してくれる。


 ずっと戦っていて、上からはいくら振り下ろしても避けられてしまうことがわかった。振り下ろす間にその場から戦闘人形が消えてしまっているからだ。


 そのため久瀬はいままでの上から構えるスタイルを捨てて、下からの切り上げを主体にした。それでも避けられるが、横ではなく、奥によけさせることになる。相手の動きが少しだけ複雑になる。


 下から切り上げて内ももを狙う。戦闘人形は足を下げて避ける。返す刀で、腹を狙う。それももう一歩下がって避けられる。動くたび、額から垂れてくる汗が目に入ってしみる。目を何度もしばたかせてこらえる。


「そう。そのほうが、わたしに、当たる」


 しかしあまり下段に集中しすぎると、


「敵はわたしだけじゃない。上からの攻撃も、相手の出方によっては強い」


 すかさず注意を受ける。


 全く手の届かない相手に何度も注意を受け、そのたび自分との絶望的な実力差をまざまざと見せつけられている。そのはずなのに、なぜか久瀬はうれしかった。ただがむしゃらに走り、木刀を振り、力押しに任せた見様見真似の我流剣術をふるってきた久瀬にとって、戦闘人形は最高の教え手だった。


 彼女はその久瀬を見て不思議そうに言う。


「どうして、苦しいのに笑う」


「最高の師匠と出会えたことがうれしくて」


 戦闘人形はじっと見つめてきた後、


「武芸は専門じゃない。もっといい師匠はきっといる」


「少なくとも俺は知らない」


「よくわからない。久瀬は、わたしを評価しすぎている。脅されても逃げない。勝手に喋る。相手にするの、疲れる」


「まだまだ付き合ってもらうぞ。俺が城下を変えられるぐらい強くなれるまで」


「本当に面倒」




 久瀬が今度こそ本当に足腰が立たなくなったころ、稽古は終わった。

 結局、戦闘人形には一太刀も入れられなかったけれど、きょう一日だけで、ずいぶん自分の戦い方に幅ができたように思える。


「お前は、いつからこの村にいるんだ」


 オレンジ色の空の下、大の字に寝転んでいる久瀬は、気になっていたことのひとつを尋ねる。


「訓練は終わった。帰れ」


「いつからこの村にいるんだよ」


「帰れ」


「いつからこの村にいる」


「……はじめから」


「はじめからって……この村ができたときから?」


「そう」


「いったい何歳だよ」


「もう、覚えていない。覚えていられない。長く、生きすぎた」


「人間? 人形?」


「人間だと、自分では思っている」


「普通の人間は百何十年も生きられねえんだよなあ……」


「わたしは普通と違う。それだけ」


「喋り方がぎこちないのは、人形だからな気もするが」


「ずっと、しゃべっていなかったから。聞く方は、村人たちの話を聞いてる。頭の中ではこの言葉で考えてる。すぐに普通に戻ると思う」


 たしかに初めて話した時より、ずいぶん聞きやすくなった。


「俺と会話して慣れるか」


「それは疲れる」


「お前の頭は、そう思っていないみたいだけどな。俺の稽古に付き合うと決めたあとから、一気にしゃべるようになった。もう飽きたんだよ、お前の頭は。人と関わらないことに」


 戦闘人形は、何度かまばたきしたあと、


「そう?」


 と尋ね返してきた。とぼけた質問に久瀬は笑ってしまう。


「お前のことだろうが」


 久瀬から視線を外して、いつもの地面に視線を向けた後、空を見て、門を見て、村を見て、一通り見回してから、また久瀬に視線を戻してきた。


「そうなのかもね」


 その最後の一言だけやけに流暢りゅうちょうで、過去の彼女のにおいがした。



















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