7 害光
小さな滝の横にある岩壁、久瀬と塔見がロープを使って上り下りしている場所の一番上から飛び降りても、戦闘人形は足をくじいたりしなかった。どういう体の構造をしているのだろう。
久瀬は、あのとき体に刻み付けられた恐怖をどうにか耐えきり、逃げ出さずに踏みとどまった。自分を無視して
「どうして、お前が、この箱を、持っている」
戦闘人形は、自分から久瀬に話しかけてきた。一度目の声は聞き間違いではなく、やはり静かで落ち着いた女の声だった。普段、言葉をあまりしゃべらないからか、話す速度が遅い。単語単語をぽつぽつとこぼすような話し方だ。
今日まで、ずっと一人で話しかけ続けていた。ようやくあった反応に、嬉しくて頬がゆるみそうになるのをこらえて、真面目な顔を作り直す。
「塔見って知り合いに教えてもらったんだ」
「あの、学者か。あいつも、変だ」
目元や声の抑揚から、戦闘人形は少しいら立ちを感じているように見えた。
逃げたい。逃げたいけれど、ここで逃げたらもうきっかけがつかめないような気がした。
「それより変なのは、お前だ。このあいだ、強く脅したはず。なのに、わたしと、普通に、話している。危機感が、ない」
「楽天的なのが取りえだからな。その本を見せてくれた塔見と話して、お前の強さの秘密が少しだけ分かった。お前、害光を使ってるんだな」
言うと、木々からさしこむ赤暗い光に照らされた戦闘人形は、久瀬から視線を外して、手元の鉄の箱に視線をやった。
「『害』、か……」
「それって、お前が書いた本なのか?」
「違う。昔の……わたしの、上司が書いた。学校で、使われていた、教科書だ」
「ガッコウ? キョウカショ? なんだそりゃ」
「……あの連中には、つくづく、嫌気がさす」
戦闘人形は学校がどういうものなのかは答えず、誰かに向けて悪態をついた。そのまま
歩く速度が速い。久瀬は慌てて声をかけた。
「大事な本、勝手に触って悪かった!」
沢の水音に負けないように大声で呼びかける。
戦闘人形は足を止め、振り返った。
「それは、気にしなくていい。本は、読むためのもの」
そしてまた久瀬に背を向け、山の奥へ消えていった。
それから1日経って、塔見は約束通り久瀬を迎えに来た。
塔見にくっついて村に戻ってすぐ、久瀬は戦闘人形がいつもいる門の前へ行ってみた。
黒い頭巾で目以外を隠し、両手に革手袋、熊の毛皮に黒ズボン。いつもの戦闘人形が変わらずそこにいた。当然、手に鉄の箱はない。
「おととい聞きそびれたけど、なんでお前の害光は、他の連中にバレないんだ?」
戦闘人形の視線が、一度こちらに向くが、やがて視線を正面に戻してしまった。
このあいだのことは気まぐれ。気安くする気はない、という意思表示だろうか。
戦闘人形の正面に座り込み、
「お前は害光を使っても、他の連中にわからないのが不思議だな」
「なんで害光を使ってもわからない?」
「なにか害光に仕掛けが?」
反応があった言葉をしつこく繰り返すと、戦闘人形がけだるそうに立ち上がった。
殴られるのかと思った久瀬は手だけで後ずさったが、戦闘人形は久瀬を無視して、すぐそばの地面から何かを拾った。そしてしゃがんで、手を動かし始める。久瀬は立ち上がり、おそるおそる、戦闘人形が何をしているのかのぞき込む。
戦闘人形は石で地面に絵を描いていた。
丸いフォルムの人の絵。そのすぐ外側にもう一本、同じような線が足されていく。外側の線はおそらく害光。害光は外に向かって、放射状に矢印を伸ばしていく。こちらが普通の人間のものだろう。
戦闘人形は隣に全く同じものを描いていく。ただし今度は、体の内側で矢印が循環している。こちらがおそらく戦闘人形のもの。
「外に漏れないから、引っ掛からねえってことか」
戦闘人形はそれに対しては反応しなかった。立ち上がり、
「教えてくれてありがとう」
久瀬はまともな反応がうれしくて、素直に礼を言った。
戦闘人形はそれにも特に反応は示さなかった。
それから、村の周りをひたすら走ったり、腕立て伏せをしたり、いつもの基礎訓練をして、日中を過ごした。
このあいだ山で会ってから、戦闘人形の体全体から発せられていた拒絶の空気が、ほんの少しだけ、緩んだように思える。久瀬は、絶対に動かない大岩がほんの少しだけ動いた手ごたえを感じた。
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