夕景世界の死霊術師

SET

プロローグ 不死の始まり

1 侵略戦争


 国立魔動力研究所、第11図書倉庫。

 石造りの薄暗い部屋に光が差しはじめ、まどろみの中にいた雨衣あまいの黒く長い髪を温めた。彼女は机に突っ伏していた体を起こし、ゆっくりとのびをしながら目を開ける。


 前髪を押さえていたはずのヘアバンドが、閉じた本のあいだに挟まっていた。本を開いてページ数を覚えたあと、ヘアバンドをもう一度つけ直す。椅子の背もたれに体を預けて天井の石肌をぼんやり見上げる。黒髪には赤いメッシュが一筋だけ入っていて、そのひとつをもてあそびながらしばらく眠気と戦った。


 大あくびをしたところで、正面の扉が勢いよく開いた。来客に見せつけてしまった雨衣は慌てて口元を手で覆ったが、相手を見てすぐに手を下ろした。考えれば、ほとんど雨衣専用の研究室となっているこの図書倉庫に、ノックもなしに入ってくる人間はこの男くらいだ。


「でけえあくび」

「ほっといて」

「また朝まで死霊術の研究か? 何が面白いのかねえ。陰気な女」

「戦争屋のあんたに言われたくないっての」

 やり返すと、赤褐色せきかっしょくの肌に、屈託のない笑顔が浮かんだ。


 この男――ロジェとは5年以上前、まだ学生だったころに知り合って以来の付き合いだ。お互いに立場は変わった。彼は今や魔動戦特化部隊の副隊長。ただ、笑い方だけは学生のころのまま変わらない。


 ロジェは手提げ袋を机に置き、中から、縦長の漆器しっきを取り出した。表面にはツルとカメの蒔絵まきえがほどこされている。雨衣が故郷を懐かしんで買ったものだ。いまは弁当箱にしている。中心街に行く機会の多いロジェに、天津原あまつはら料理の店でおにぎりを買ってきてくれ、と頼んでいた。


「礼は?」

「……ありがとう」

 雨衣は憎まれ口をたたくのをやめた。

 弁当箱を手元に引き寄せ、蓋を開ける。中には大きなおにぎりが2つと、きゅうりの一本漬けが半分に折られて入っていた。


 頼んだ具は梅干しとおかか。左手でおにぎりをつかんで、口に入れる。口に入れたところでおいしいもまずいもない。ただの米。何の変哲もないが、これが一番いい。おにぎりがつぶれず入る弁当箱をわざわざ選んだかいがある。


 黙って食べ始めた雨衣につづき、ロジェも、ステンレス製の弁当箱を取り出した。中にはつぶれたおにぎりがひとつと、目玉焼き、厚切りハム4枚、付け合わせのサラダが入っている。彼の信じる神に丁寧に祈ったあと、彼はマイフォークを取り出して、おにぎりに突き刺した。長方形になった不格好なおにぎりは、フォークに串刺しにされてぼろぼろと崩れながら、ロジェの口の中に吸い込まれていく。


「おにぎりは手で食べなよ」

「朝の訓練があったんだよ。こんなきったねー手で食えるか」

 それからしばらく、黙々と食べ続けた後、

「で、どう?」

 おにぎりを終え、きゅうりの一本漬けをかじりながら、雨衣はたずねた。

 ロジェは雨衣をまじまじと眺め、

「んー、なんか髪が油っぽくね? お前、最後に風呂入ったのいつ?」

「3日前」

「はあ? 信じらんねえ」

「におわないんだからいいでしょ。そうじゃなくて」

「香水は万能じゃねえぞ。だいたいお前は……」

「だーかーら! わたしが聞いてるのは髪の感想じゃない!」

「わかってるよ。そうカリカリすんな」

 ロジェが弁当箱を閉じ、頬杖をついて窓の外を眺め出す。口元に浮かんでいた笑みも消えた。

「控えめに言って、意味が分からない」

「てことは、降伏しないんだ?」

「ああ」



 ロジェと雨衣の属する国、15の自治州からなる大国・中央バレク連合国は現在、北方の中堅国家・リンナバラ魔術国に侵略戦争をしかけている。


 魔術科学と物質科学を掛け合わせた技術、魔動力が世界中に広まって久しい。けれどリンナバラは宗教上の理由から魔動力を敵視する国家だ。魔動力で世界をけん引するバレク連合とは折り合いが悪く、国境での紛争が続いてきた。


 魔動力が実現して300年が過ぎたいまとなっては、あらゆる面で国力差が歴然となった。特に魔動力兵器は核兵器、ミサイル兵器、無人機、戦闘機、戦車等、とにかく発展めざましく、軍事面においての開きが大きい。バレク連合の武力は、人間が直接、手を振りかざして魔法を使う、などという原始的な戦術でとても太刀打ちできるものではない。


 電撃戦によって、守りの固いリンナバラ首都を除く主要都市すべての防衛軍を完膚なきまでに叩いて占領し、降伏勧告が行われたのが、昨日。


 しかし、リンナバラは降伏しないという。


「お前はどう思う? ここから逆転できる魔術なんてあるのか?」

「あるかもしれないし、ないかもしれない」

「真面目に答えろよ」

「真面目に答えてる」


 多くの人間を安定的に生活させるエネルギー源としては、人間と連結した魔術よりも、機械と連結した魔動力が間違いなく上。経済面では、大量の電気をまかなうには後者の方が圧倒的に有利。軍事面でも、核兵器に勝る攻撃魔法は存在しない。魔動力が実現してから、この国が魔術への探求を捨てたのは合理的な判断だった。

 けれど魔術にはいまだ、人間の到達できない階層が隠れたままだ。


「例えば、人には生まれ持った魔術波長があるでしょ。すべての人間に備わっている1番から256番までの基本魔術波長と、人によって持っていたりいなかったりする256番以降の例外魔術波長。


 わたしたちは魔術波長を見ようと意識すれば見えて、操ろうと思えば操れる。魔術は、特定の魔術波長を特定の物体に重ねていくことで、空間に突然作用する。どうしてそんなことが起きるのか、いくら調べてみてもわからない。ただ、そうなってる」


 言いながら、377番の魔術波長を体から離し、宙に舞わせて見せた。小さな糸に見えるそれは、ロジェと雨衣の間をたゆたい、やがて雨衣の体に戻って消えた。


「要するに、ずっと魔術にこだわり続けてきたリンナバラの連中が、とっておきを隠している可能性も捨てきれないわけか」

「リンナバラで育った連中は物質科学を軽視しすぎだし、バレクで育ったあんたたちは魔術科学を軽視しすぎなのよ。お互いに相手の怖さが分かってない。だから戦争が始まった」


 ロジェは座っている木の椅子にもたれかかり、天井を見上げた。

「あーあ。俺は同盟の連中を殺してやりたかったんだよ。リンナバラなんてどうでもいい」

 ロジェが魔動戦特化部隊に入った理由は明快だ。15年前の世界大戦で、彼の両親を殺した北海同盟に復讐するため。魔動戦特化部隊は、当時の同盟との戦争で活躍した特殊部隊の一つだった。


 肉親の死がきっかけでこの道に進んだ、という意味では雨衣もロジェと似ている。小学生のころに、雨衣を虐待していた口うるさい母が死んだことが、死霊術に魅入られるきっかけだった。あんなに醜い性根を持った人でも、死ぬと静かになる。死はいいこと。死は楽しいこと。当時の自分はそう思った。

 今は……どうだろうか。


「で、俺も行くことになったわ。前線。出発前に挨拶しに来た」

 あっけらかんと、ロジェが言う。


 あまりに予想外の言葉に、雨衣は一瞬、理解が遅れた。魔動戦特化部隊は対北海同盟の切り札。細い海峡を隔てて領土を接する、北海同盟に対する押さえとしてとどまるのが通例だ。

 出るにしても最後だと思っていた。


「うちの部隊はここ十五年、出番がないからな。対外的に、国を守る剣がさびついてないところを見せつけたいらしい」

「バカみたいな理由」

 吐き捨てるように言った雨衣に、ロジェは頷く。

「まあな」

「出発はいつ?」

「午後の最初の魔動列車で」

 静寂に包まれた図書倉庫で、自分の胸の音だけがいやにうるさかった。




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