3 塔見と鈴李

 絶対に余計なことはしないと誓った次の日、戦闘人形に、稽古けいこをつけてくれないかと乞うた。仮にも武芸者として、圧倒的な力の差をこう何度も見せつけられては、そうしないわけにはいかなかった。お願いしますと何度頭を下げてみても、戦闘人形はただ地面を眺めている。


 けれど久瀬には、昨日のいたずらで、相手に感情が伝わっているのがわかっていた。


 おそらく今まで、大人の見ていない間に、子供が戦闘人形にいたずらしようとしたことは何度もあったはずだ。無口、無表情、無反応。こんな相手、反応を引き出したくていたずらをしかけたくなるに決まっている。


 だからいたずらをされたときは、何度も相手にしなくて済むように、1度目から強く対処するのだろう。自分は加減を知らない怖い存在だ、近寄ってはいけない存在だと行動でわからせる。つまりこの戦闘人形は、人の感情がどういうものなのかを知っている。


 村の人間たちもそれは知っているはず。けれどあの話しぶりでは、戦闘人形は100年以上もこの村にいて、いまだに久瀬を一蹴するほどの体術が使える。人間では絶対にありえない。だから旧時代の人形……。


 何度頭を下げてみても反応がないので、久瀬は人形の隣で木刀の素振りを始めた。


「何年生まれ?」


「茶屋のじいさんの代から生きてるって?」


「戦闘人形って呼ばれてることは知ってるのか?」


 素振りの合間に話しかけてみても、反応はない。変わらず座ったまま、地面しか見ていない。

 不意打ちは効くのかと、人形に少しずつ近づいてみるが、木刀の間合いに少しでも入ると、戦闘人形は立ち上がる。

 本当の意味で反応が一切ないならあきらめもつくが、この戦闘人形には応答する意識がある。


「お前、人間だろ、絶対」




 本気の連続素振りを終えて地面に木刀を放り、戦闘人形の正面に座った。木刀を持っていない状態では、ある程度の接近を許してくれるらしい。無感動に地面を見つめ続ける茶色の瞳をながめながら、汗だくになった自らの顔を手の甲で拭う。


 後ろ手をついて紫色の空を見上げ、しばらく休んで息を整える。


 ゴゥゥ……ン。


 村の中心部の方から、鐘の音が鳴り始めた。

 正午を告げる鐘だろう。あの鐘を合図に、村の人間たちは仕事を中断して休みをとる。


 そこで今日初めて、久瀬は戦闘人形が自分から動いたのを見た。戦闘人形はなぜか目を閉じ、両手で両耳を押さえ始めた。

 鐘の音がやむと、戦闘人形は手を外し、目を開けた。


「どうした? 鐘の音が嫌いなのか?」


 ずっと地面を見つめ続けていた戦闘人形が、久瀬と視線を合わせた。

 けれど何も言わずに視線を外し、また地面を見つめるようになった。




 いまの自分に正午休みは関係ないが、激しく素振りをしたぶん、一旦井戸で水を飲みたくなった。村の中へ戻って、この村にしては人通りの多い昼休みの表通りをすぎ、宿の裏手へ足を向ける。


 井戸には先客がいて、ちょうど持ち上げたおけから、ひしゃくで水をすくって飲んでいるところだった。


「お先に失礼してます」


 久瀬より少しだけ年かさだろうか。城下からの行商人や配達人がたまに着ている作業服――たしか、つなぎと呼ばれている――を着た男が、水を飲み終えると話しかけてきた。


「ひょっとしてあなたが久瀬さんですか?」

「ん? ああ。そうだけど。なんで俺の名前を?」


 男はひしゃくを渡してくる。受け取りながら、問い返す。


「台帳で名前をお見かけしたもので。僕もこの宿に泊まっているんですよ」

「ああ。そういや俺も見たな。なんとか村のどうとかって」


 久瀬は乱暴に桶にひしゃくを突っ込み、水をすくって一気に飲み干す。


「吉田村の行商人、塔見とうみと申します」

「行商人ならこんな辺境、すぐ発つはずだろ? 2日も泊まるなんて珍しいな」


 ひしゃくを返す。

 塔見は静かに桶にひしゃくを差し入れ、行儀よく水をすくって、少しずつ飲んだ。


「作業着なんて着てるくせに、書生みたいな振る舞いだし」

「あれ? もしかして僕、怪しいですか? この服着て行商人名乗ったら、怪しまれないかなと思ったんですけど」

「おい、勝手に偽装を自白するな。巻き込まれそうで怖い。さっさとて」

「それが、興味深いものをこの村の近辺でいくつか見つけまして。調べ終わるまではここにいるつもりです」

「面倒ごとに巻き込むなよ、絶対に」

「ええ。仲良くましょう」

「話聞けよ」




 水分補給を終えて門のほうに戻ろうと歩き出すと、塔見もなぜか後ろをついてきた。入り口の茶屋にでも行くのかと思ったが、茶屋を過ぎてもそのままついてくる。

 歩く速度を落として並ぶ。


「結局、村を出るのか?」

「いえ。調べたいものの一つがこちらにあるんですよ」

「もしかして、戦闘人形?」

「あなたもですか」

「多分お前と目的は違う。俺はこいつに武芸を教わりたくて」


 門に行き着くと、水分補給しに行く前と全く同じ姿勢で、戦闘人形が地面に座っていた。


「このお人形さん、いくら話しかけても反応がないので、今日はちょっと強硬手段に出ようかと」


 そう言うと、塔見はしゃがんで、適当な小石を拾い上げた。当たっても痛くないくらいの本当の小石だ。

 そしてそれを振りかぶって


「えーい」


 戦闘人形に向かって投げた。小石は戦闘人形の頭巾にぽこっと当たって落ちた。


「あっ、バカ……」


 ――干し肉くっつけただけであれだぞ、小石なんか投げたら!

 予想通り、戦闘人形は立ち上がった。そして人間離れした速さで駆け寄ってくると、反応できないでいる塔見のみぞおちに右拳を叩き込んだ。


「おごぉッ……」


 塔見が鈍く短い悲鳴をあげ、その場に腹を抱えて倒れ込む。

 振り向きもせずに、戦闘人形はもとの位置に戻った。

 久瀬は苦しむバカを横目に見ながら、素振りを再開した。




 翌日も、翌々日も、そのまた翌日も、久瀬は戦闘人形のもとへ通い詰めた。

 戦闘人形はどんな言葉にも無反応で、鐘の音にだけ同じ反応をして、また無反応に戻ることを繰り返していた。


「これだけ、付きまとわれたのは初めてか?」


 返事はない。


「今日は俺の身の上話を少ししてみる」


 無視に慣れきっている久瀬は、質問ではなく自己完結する話を垂れ流すことにしていた。


 久瀬は城下町に近い三崎村で生まれた。三崎村は城下町のための牧畜が盛んで、その鶏肉は城下に広く流通し、貴重な部位は殿様への献上品にもなっていた。しかしあるとき、神田村という土地が品質のいい鶏肉を献上した。殿様は痛く感銘を受け、城下全体の肉の輸入先を三崎村から神田村に切り替えた。


 すると三崎村はみるみる衰退。久瀬が生まれたときには、金がない金がないと誰もが悩む村だった。


「貧乏な両親にとっちゃ俺の存在は邪魔だったんだろうな。さんざんいじめられたが、近所の爺さんが代わりに世話を焼いてくれて、無事にこの歳まで成長できた。その爺さんが死んじまって、俺は村を出た。


 殿様の気まぐれで村の生き死にが決まる、ってのがなーんかむかついてな。


 城下町の外の人間が、城下町に住めるようになる道は、傭兵か職人しかねえ。俺は大工道具なんて握ったこともなかったし、腕っぷしにはそこそこ自信があった。だから思ったんだ。この腕っぷしでのし上がって、中から少しでも城下町の傲慢ごうまんさを変えてやろうと」


 話し終えたがやはり反応はない。

 期待もしていなかったので、木刀の素振りに戻る。戦闘人形の攻撃にも対応できるくらい、もっと速く。もっと速く。




 宿への帰路の途上には、辺境の村に似つかわしくない、立派な工房がある。


 通るたび、金属でなにかを叩いたり、切ったりするような音が聞こえてくる。特に切る音がうるさく、たまに甲高い音が鳴ると、鳥肌が立つくらい耳にさわる。


 宿の主人が言うには、包丁やら鍋やら農具やらを作って、村の内外で売っているらしい。そして

「みんなおつかれさまー! また明日!」

 宿の主人の娘はここで働いている。


 飛び出してきた少女が、久瀬に気づいた。


「あ、自称武芸者のおにーさん」


 彼女とは何度か顔を合わせているうち、簡単な会話をするようになっていた。


 少女の名前は鈴李すずりという。歳は十二だがモノを作る才能に恵まれ、この工房では、すでに工房長に引けを取らない腕前らしい。


「自称は余計だろ」


「だって、この村じゃ武芸硬貨もらえないのにいつまでもいるからさー」


 久瀬は腰につけている巾着袋きんちゃくぶくろをとって、彼女に投げ渡した。

 巾着の中には武芸硬貨が入っている。判定人を倒した時点で役所に結果が登録されるので、これを奪われても特に影響はない。


「おおー」


 黒いすすで汚れた鈴李の顔が、ぱっと明るくなる。

 久瀬は気持ち胸を張った。

 ここに来て戦闘人形にボコボコにされ、自負と自信は粉々に砕かれたが、19枚集められる人間はそう多くない。

 鈴李は巾着袋を返してきて、


「じゃあまたね、硬貨コレクターのおにーさん!」


 と笑顔で言い、走り去っていった。


 少女のまっすぐな評価が胸に刺さる。


「俺ってそんなにうさんくさいか……?」


 少し戻った自負がまたどこかへ立ち消えてしまった。







 

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