第16話 長い一日

「何があった?」


 紫音しおん獅童しどうたちが来ることを伝えたすぐ後だった。獅童しどう雷狐らいこを連れて姿を現した。


 獅童しどうが広場に現れたことで、周りの民はひれ伏し拝みだすものまでいた。何だかんだ言っても獅童しどうは神なのだ。


獅童しどうさま。申し訳ございません。いつもは山にいるプテラが街に現れ、愛音あいおんさまを襲おうとしていたのでございます。それに気づいた我々でプテラを威嚇した次第です」


 紫音しおんが説明をしている間、獅童しどうは蘭丸が持っている弓に目線を移し、そして隣に立ち尽くしているりんをじっと見つめていた。その目は厳しく威厳に満ちていた。

 神の国の生き物を殺めようとしたりんを、獅童しどうは咎めるだろうか? りんは謝っても許されないことをしでかしたようで、ドキドキが止まらない。


―― や、やってしまった…。あれほど弥勒みろくさまにも注意されていたのに…こんなにも早くやらかしてしまうなんて。私のバカ!


 りんは咎められることを覚悟し目をギュッと閉じる。



りん、怪我はないか?」


 獅童しどうりんの側に歩み寄る。どうしよう、真実を伝えるべきだ。あの男の子の衣服が血で汚れたのは自分のせいなのだから。とりんが口を開こうとした時、獅童しどうが予期せぬ行動に出た。


「怪我がなくてよかった」


 そう言うとりんをそっと抱き寄せギュッと抱きしめたのだ。獅童しどうの腕は温かく力強くとても心地がよかった。全てを包み込む力強さがそこにある。


「あ、獅童しどうさま…、あの…私」

「分かっている。プテラは神の民を襲う困った鳥なのだ。お前が我が弟を守ってくれたのだな。礼を言おう」


 そう言うと獅童しどうはそっとりんから離れ、先ほどから茫然と佇んでいる愛音あいおんの方へ向き直った。


愛音あいおん! 何か申し開きはあるか? また付き人を困らせているのだな」


 あなたもですよ? という顔で雷狐らいこが二人を見つめている。神の側近というのは、苦労が絶えないらしい。


「お兄さま! うぇぇぇぇぇん。 僕…僕っ」

「ほら、落ち着け」


 愛音あいおんは血だらけの手で涙を拭くものだから顔にもべったりプテラの血がついてしまう。それを見たりん愛音あいおんの顔についたプテラの血をそっと拭う。


「大丈夫、怪我はないわ。びっくりされてしまわれたのですよね?」

「う…ひっくっ」


 愛音あいおんと目が合う。獅童しどうと同じ蒼い瞳をしていた。


「綺麗な瞳をしていますね」


 りんがそう言うと愛音あいおんはすっと雷狐らいこの後ろに隠れてしまった。雷狐らいこのモフモフの尻尾にギュッとしがみ付き、ちらっとりんを眺めている。


愛音あいおんさま。りんさまですよ」


 雷狐らいこがそう説明するも恥ずかしいのか、愛音あいおんは尻尾の中に隠れてしまった。


「嫌われてしまったのかしら…?」

「あいつが嫌ったら、あっという間に走って逃げだすからな。それは手が付けられない。ということは、お前のことは気に入ったんだろ」


 獅童しどうが面倒くさそうに、後は任せると雷狐らいこに言い、来た時と同じように去ってしまった。


「あ、獅童しどうさま! まだ人間界でお話を聞くと言うお役目が!!」


 追いかけようとした雷狐らいこの尻尾は、愛音あいおんにガッツリ握られている。雷狐らいこは諦めるより仕方がなかった。


獅童しどうさま、お逃げになられましたな!」


 ぷんぷんする雷狐らいこを励ます形で、残されたりんたちは、愛音あいおんを別邸に送り届けるべく、ゾロゾロと移動したのであった。


 蘭丸との勉強会はまた後日。



* * *


 城に戻って来たりんは、自室で蘭丸から渡された本を読んでいた。この国の地図が載っている大きな図鑑の様な本だった。


「この国には6個の大陸と、それを中心に天満てんまさまが暮らす酒神ばっかす島の7つで構成されているのですね。うーん広いわ」


 ダルモアの国は6個の大陸の中でも2番目に広い土地を有している。そして他の大陸にはそれぞれ獅童しどうの兄という神たちが統括しているという。舌を噛みそうな名前で、りんには覚えられそうにない。


 ふと目線を外に移すと、庭先から見える月がとても綺麗に見えた。この月は人間界のみんなにも見えているのだろうか…、と少し寂しい気持ちになる。


りんさま」


 紫音しおんの声が聞こえた。夜も更けて、そろそろ寝る時間だと伝えに来たのだろうか。


紫音しおんさん。お入りください」


 紫音しおんがそっとりんの部屋に入ってきた。手には野菜の入った籠と巾着袋を抱えていた。


りんさま。先ほど蘭丸さまがこちらをりんさまにお渡ししたいと」

「あっ。待ってました! うわぁ~美味しそう! どうもありがとう!」


 紫音しおんが大きな籠をりんに渡す。


「これを、どうなさるおつもりですか?」


 紫音しおんが不安そうにりんに話しかける。こんな不安そうな紫音しおんを見たのは初めてだ。


「ふふっ。これをね、料理しようと思っているのです」

「料理ですか」

「えぇ。人間界では食材を掛け合わせて料理をするの。煮たり炒めたり揚げたり。とても美味しくなるんです」


 りんがとても嬉しそうに話しているので、紫音しおんもニコニコして話をきいている。りんだって みやびに手ほどきを受けている。料理くらい人並みにできるのだ。


「出来上がったら、紫音しおんさんも食べてみてくださいね」

「ありがとうございます」

「いいえ…。私の方こそ! 今日の事も…本当にありがとうございました」

「いいえ。ご無事でなりよりです。私はりんさまを守るよう仰せつかっておりますので」


 紫音しおんは深々と挨拶をし、部屋を後にした。


 部屋には一人りんが残された。ここはりんの部屋。ベッドもあれば、人間界から持参した物もいっぱいある。離れが再現されたような感じだ。

 でも1つ違うことは、ここは獅童しどうと暮らす館。獅童しどうにも個人のプライベートルームがあるようで、そこには獅童しどうの寝る場所が設けられている。


 今夜からは、獅童しどうの気が向いた時にりんの部屋にやってくる。というシステムになるらしい。そんなことを紫音しおんから聞かされた。


 そもそも女性の少ないこの環境で、紫音しおんとだけ、女同士の秘密の話ができる。いや…蘭丸にも相談ができるのかもしれないが。


 紫音しおんが持ってきてくれた食材の下準備をしながらりんはそんなことを考えていた。


 すると静かな部屋にトントンと来客者が扉を叩く音が響いた。

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