5 お悩み相談

 普通の人間よりも痛みや死には近い場所で生活してきた。きっと、よほどの拷問でもされない限り、あんな無様なことにはならないだろう。戦闘人形ではなく、その体を通して透けて見える何かを、自分の体はおそれた。


 気分を変えるために水浴びをすることにして、村の中に通っている小川ではなく、その下流、村の外にある人目につかない川に向かう。


 川についた久瀬は、周りに人がいないのを確認してから、武道服の上下と下着をすべて脱いだ。


 下着を洗っていると、水面に映った自分の顔がぐにゃぐにゃと揺れた。


 恐怖に震える自分の姿がよみがえってくる。


 卑怯な真似までしたのに、何もできなかった。あまりの不甲斐ふがいなさに、久瀬の頬をひとすじ涙が伝う。下着を握り締め、嗚咽が出るのは無理矢理こらえた。


 ――いままで自分が努力してきた時間は、いったいなんだったんだ。


 あんな小柄な戦闘人形相手に手も足も出ず、片手間にしりぞけられ、実力を出されたら出されたで体中があの戦闘人形に対する恐怖を刻み付けられた。

 鼻をすすって、息をひとつ吐く。下着の汚れを洗い、武道服を洗い、限界まで絞って、近くの木の枝に干す。


 それから自らも川に入った。体にぶつかり、わかれて下流へ流れていく冷水に全身を浸しながら、久瀬はぼんやりと考える。


 このままここにいて、何か得るものはあるのだろうか。


 あの戦闘人形は稽古をつけてくれるつもりは絶対にないようだし、あのときの目は、次に同じことをしたら殺す、と雄弁に語っていた。

 逆に、このままここから去って、自分は何食わぬ顔でこれからの人生を送れるのだろうか。


 どちらにも、意味が見いだせない。


 すべては、あの戦闘人形に出会ってしまったせいだ。


 この村に来なければ、判定人をいつものように3連勝で倒して、最後の武芸硬貨を獲得して、城下町へ行って、試験にどうにか受かって町人となり……何かを成すにせよ、成さないにせよ、そのまま城下町で人生を終えていたはずだ。


 なぜ自分はあの時、吉田村ではなく、この炉地ろじ村を選んでしまったのか。ここに来なければ、あんな恐怖も、知らずに済んだのに。




 服がある程度乾くまでしばらく待っているあいだも、服を着ている間も、村に戻るまでの間もずっと考えたが、この村を出るか、残るか、決断はいまだできなかった。

 門の所に変わらずいた戦闘人形はなるべく視界に入れないようにして中に入り、表通りを歩く。


「おにーさん!」


 歩いている途中で、後ろから、いま、あまり声をかけられたくない少女の声が聞こえてきた。


「そんなに背中を丸めて歩いて、どうしたんだい?」


 ふざけながら言って回り込んできた鈴李は、久瀬の顔を見て驚いたように小さく声を出した。


「ちょ、ちょっと待ってて!」


 鈴李はどこかへ走り去って、すぐに戻ってきた。

 真っ黒な爪と油に汚れた両手には、川魚の串焼きが2つあった。

 ひとつを差し出してくる。


「まずは腹ごしらえしないとね。どっかで話そーよ」


 子供に気を遣われている恥ずかしさよりも、いまは、誰かと話したい気持ちの方が強かった。

 久瀬は素直にうなずいた。

 



 鈴李は村の中を通る川沿いにあるベンチに久瀬を誘い、久瀬はただ言われるがままついていった。

 ベンチに座ってからは、串焼きを食べながら、自分が武芸者の道を志したきっかけ、ここに来た理由、戦闘人形とのあれこれを話した。


「青年の悩みは尽きないのであった」


 足をぶらぶらさせながら、鈴李は物語り調でつぶやいた。

 鈴李のさっぱりとした言動がそうさせるのだろうか、バカにしているとは感じなかった。


「なんかちょっと感動しちゃったよ。大人でも、うまくいかなくて悩むんだなって」

「聞いてくれてありがとな。ちょっと気が晴れたわ」


 腰を据えて話をしてみると、鈴李はもう働きに出ていることもあってか、普通の大人と話しているのと大して変わらなかった。


「はーあ。子供にお悩み相談って、どうなんだよ俺」

「あはは。なっさけなー」

「なんとでも言え」

「でもさ、あの戦闘人形って本当になんなんだろう」


 鈴李が笑みを消して、真剣な面持ちでつぶやく。


「人間だったらさ、間違いなくもう死んでるわけじゃん。でも、あの人形って感情がちゃんとあるみたい。わたしも工房で働いてるからわかるんだけどさ、いくら昔の技術がすごいって言っても、相手を見て反応をその場その場で変えるような人形はそうそう作れないと思うんだ。絶対に普通の人間じゃない。人形でもない。そうなると……」


 鈴李が焼き魚の刺さっていた串でベンチを叩きながら、オレンジ色の空を見上げる。


「普通じゃない人間?」


 久瀬は適当な思い付きを言った。


「それそれ」


 串をこちらに向けて、鈴李がはしゃいだ声を出した。


「わかったところでって話だけどね」

「そうなんだよな」


 わかったところで、久瀬の進むべき道とはあまり関係がない。


「そういや、さっきの口ぶりからするとお前もなんか悩みがあるのか?」

「まあねー」

「言ってみろよ。すっきりするかもしれねえぞ」

「作りたいものが作れないんだよ」


 また串でベンチを叩きながら、鈴李が言う。


「戒律あるじゃん。『神使をのぞき、神に手を伸ばそうとする行いはしてはいけない』」

「ああ。あれな」


 今この世界は『慈悲神』によって治められている。その神の下で直接働くことを許されているのが、天津原から遠く離れた神在都市しんざいとしリンナバラの中枢にある『神使』たち。彼らは神の示した戒律を守るよう、全世界の人々を統括する役割をになっている。


 ここ天津原で、お目付け役と呼ばれているのは、『慈悲神』の代行者である『神使』の代行者たちだ。

 お目付け役に逆らうことは、神に逆らうことと同じ。領主すらも彼らにあだなすことは許されないし、決定に逆らえない。


 逆らえば神罰が下る。


「毎日工房にお目付け役の検分けんぶんが入るんだけどさー。うるさいんだよね。あれ作るな、これ作るなってさ」

「あー、何かを作る仕事は、そういうのがめんどくせえって聞いたことあるな」


 複雑な機構をもつものを――大昔に機械と呼ばれていたもの――を作れるのは、神のもとで働く『神使』だけだ。自分の手を離れて自立して動く何かを作ることは、庶民には絶対に許されない。

 なぜなのかは知らない。『ただそう決まっている』。


「このあいだなんかさ、近所の子供に見せてあげようと思って、竹で、とんぼの形をしたおもちゃを作ってあげたの。わかるかなあ? こう、棒の左右に羽の形をした枠をつけて、枠に葉っぱを貼りつけて。おなかの部分を持って投げると風に乗ってすうーって飛んでくんだけど。そしたら引っかかってさ。理由を聞いたら『人間の手を離れて動いているから』。お目付け役じゃなきゃ一発殴ってるよ」

「さすがにそれはひどいな」

「でしょー? その前は、歯車……ってわかる? 荷車の車輪みたいのをギザギザとがらせた、ちっちゃい部品なんだけど。それを組み合わせて、ちょっとだけ動くちっちゃい荷車模型作ったの。車輪を机に押し付けて後ろに引くと、歯車のしかけが動いて、反発してジーって前に走ってく。子供はみんな大喜びだったんだけどさー、それも取り上げられちゃった。『触ってないのに動いてる』って、そんなの火燃やして米炊くときだって同じじゃん!」

「そうだよな」


 何を言ってるのかいまいちわからないけれど、作ったものの説明をするときは口元をほころばせ、検分で奪われたというときには目を吊り上げて話す鈴李は見ていて飽きない。


「でも、今作ってるやつは、さすがにあいつらも取り上げられないと思う」


 そう言った彼女は、急に大人びた表情になった。まるで心の底から大事なものについて話しているような……自分の子供について話すような、そんな優しい顔だった。


「すごいんだよ。あれが完成したらみんなの暮らしが変わるよ。毎日鐘なんてつかなくてもよくなるし」

「時計……ってことか?」

「んふふ。内緒。作ったら、お母さんと工房長の次に見せてあげるね」


 ふと、鐘の音が大嫌いなあの戦闘人形のことが頭をよぎった。

 ――その発明ができたら、あいつも楽になるのかな。











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