1章 無口な戦闘人形

1 武芸者・久瀬



 リンナバラ暦251年初夏

 天津原区 最東端の村『炉地ろじ




 なだらかな斜面にソバを育て、山に入って木をり加工し、いくつかある小川で魚を捕る。少ない平地に50人ほどの人々が身を寄せ合い暮らす、山間やまあいの村。


 あかね色の空の下、村に1本しかない表通りを、ぼろぼろの黒い武道服に身を包んだ青年が歩いていた。道は土で出来ているが、水はけのよい砂を混ぜてしっかり固められているので、痛みで少し足を引きずっている彼が歩いても、土ぼこりは立たない。


 荷かごを背負い、腰に巻いたベルトに木刀を差した彼は、


「おやっさーん」


 村の表門から少し歩いた先にある茶屋ののれんを半分くぐり、ひょこっと顔をのぞかせる。


「門の所に座り込んでるアレ、なんなんだ?」


 茶屋の主人はぎょっとした。薄汚い武道服にではない。

 青年の右瞼みぎまぶたが、青黒くはれ上がっていたからだ。


「どうしたい、その顔は」

「門にいるやつが暇そうにしてたんで、軽い立ち合い稽古げいこを願い出たら、素手でボコボコにされたんだよ」


 心配そうな表情をしていた茶屋の主人は、青年の言葉を聞くと同時にふきだした。

 ひとしきり笑ったあと、主人は笑みの残る顔で言った。


「相手が悪かったな、武芸者のにーちゃん。勝つのは人間には無理だよ。だってありゃ、旧時代の戦闘人形なんだから」




 20歳の青年――久瀬くぜは、茶屋の主人が言ったようにいわゆる武芸者だ。


 各地をめぐって行商人の護衛や、手紙や荷物の運搬、その他の力仕事などを引き受けながら、『武芸硬貨』を集めている。これは各村に配された判定人たちを木刀5番勝負で破るともらえる特別な硬貨で、20枚ためると、城下町の警護部隊の採用試験に挑戦できる。


 久瀬はすでに武芸硬貨を19枚集めており、天津原区の東の果てのこの村を、最後の締めくくりにするつもりで来た。




「そもそもこの村は、あまりに城下から遠すぎるってんで、武芸硬貨の対象外なのさ。無駄足だったな」


 おぼんに茶漬けのわんと箸をのせてやってきた茶屋の主人は、ベンチに座っている久瀬の隣に椀を置くと、そのまま間隔を空けて座った。


「判定人がいないのか?」


 久瀬は椀に伸ばしていた手を止め、茶屋の主人を見る。


「そうだ」


「……まあそれは他の村に行くからいいにしてもだ。あいつは一体何なんだよ。今まで戦ってきた判定人より圧倒的に強い」


「それが俺らにもさっぱり分らねんだ。何が目的なのかは知らんがずっとあの場所で、村を見てる。滅多にしゃべらねえし寝てる様子もねえし飯を食ってる様子もねえ。たまに姿を消すが、しばらくすると戻ってくる」


「へえ……」


「6年くらい前、ひどい飢饉ききんがあっただろう? あの年、食い詰めたゴロツキどもが流れてきて、村を襲った。襲ったんだが、アレは50人以上いたゴロツキをたったひとりで片付けちまった。自分は無傷で相手は皆殺し。俺たち村人が武器を取りに戻ってる間に全部終わってた。じいさんのじいさんの代からずっと似たようなことが起きてるらしいんだな。だからこの村の連中はアレを『戦闘人形』って呼んでるんだ」


「そういうことか。他の村じゃ盗賊よけに、警備人は複数いるもんなのに、門を守ってるのがあいつひとりだったから不思議だったんだよ」


「一応子供たちは近寄らせんようにしてるが、実際には、戦闘人形がいままで村人を襲ったことは一度もない。だからアレがいるうちは、警備人いらずってわけよ」


「はえー。だいぶ世の中は見て回ったと思ったけど、まだまだ不思議なものってのはあるんだな」


 しゃべりながら久瀬は、わんと箸を手に取った。椀に口をつけ、茶漬けをかきこむ。いくつかあざをつくられたが、口の中は切れていない。茶漬けもするする飲み下せる。戦闘人形とやらは、どうやら手加減というものを知っていて、敵意の有無もわかるらしい。


「おお。そうだった。武芸者ならなにか面白い話はないんかい、にーちゃん」

「面白い話? つまらねー話ならいくらでもあるけど……」

「じゃあそのつまらねー話でいいからよ。なんか話してってくれ」

「無茶苦茶言うな、おやっさん」


 久瀬は呆れながら、旅の話をいくつかしてやった。


 彼は雨笠あまがさ編みの内職をはじめながら、片手間に茶々を入れて旅の話を聞いていた。人の話を聞く態度ではなかったけれど、久瀬もその辺の作法は全く気にしない。


 時間は気楽に過ぎていった。




 適当なところで話を切り上げ茶屋を後にした久瀬は、背負った荷かごの中に入っていた手紙や配達物を、郵便局に送り届け、金をもらう。


 ひと仕事終えた久瀬は、今夜の宿を探しはじめた。


 村の時計台は午後8時がすぎたあたりを指している。昔話だと、昔の夜は暗くなっていろいろと大変だったようだが、今は空がオレンジ色や紫色にかわるだけで、薄暗さは一定だ。村や平野へいやなら、火を使わずとも、何も見えなくなるほどの暗闇はない。


 ぶらついていると、一泊、朝食つき(干し肉とふかし芋)で50ゴールド、という立て看板が目に入ってきた。なかなか安い。


 木造二階建ての小さな家は玄関の引き戸が開けっ放しになっていて、覗くとすぐに、受付台でい物をしていた女性と目が合った。


 彼女は針と布を置いてすぐに立ち上がると柔和にゅうわな笑顔を浮かべ、


「いらっしゃい。おひとり様で?」

「はい」

「うちは前払いになってるんだけどいいかい? 1泊50。台帳に名前も頼むよ。文字が書けなかったら代筆するよ」

「自分の名前は書けるから大丈夫だ」


 敷居をまたいで土間に入り、わらじを脱いだ。宿の主人は支払い場から回り込んできて、わらじを手に取り箱型の下足箱にしまってくれた。


 50ゴールドの硬貨を1枚取り出して受付台に置き、備え付けの鉛筆で台帳に『三崎村 武芸者 久瀬』と書き込んだ。隣には『吉田村 行商人 塔見』とだけあった。


「はいはいありがとねー」


 すぐ受付台に戻ってきて、硬貨を売り上げ箱にしまった宿の主人は、台帳を一応確認した後、


「では一名様ご案内」


 と言って、店の奥へと歩き出した。


 廊下を通って二つの部屋を過ぎたところで立ち止まり、引き戸を開ける。そこから布団ふとんを取り出して抱え上げた宿の主人は、そのまま3歩ほど進んだ場所にある扉の前で立ち止まり、足で器用に引き戸を開けた。部屋の中は板張りで、布団をしいたらほとんど隙間がなくなった。おまけに少しかびくさいが、辺境の村の宿にしては上等だ。


「ごゆっくりー」


 宿の主人は戸を閉めて去っていった。


 薄い布団を踏みしめながら、かごを枕元に置き、ベルトに差してあった木刀を横のかすかな隙間に置いた。ベルトも外して服をゆるめ、布団にあおむけになった。




 人心地つくと、頭に浮かんでくるのはやはり「戦闘人形」との勝負だった。


 盗賊のような黒い頭巾をかぶり、目元以外はすべて隠れていた。上半身は、冬でもないのに両手には革手袋をはめて、熊の毛皮を身にまとって暑苦しい。腰まである熊の毛皮の下からは、労働者が愛用するシンプルな黒ズボンが伸びていた。


 余裕をもって近づいてくる戦闘人形に、自分の振り下ろす木刀は軽々と避けられる。戦闘人形は普通に歩いて距離を詰めてくる。慌てて木刀を横なぎに振るうが、やはり当たらず、代わりに拳が顔面をとらえてくる。思い出しているだけなのに頬や目もとがずきずきと痛む。


 久瀬はこれまで19の村々で、強者の判定人たちを相手取り、いずれも3連勝で勝負を決めてきた。自信も自負もあった。それが、何も武器を持っていない相手に、一発も当てられずに終わってしまった。


 悔しさももちろんある。あるけれど、それよりももっと強い感情がわきあがってくる。


 それは、アレがなんなのか、あの強さを得るにはどうすればいいのかという好奇心だった。


 幸い、博打ばくちとも女遊びとも無縁で、それなりに仕事もしてきた。路銀に余裕はある。20個目の硬貨を得ることよりも、ずっと楽しみなことが増えた。













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