2 見送り

 同じ魔術師として、雨衣は、国家の要職にある連中ほどリンナバラを軽視していなかった。


 たしかに国家の視点から見れば、国力ははるかに劣るのだろうが、魔術には、それぞれが持つ魔術波長の組み合わせによって無限の可能性がある。必要に迫られ、思いつきもしなかった使い方が生まれることも珍しくない。学術界隈では、リンナバラの研究者の論文がここ数十年、明らかに軍事目的にかたよっている――特に対魔動力戦を想定している――のはよく知られている。

 バレク連合の圧力により"必要に迫られてきた"。


 雨衣には、世間のためにならないと判断し、隠している死霊術の発見がいくつかある。自分にもできたからこそ、魔術科学大国であるリンナバラが、ここ数十年の死に物狂いの魔術研究の中で何も発見してこなかった、とはとても思えないのだ。



 ロジェがいなくなったあとの図書倉庫で、雨衣は倉庫奥にしまいこんでいる魔動品の数々を引っかき回した。魔術波長を込めると夜でも視界が維持できる眼鏡、傷に貼ると再生を早めるシール、数百キロのものをひとりで持ち上げられるようになる筋力補助器具など……。どれも軍製品より性能が劣るものばかりだ。


 何か戦闘に役立つものはないかと必死に探すうち、ひとつだけあることに気づいた。とある研究者が亡くなった際の古物オークションで手に入れた、あらゆる魔術への耐性を高める毛皮のローブだ。一見するとただの服だったため、他の競合相手もなく1000ゴールドで手に入った。


 ただの毛皮のローブに見えるのに、手で触った時に違和感があった。その違和感が何だったのか、家に帰り調べてからわかった。毛皮は毛皮でも、存在しない生物の毛皮だったのだ。


 魔術抵抗が高いが、完全に防ぐわけではないローブ。これを何着も作れたのなら、危険な研究の役に立つ。雨衣はあらゆる専門家を訪ね歩き、どの生物の毛皮なのか分析を依頼した。首をひねる専門家が40人を超えたところで、存在する生物の毛皮であると証明することを諦めた。雨衣はこれを、仮想生物のローブと名付けた。


 ――仮想生物。

 降伏しないリンナバラの最終兵器のひとつの可能性が、雨衣の脳裏にひらめいた。

 ありえないことはありえない。魔術分野の常とう句だ。


 何らかの方法で仮想生物を大量に召喚し、混乱に乗じて、バレク連合を潰すつもりだろうか。ただ、それだとバレク連合国内に残った兵に打撃を与えられない。第一陣をつぶしたところで、第二、第三陣、それ以降が対策を立てて潰すだろう。それほど国力に差がある。もしそれでも対処が難しいようなら戦術核兵器も残っている。


 しかし何か引っかかる。念のため自分も、国立機関所属の魔術師として、参戦要請がある前提で動いておいた方がいいかもしれない。

 手に持つローブを一度、元あった場所に置いた。





 この国の大動脈、バレク駅では、リンナバラ方面へ向かうすべての路線を貸し切り、軍事関係者の輸送のための魔動列車が終日運行されるらしい。


 一般人の立ち入りは規制され、兵士の家族による見送りも禁止されている。いつもなら人でごった返す駅のホームも、人はまばらだ。兵士たちは出立前の緊張につつまれており、ベンチに座ったりときおり聞こえてくる雑談もどこか上の空に感じられる。雨衣は携帯端末で関係者IDを提示し、ロジェから教わった5番ホームに向かった。


 ロジェは5番ホームの一番端のベンチで、迷彩服に身を包み、やめたはずのタバコを吸っていた。携帯用の灰皿にタバコの先端を当て灰を落としている背中に近づくが反応がない。少し間をあけた隣に座る。


「珍し。緊張してるんだ」

 ロジェはこちらに顔を向けず、正面を向いたまま煙を吐いた。

「そりゃな」

「はじめて会った時も、タバコ吸ってたよね」

「よく覚えてんな」


 はじめて会ったのはまだ高校生の頃だった。紫色に染まった珍しい空をぼうっと眺めながら裏路地を歩いていたら、ロジェがひとりで暮らしていたアパートのベランダで、煙を空に向かって吐き出しているところだった。


 当時から未成年者の喫煙は禁止されていた。雨衣とは同じクラスのクラスメイトの一人、程度には認識しあっていたロジェが、翌日の学校で口止めしようと話しかけてきたのがきっかけで話すようになった。


 ロジェは頭の回転が速く、授業はしっかり真面目に受けるし、逆に授業のないときには羽目を外すメリハリもあった。真面目一辺倒や不真面目一辺倒ではないバランスの良さが、当時の雨衣にはとても新鮮で、魅力的に映った。


 ロジェとはこれまで、恋愛の真似事をして失敗して、友人に戻って、また恋愛関係になって、また友人に戻って……よくわからない距離感だった。お互いに、本気の恋愛相手ができたらまず間違いなく清算を要求される、だらしのない関係。


 今は友人期だけれど、恋愛的な意味でも別に嫌いではない。ただ、お互いに気心が知れすぎていてどうも甘えてしまい、憎まれ口をたたいたり雑な扱いをしたりせずにはいられないので、恋愛感情をずっとは保てないのかもしれない。


「なんだその荷物」


 ロジェが顎で示した先には、雨衣の持ってきたスーツケースがある。雨衣は中から、圧縮袋に入れた毛皮のローブを取り出した。


 一度は自分用に残しておくかと思ったが、何かあったときに後悔しそうだったので、結局は持ってきてしまった。


「これ、わたしの持ってる中ではとっておき。魔術耐性のあるローブ」

「はあ? 俺らには軍用スーツが……」

「軍用スーツがあるのは知ってる。でもこの服は、仮想生物のローブっていって、特別。対魔術戦なら絶対に役に立つ」


 圧縮袋を彼の膝の上に押し付ける。そして手で押さえたままにする。

 彼は困ったように口を開いたり閉じたりした後、携帯灰皿にタバコを捨て、携帯灰皿を迷彩服の胸ポケットにしまった。


 タバコを持っていた右手を、圧縮袋を押し付けている雨衣の手に重ねてきた。


「わかったよ。着る」


 少しのあいだ温かみを感じた後、雨衣は手を抜いて、立ち上がる。


「それ、ちゃんと持って帰ってこないと殺すから」

「殺したあとはちゃんと死霊術で蘇らせろよ」

「考えとく。ロジェなら実験体にしても気がとがめないしね」


 笑うロジェに、雨衣も笑みを返す。

 出発前の合図と思しき警笛が鳴る。雨衣はロジェに背を向け、歩き始める。

 少しして、


「雨衣」


 と声をかけられ振り返る。

 ロジェが、何かを投げ渡してきた。慌ててつかみ取る。


「ありがとな!」


 ロジェはそう叫ぶと、魔動列車の乗車口に走っていった。

 投げてきたものは雨衣の故郷のお守りだった。天津原あまつはらの言葉が読めなかったのだろう、お守りには『交通安全』と書いてある。


「どういたしまして」


 ひとり残された雨衣は、小さくつぶやき、5番ホームをあとにした。


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