第17話 神の実

獅童しどうさま?」


 りんは頬を朱く染めて身だしなみを整える。急激に躰が熱くなり室温が上がった様な気がする。


―― 大丈夫。怖くない怖くない。つむぎさまからもいろ教えていただのだから。誰にでも初めてはあるもの。私は大丈夫!


「どうぞ」

りんさま、失礼します」


 りんさま? ………。


 その声は獅童しどうではなく雷狐らいこだった。


 今夜獅童しどうが来てくれるのではないかと期待していたりん。少しだけ残念で、少しだけホッとしていた。


「遅くに申し訳ございません」

「いえ、まだ全然眠くなかったので。そういえば愛音あいおんさまはいかがでしたか?」


 少しお付き合いを、と雷狐らいこは小さなトマトと酒を持ってりんを誘う。どうやら、りんはトマトが好きだと思ったらしい。


愛音あいおんさまは、あの後スヤスヤとお休みになられました。まったく、愛音あいおんさまにも困ったものです。まぁ…、獅童しどうさまもじっとしていられない方でしたのでね」


 雷狐らいこりんに酒を注ぎながら、嬉しそうに話しをする。雷狐らいこりんが寂しがっているのではいかと気をつかってくれているのだ。


「そういえば、愛音あいおんさまは食の間にもいらっしゃいませんね。何か理由などあるのですか?」


 つがれた酒に口を付けると、鼻から抜けるフルーティーな香りとのど越しの良さが懐かしく感じられる。


「実は、愛音あいおんさまのお席もあるのですが、愛音あいおんさまはお酒が苦手でして」


 言葉を選びながら雷狐らいこは空を見上げて寂しそうに呟いた。


酒神ばっかすさまの家系として、お酒が飲めないのは致命的なのです。なので獅童しどうさまたち、ご親戚が集まる場所にはお顔を出せなくなってしまっているのです」

「そんな。お酒が飲めなくても家族ではありませんか」

「そうなのですが、それが天満てんまさまの、いえ…昔からの習わしなのでしょう」


 雷狐らいこがトマトをりんに勧めながら、愛音あいおんについて話してくれた。不憫に思っていることがとてもよく伝わってくる。愛音あいおん雷狐らいこになついているのも、雷狐らいこの優しさがあってこそなのだろう。


「今いただいているお酒の味を苦手に思われる方もいらっしゃると思うのです。でも、もっと甘いものがあれば、愛音あいおんさまも飲めるかも」

「このお酒はお口にあいませんでしたか?」


 雷狐らいこが心配そうにしているから、りんは慌てて言葉を付け加えた。


「いえ! これはとても美味しいです。どこか懐かしい味がします」


 それを聞いて雷狐らいこがとても嬉しそうな顔をしている。


「よかった! これは、りんさまの故郷の”龍星りゅうせい”でございます。このお酒が一番旨い! と獅童しどうさまは肌身離さず、腰に酒壺をかかえてまで大事にされていらっしゃるのですよ」


 雷狐らいこも美味しそうにくいっと飲み干す。今度はりん雷狐らいこに酒を注ぐ番だ。


雷狐らいこは、”龍星りゅうせい”を造っている蔵元のりんさまが、輿入れしてくださったことに、心から感謝をしているのです」

「そんな…。私は酒造りに携わってはいないので」

「いえいえ。獅童しどうさまも、あぁ見えて心から喜んでおられるのですよ」


 獅童しどうの名前が出ただけで、躰が熱くなる。これは酒のせいだけではない。


「本当でしょうか…。獅童しどうさまはこの部屋に…いらっしゃいますでしょうか?」

「えぇ、きっと」


 そう言ってみたものの、あの獅童しどうの性格だ。りん獅童しどうの部屋におしかけるか何か特別な理由でもない限り、なかなか部屋まではこないだろうなぁ~などと考えていた。どうしたものか…。


「そうだ! 雷狐らいこさん。獅童しどうさまもみなさまも、お料理されたご飯を召し上がられないのですか? あんなに新鮮で豪華な食材があるのに…、調理されていない気がして」

「調理?」

「えぇ、調理」


 雷狐らいこが珍しくキョトンとした顔をしている。


「えっと、焼いたり、煮たり、揚げたり、他の食材とかけ合わせたり…。それはそれは美味しいものが出来上がるのですよ。お酒のさかなとしてもお勧めなのです」

「ははは。素敵な顔をされていますね」

「えっ??」


 ついつい興奮気味に話してしまった。素敵と言われてりんは顔が朱くなる。


「この国の食事は人間界から贈られる食材が主になるのです。いろいろな土地から少しずつ頂いているものなので、調理という概念が我々にはありません。でもりんさまのお話を伺っていると、とても素敵なのでしょうね」

「えぇ。とっても。美味しいものは人を幸せにするのです。あ、これは私の母替わりのみやびさんの口癖なのですけど」


 りんは空になった雷狐らいこの盃にお酒を注ぎながら、恥ずかしそうにそう語った。


「なので、私が調理をして獅童しどうさまに召し上がっていただければと思うのですが、食べていただけるでしょうか?」

「えぇ、もちろんですよ。きっとお喜びになられると思いますよ」


 雷狐らいこには分からなかった。酒と女子おなごがいればそれで良い酒神ばっかすの血筋。獅童しどうが口にするかは本人次第だ。


「そう言えば、雷狐らいこさんは私に何か用事がおありなのでは?」

「あ…」


 りんは賢い。雷狐らいこが酒を飲み交わすためだけに、夜遅く部屋までくるとは思っていなかった。獅童しどうが部屋に来ないことを詫びにきたわけでもなさそうだ。


「そうなのです。肝心なことを忘れておりました」


 そう言うと雷狐らいこは懐から小瓶を取り出し、りんにそっと手渡した。

 中にはキラキラ光るラズベリーの実の様なモノが入っていた。


「綺麗~!」


 りんは受け取った小瓶を月にかざして眺めている。これが何かは分からないけれどとても綺麗で暖かい光に包まれるような感覚にりんはうっとりしていた。


りんさま」


 しばらくして、りんを呼ぶ声が聞こえた。雷狐らいこの方に振り向くと、とてもまじめな顔をしてこちらを見ていた。


雷狐らいこさん?」

「これから、少し真面目なお話をさせていただきます」


 りんは両手で小瓶を包み、雷狐らいこの方に向き直り小さく頷く。


りんさまは人間界でお生まれになられた。そしてここは神の国です。神の国と人間界では時間の尺度が違います。どうゆう意味かお分かりになられますか?」


 そうなのだ。人間であるりんは、いつか獅童しどうの年齢を飛び越し、人間としての生涯を閉じる運命。


「その小瓶の中にある木の実は、神の国の民となり神と同じ時間を過ごせるようになる神の実でございます」

「神の実…」


 りんは掌にある小瓶にそっと目線を移す。


「さよう。その実を食せば我々と同じように何十年何千年も共に生きていくことができます。ですが…、人間界のみなさまの命の終わりを見届けることになります」

雷狐らいこさん…」


「酒を飲みながらでお話することをお詫び申し上げます」


獅童しどうさまは何と?」


 りんの目がうるうるしている。いきなりこのようなことを突き付けるべきではなかったのかもしれないと、雷狐らいこは後悔し始めていた。でもいつ話したかとてりんへの衝撃はかわらないだろう。これでよかったのだ。


 りんはじっと雷狐らいこの答えを待っていた。




りんさまのご意志にまかせると」

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