7 夕景世界の始まり
名残惜しくロジェの体から離れた雨衣は、彼のきた方向から走ってくるバイクに気づいた。見たところ、魔術でなく化石燃料をエネルギーに使う、リンナバラのもの。
4台のバイクは歩道を走って雨衣たちを追い抜き、回り込み、そして止まった。黒い軍服を着た、リンナバラの魔術師だった。
初めて見る、「起きている」敵兵。
彼らはハンドサインで何やら合図を出し合った後、バイクから降りようとした。
雨衣は、メモ帳を地面から拾い、ロジェに投げ渡した。そしてねじを回す動作をして見せた後、一人に向かって駆け出した。ロジェも続いてくる気配がする。
魔術師でないロジェも、いくつか強力な魔法が使える。いまある道具で使える魔術は風魔術『反転』。その名の通り、魔術を反転して返すものだ。
ロジェの使う『反転』は強力だが、消耗の激しい256番の魔術波長を使うため、一日に数度までしか使えないと聞いたことがある。しかも複数人による強力な合成魔術は跳ね返しきれない。
いまは相手が四人。
しかも合成魔術を完成させる暇は与えない!
「55,2,7,1,5,98
72,35,66,47,195,377」
『
最初に狙った魔術師の男はとっさに炎魔術を放ち、他の敵魔術師たちは、彼を守るために結界魔術を張った。
炎魔術は、ロジェがメモ用紙に魔術波長を送り『反転』で返した。炎魔術が結界魔術に当たって明後日の方角に飛んでいく。そのあいだに結界魔法を『死触』が破壊し、『生体破壊』をこめた右手の革手袋が、男の腹をとらえた。
やわらかい内臓と
あらゆる死を拒む――それが死霊術の本質。それはもちろん、戦争という場面においてもそうだ。同類のはずの魔術師たちも、死霊術師にとっては潜在的な敵。
男の腹から腕をねじり抜くと、絶叫し、体中の血を雨衣の体にまき散らせながら倒れた。痙攣しのたうちまわる男を見下ろしながら、雨衣は残った3人に視線をやった。3人は囲うのをやめて固まった。
先ほどからハンドサインで指示をしている、リーダーと思しき女に向かって駆け出す。
敵の3人はほとんど同時に、懐から何かを取り出した。
それが拳銃だとわかっても、もう遅かった。
「92,88,67……」
革手袋を外して『死皮防護』を発動させようとした。
そのあいだに撃たれた銃弾は、『生体活性』で増幅された動体視力と脚力で9発まで避け、5発被弾した。
「2,5……」
自分の胸に手を置き『生体治癒』を発動する前に、さらに肩を撃たれ、雨衣は地面にあおむけに倒れた。後頭部を激しく打って、視界が揺れる。倒れた雨衣の腹のあたりに、すぐそばにいたロジェの体も倒れてきた。
ロジェ!
そう呼びたいのに、声が出ない。代わりに血が口の中からあふれてこぼれ出た。肺か喉がやられているのだろうか。
「なんだったんだ、このバケモンは……」
こちらをのぞき込む兵士の口が動いている。
ほとんど同時に、体に響く鐘の音の振動が、やんだ。
雨衣はまだ動く左手を、倒れ込んできたロジェの頭に当てる。短く心地よい髪の、懐かしい感触が、雨衣を微笑ませた。ロジェは心臓のあたりから出血している。『生体治癒』では間に合わない。
……2,3,5,226,224,132,52,35,47。
リンナバラでは特に忌避され、多くの国で使用が禁じられている死霊術『死者蘇生』。
自らの命と引き換えに、対象者の命を蘇生する。蘇生された人間は、一時的に不死となる。ロジェならこの3人程度、なんとかするだろう。
しかし魔術波長を重ね終えたとき、体に奇妙な感覚が走った。送り込んだはずの魔術波長が、ロジェを通って、戻ってくるような感覚。
……『反転』!
雨衣は慌てて止めようとしたが、もちろん間に合わなかった。
ロジェの体が足の先から消えていき、雨衣の右手に何かが流れ込んでくる。
――死ぬとお母さんでも静かになる。死ぬのはいいこと。死ぬのは楽しいこと。
幼いころの自分の感傷が、そのまま自分に跳ねかえってくる。
――死ぬとロジェでも静かになる。死ぬのは悪いこと。死ぬのは悲しいこと。
嫌、嫌、嫌……。
ロジェが死んだ世界でなんか、生きたくない。
そんなもの、意味がない。
学生のころからいつもかたわらにあった半身が、雨衣に流れ込んでくる。
かすかに感じる彼の感情から、彼が雨衣を助けられて喜んでいることが分かる。彼が自分に抱いている愛情の深さに気づき、いまさらになって、後悔した。どうしてもっとやさしくしなかったんだろう。どうしてもっと一緒に悩んであげなかったんだろう。どうしてもっと愛し合わなかったんだろう。
涙が次々あふれる。
それは人間であった雨衣が、最後に流した涙になった。
やがて、ロジェの体がすべて自分の体に吸いつくされた。
傷が癒えた。
ロジェと最後の言葉をかわすことを邪魔した、いまいましい鐘の音はやんだ。
耳栓を外し、ぼうっと空を眺める。
街は、相変わらずの夕焼けに包まれている。
「
「やっと耳栓が外せるぜ」
「魔動力を封じるのはいいが、うるさくてしょうがねえ」
「この魔術があるから勝てている。文句を言うな」
「次はどうするんでしょうね」
「『夕景世界』の浸食は加速している。このままバレク本国に攻め入るんだろう」
蜂の巣になった雨衣とロジェの死を確信し、確認もしなかった兵士たちが、何やら会話をしている。
ぼんやりと聞きながら、ゆっくりと立ち上がる。
それに一番早く気づいたリーダーの女が、驚きの表情とともに拳銃を撃ってきた。それは雨衣の頭を吹き飛ばしたが、雨衣の頭はすぐに再生した。
「55,2,7,1,5,98
72,35,66,47,195、377」
『死触』『生体破壊』。
雨衣の右手が女の顔を殴りつけると、女の顔は脳しょうを飛び散らせながら弾け飛んだ。彼女の顔はもちろん、再生しない。
残った2人の男が、後ずさりながら、おびえた目で拳銃を乱射する。雨衣は2人にゆっくりと近づき、女と同じように頭部を破壊した。
雨衣は深く息を吸い、空を見上げる。巨大な鳥のような仮想生物が、数百のおびただしい群体を組んで、南へ飛んでいく。オオカミ型の仮想生物の群れが、街路を駆け抜けていく。
そうして、夕景世界は始まった。
◆◆◆
リンナバラ暦1年からリンナバラ暦35年にかけて、死者の群れが幾度となくリンナバラを襲い、
以降、世界で大規模な騒乱は起きていない。
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