第19話 プテラの襲来

りんさま。本当によろしいのですか? ここから先は危険が伴いますが…」

「えぇ。この国の果実を集めたいのです。それに…ここでしかない木の実もあるのでしょ?」

「うーん」


 難しい顔をして蘭丸が唸っている。結局りんの希望に寄り添って、城下町を越え山沿いの村まで足を運ぶことになったのだ。

 もちろん、紫音しおんがお供として付き添っているが…。凶暴な生き物もいるかもしれない。


「ほら! 蘭丸さん。行きますよ!」

「あ、待ってくださいっ!」


 りんは木々にっている実を見つけては蘭丸に確認する。食べられますか? これは何て言う実ですか? と。

 蘭丸はほぼ全部の実について熟知していたので、りんは忘れない様にメモを取りながら進む。


 ダルモアの城から東に向かう山は、りんが見たこともない木や花が咲いていて、散歩するだけでも楽しい風景が続いている。この辺りは神の民も足を踏み入れない領域のようで、小動物や小さな鳥が木の実をつついたり、可愛らしい姿を見せていた。


「すごく素敵なところですね」

「お気に召されましたか? この辺りは特に自然が豊かで獅童しどうさまのお母さまもお気に入りの場所だったのですよ」

「お義母さま?」

「はい。それはそれはお優しくて綺麗なお方でした」


 蘭丸は少し寂しそうに微笑んで見せる。


「あの…獅童しどうさまの」


 りん獅童しどうの母のことを聞こうとしたその時、少し離れて歩いていた紫音が叫んだ。


「止まってくださいっ!!!」

「えっ? 紫音しおんさん?」


 振り向くと紫音しおんが唇に指をあて、もう片方の手で頭上を指している。頭上を見ると、あの傷付いた大鳥プテラがゆっくりと旋回しているのが見えた。気付かれたら襲ってくるかもしれない。


「何でこんなところまで?」


 蘭丸も紫音しおんも驚きを隠せない。近くには集落もあるそんな場所で、まるで獲物を探しているかのようにゆっくりと飛んでいるのだ。


りんさま。ゆっくりとこちらへ」


 紫音しおんは上空を見ながらりんを呼び寄せる。

 りんも上を見ながらゆっくりと下がって行く。子どものころ大きな熊と遭遇したとき、目をそらさずゆっくりと下がるということを叔父の我流がりゅうから教わった。その時の緊張感が蘇る。


 がさがさっ。


「「!?」」


 木陰から耳も尻尾も持たない女の子がこっちに向かっているのが見えた。花が一杯入った籠を抱えている。

 どうやら、まだプテラに気付いていないようだ。


「危ないっ!」


 一瞬だった。プテラが少女めがけて急降下する。

 あの時と同じだ!



 りんが背中に背負っていた弓に手をかける。間に合わない。紫音しおんが少女へ駆け出していていた。


紫音しおんさんっ!!」


 プテラが少女に爪をたてる直前、紫音しおんが少女を抱きかかえ木陰に飛び込んだ。

 目標を失ったプテラは急上昇し体制を整え、今度は蘭丸とりんめがけて標的を変更する。


りんさまっ!」


 紫音しおんの声が遠くで聞こえる。りんは女の子に気をとられ、攻めの体制が遅れた。その横で逃げることも叫ぶこともできない蘭丸が立っている。遠くに子どもを抱えた紫音しおんが目に入った。


『いいかい、りん。慌てるな。諦めるな。じっくり獲物を見ろ。そして引き付けて撃て!』


 我流がりゅうの声が聞こえた気がした。咄嗟にりんは弓を引く。大丈夫まだ間に合う。


「っ!」


 その時りんの前に蘭丸が、大きく手を広げプテラの前に立ちはだかった。プテラからりんを庇う様に。長くサラサラな髪が風に舞う。

 そこへ容赦なくプテラが突っ込んで来た。このままでは確実にやられる。りんの弓も蘭丸が邪魔になり放つことができない。


 蘭丸の顔はりんから見ることはできなかったけれど背中が物語っていた。「逃げて」と。


「凛っ! 伏せろっ!」


 誰もが諦めたその時、大きい白い物体がどこからともなく現れ、猛スピードでりんと蘭丸を押し倒した。


 間一髪でプテラの鋭い爪から逃れ、プテラは再び空へ急上昇する。

 それを見逃さなかった紫音しおんが、護衛用の刀を取り出しプテラめがけて投げつけた。刀は一直線にプテラを追いかけていく。


「ぎゃーーーーーーーーーっ」


 プテラの最期の声が響いた。



「バカかっ! 死にたいのか!?」


 その声は獅童しどうだ。何故ここに獅童しどうがいるのだろう? あっという間の出来事にりんはついていけない。ただプテラの攻撃をうけることなく、獅童しどうが助けてくれたということだけは理解できた。

 なのでりんはまだ弓を握ったまま、戦闘態勢を崩さない。


紫音しおん! そこのバカを頼む! 他にもいるっ。まだ来るぞ!! 油断するなっ」


 そう言うとりんをしっかり抱いて獅童しどうは真っ白な大きな獣にまたがり、山を駆け降りる。


 どこをどのように駆け降りたのか、かなりの時間走り続けていたように感じる。しばらくして城から流れ出る清らかな水の畔にでたところで、やっと足が止まった。

 走っている間、獅童しどうりんも何も言葉を発することはなかった。ただがっしりとした獅童しどうの腕がりんを振り落とさない様に抱きかかえている。


「はぁはぁ…。獅童しどうさま、ここまでくればもう安全でしょう」


 白い獣は大きなふさふさの尻尾を持っていた。雷狐らいこである。りんが初めて会った時と同じような姿で、獅童しどうりんを背中に乗せてここまで走って来たのだ。


雷狐らいこさん…。あ、ありがとうございます」

「お怪我はありませんか?」


「えぇ。私は…。雷狐らいこさんこそ怪我をされていませんか? 血が…」


 よく見ると、雷狐らいこの腹のあたりが赤く染まっている。

 りんは慌てて隣の獅童しどうを抱きかかえると、手がぬるっとした。改めて見ると獅童しどうの右肩から背中にかけて、大きな爪痕が残っているのが分かる。そこから出た血が雷狐らいこの身体を赤く染めていたのだ。


獅童しどうさま! お怪我を」

「ったく、ウルさいな…」

獅童しどうさま!」


 雷狐らいこも慌てていつもの姿に戻り、獅童しどうを支える。

 あの時、りんと蘭丸を押し倒した時にプテラの攻撃を受けていたのだ。


「お怪我を…」


 りんは慌てて近くの水辺で布を濡らし獅童しどうの血を拭う。


―― どうしよう、私が我儘を言ったばっかりに…。


りんさま。お城に戻りましょう。紫音しおんたちも無事のようですし」


「心配するな。何故泣く? こんなの擦り傷だ」

獅童しどうさま…」


 獅童しどうは腰から下げていた酒壺から酒を口に含み、右肩に酒を拭きつけた。


「っつっっ…。クソっ。痛てぇ」

獅童しどうさま、今りょうに申し伝えました。戻りましょう。りんさまもご一緒に」


 雷狐らいこは心配そうに獅童しどうりんを見つめている。本当に傷は大したことがないのだろうか。


雷狐らいこさん。この薬を獅童しどうさまにもよろしいでしょうか?」


 りんはもう一度綺麗に獅童しどうの傷の周りを拭い、母の形見で我流がりゅうから教わった傷薬をたっぷりと獅童しどうの傷に塗り盛る。

 すると先ほどまで苦痛な顔をしていた獅童しどうの顔が柔らんで来た気がした。


りん…。それは?」

「これは、私の叔父が教えてくれた塗り薬です。とてもよく効くのですよ」


 りんは涙を目に溜めてニッコリと微笑む。


「ありがとう。痛みが和らぐ」

獅童しどうさま…、申し訳ございません。私が、私が我儘で皆を巻き込んでしまいました」

「何度も言わせるな。お前が無事でよかった」


 獅童しどうが珍しく真面目な顔をしていた。その蒼い瞳には不安げなりんが映っている。


「それに、俺は神だからな。この程度の傷、明日にでも治る!」


 獅童しどうが立ち上がり自力で歩こうとよろめくから、結局雷狐らいこに支えられる羽目になる。


獅童しどうさま。無理はなさらない様に…」


 獅童しどうはしっかりとりんの手を握りしめる。大丈夫だ。気にするなと。

 そして自慢の尻尾はゆらゆら揺れているのであった。

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