第21話 蘭丸の悩み

獅童しどうさまに怒られますよね」

「蘭丸さん、ごめんなさい。…怒られるのは私です……」

「あ、いえ。私が悪いのです。獅童しどうさまが助けてくださらなかったら…今頃りんさまはプテラの餌に」


 蘭丸はかわいそうにしゅんとしている。


 そう、今りんたちは獅童しどうに呼び出され広間に鎮座しているのだ。


 ドスドスと足音が聞こえ、勢いよく扉が開いた。


「待たせたな」


 蘭丸がひれ伏すのでりんも慌てて頭を下げる。


おもてを上げよ。楽にしてくれ」


 二人が顔をあげると、上座に獅童しどうが胡座をかき頬杖をつきながらこちらを眺めていた。いつも側にいるじんが見当たらない。朝食の時にも不機嫌だったが獅童しどうと何かあったのかもしれない。

 その代わり、雷狐らいこ獅童しどうの側に座っていた。記録係なのだから、当然か。


「この度は申し訳ございませんでした」


 りんと蘭丸が謝るのを獅童しどうは難しい顔で見つめていた。獅童しどうの蘭丸に対する態度を見れば、今度こそ職を失うかもしれない。そうならないよう、りんは戦う覚悟を持ってこの席に挑んでいた。


 沈黙が続く…。


「蘭丸、何故あの場所を選んだ? プテラの巣があることは、お前なら知っていただろ?」

「…」


「私が行きたいと申しました。弓の扱いにも慣れていますし、危険などないと思って。全て私の…」


 獅童しどうの尻尾がゆらゆら揺れている。本気で怒るつもりはないのだろうか。


「いえ。おっしゃる通りです。ただ…母上の見た景色を奥方さまに見せて差し上げたかったのです」


 りんはこれ以上獅童しどうが蘭丸にきつく当たらないように雷狐らいこに目で助けを求めるも、雷狐らいこは小さく頷くだけだった。なのでりんは前のめりで獅童しどうに「意義あり!」の声をあげた。


獅童しどうさま! お言葉ですが蘭丸さんは危険だと忠告されました。それでも行きたいと言ったのは私です。あの景色は、本当に素晴らしかった。案内していただき、私は本当に感謝しております!」


 蘭丸を罰するなら、離縁です! と言いかねない勢いだ。


「責めているのではない」

「へ?」

「俺たちにとって、あそこは大事な場所。そうだよな、兄上・・

「兄上? 蘭丸さんが?」


 りんはまたもや頭の中が混乱する。蘭丸は気付いたときには育ての親がいて、天満てんまに拾われたと言っていた。


りんを傷付けるつもりだったのか? 返答によっては容赦はしないぞ」

「誤解なさってはいけません! 蘭丸さんは私を庇ってくれました! 本当です」


 りんは立ち上がり抗議する姿勢を見せる。が…足がしびれてくたくたと倒れてしまった。


「あははは。お前は本当に面白い奴だな。こう言う時は黙って見ていれば良いのだ」


 獅童しどうはなぜか上機嫌だ。雷狐らいこも黙って成り行きを見守っている。男どもは時として予期せぬ行動を見せる生き物。兄のそう弥勒みろくもそうだった。


りんさまを傷付けるなんて、あるわけありません」

「では、まだ俺を憎み続けているからか?」


―― ちょっと待って! 憎むって何?


「まさか。私はあなたと違って神の使いにもなれないただの民。この場にいさせてもらえるだけで、張り合う気などないことはよくわかっているでしょう?」

「…」


 しばしの沈黙。


りんを守ってくれた。ま、いっか。面倒をかけたな」


 獅童しどうはぽそっと呟き、そっぽを向いて鼻の頭をポリポリしている。本当に素直じゃない。

 それを見た蘭丸は改めて頭をさげ、こう続けた。


りんさまを危険な目に遭わせ、かつ我が身をも獅童しどうさまにお守り頂き、本当に申し訳ございませんでした。全ての責任は私にあります。何なりとお申し付けくださいませ」

「相変わらずだな」


獅童しどうさま!」


 りんはたまらず獅童しどうの名を叫んだ。その呼び掛けに獅童しどうは大丈夫だと頷く。


「良い覚悟だ。それじゃ望み通り処罰を申し伝える」


 蘭丸は顔を上げ、目を閉じてじっとしている。その横顔は、不謹慎だがとても綺麗だった。


「我妻がこの国を完璧に理解するまでの間、しっかりと教育をすること。その間は我々の側を離れぬこと。これで良いか?」


 りんも蘭丸もキョトンとしている。


獅童しどうさま」

「何か文句あるか? 蘭丸」


「いえ。承知いたしました」


 そう言うと蘭丸は深々と頭を下げ、部屋を後にした。ふらふらしていたのは、足が痺れたからに違いない。


獅童しどうさまにしては、良いお裁きだったかと」


 雷狐らいこも嬉しそうだった。


 蘭丸は泣いていた気がした。獅童しどうと兄弟なら、この境遇の差は何だろう? 蘭丸は心の痛みを知っているから、人に優しくできるのだろう。そうりんは思った。



* * *


「はぁ~。今日も長い一日が終わってしまった…」


 りん雷狐らいこから手渡された小瓶を手に持ち、どうすればいいか悩んでいた。ここでの暮らしも悪くない。むしろ贅沢をさせてもらっている罪悪感がないとは言えない。ここにいるみなの事が好きだし、もっといろいろ知りたいと思っている自分に気付く。

 そしてなにより、今は愛音あいおんのためのお酒も造りたいし、人間界の調理を神の民のみなに知ってもらいたい。とさえ思い始めているのだ。


 そんなことを考えていると、外から蘭丸の声が聞こえてきた。


りんさま? お邪魔しても大丈夫ですか?」

「えぇ、どうぞ」


 りんがドアを開けると、山盛りの水ナスを抱えた蘭丸の姿があった。


「こ、これは?」

「今夜もちょっと頂いてきちゃいました。そのうちりょうさまに怒られそうですけどね」


 蘭丸はみずみずしいナスを手渡し、いたずらした子どもの様な笑顔を見せる。


「うわぁ~美味しそう! ありがとうございますっ」

「それじゃ~私は…」

「あ、あの」


 受け取ったナスを抱きしめながら、りんは蘭丸を呼び止めた。蘭丸が消えてしまうのでは? と不安になる。


りんさま。あなたはとてもお優しい。大丈夫です。私はどこにも行きません。正直、獅童しどうさまを間近で支えることに私は耐えられなかった。同じ父と母を持ちながら、自分の不甲斐なさに幻滅したのです。だから逃げ出した」


 蘭丸は寂しい目でそう語る。蘭丸は誰よりも優しく自分に正直なのだろう。


「でも今は、りんさまが獅童しどうさまに嫁入りされたことに感謝しております。愛音あいおんさまもあんなに懐かれて、りんさまは不思議なお方だ」

「私は何も…」

「あなたがこの国を変える日も遠くないでしょう。既に愛音あいおんさまだけじゃない獅童しどうさまの心も掴んでいらっしゃる」

「えっ?」


 蘭丸からそんな話を聞かされるとは思っていなかったりんは、何て答えていいかわからずにいた。


「そして、私も」

「?」

「既に…りんさまがやりたいことに加担しております」


 蘭丸がナスを見ながら嬉しそうに話すから、りんも自然と笑顔になる。


「それではこれで失礼いたします。明日はお休みして、明後日からまた神々の歴史について学びましょう。しっかりと学んで頂きますよ」

「はい! よろしくお願い致しますっ」


 爽やかな笑顔を残し蘭丸が立ち去った後、立派なみずみずしいナスを片手にりんは考え込んでいた。


 これは浅漬けが美味しい!


―― 獅童しどうさまに、食べていただけるかしら?


 りんみやびの壺をかかえ、ナスを漬け込む。先日漬けておいたキュウリもいい感じにくたっていて美味しそうだ。


 りんは満足げに頷き、弥勒みろくから最後にもらった器を取り出した。獅童しどうと同じ綺麗な蒼い色がりんの心を和ませる。この器に盛り付けたら、きっと全てが美味しく見えるだろう。りんはそう思っていた。


弥勒みろくさま。私に勇気をください」


 りんは棚にそっと器を並べた。

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