第8話 旅たち

 森に囲まれた場所に、朱い鳥居がある。その奥に神の池と呼ばれる池がひっそりと存在していた。昔から村人は神への捧げものや神楽の舞を奉納してきた由緒ある場所だ。


 今そこにりんたちが、神の国への扉が開く瞬間を待っている。


「もうすじゃ。もうすぐ満月が神の池の真上にくる」


 そうつむぎさまが話した瞬間、ふわっとした風が舞い上がり、どこからか桜の花びらが、ひらひらと池の中央に舞い降りた。


「始まるぞぃ」


 その声と同時に満月が池の真上に到着し、月の光が桜の花びらを照らす。


 すると…月の光が池の水に反射し、物凄く強い光が池の中央から湧き上がる。そして水しぶきを上げる様に、キラキラと光りだした。


「綺麗…」


 誰もがその光に目を奪われていると、その光の束が徐々に形をつくり階段が創り出される。そして池に映った月の光が小さな粒となり上空へ浮かび上り、やがてそれらは大きな光の束に形を変え、ふんわりと扉を模り始めた。


「「「おぉ~」」」


 その場にいた誰もが、光のショーを目の当たりにし、感嘆の声をあげた。




 しばらくすると、光の扉の奥から優しく穏やかな女性の声が聞こえてきた。


「お迎えにあがりました」


 そう言うと扉が厳かに開き、中から数名の人物が現れ階段の脇にゆっくりと整列した。

 彼らはみな同じ格好をし、狐の面を被っていた。そしてそれぞれの頭には、狐のような犬のような耳がついており、さらに彼らはふさふさの尻尾を携えていた。


 

 りんはゆっくりと神輿を降り、恐る恐る前に進んだ。先頭で池をみていた琥太郎こたろうたちも、りんに道を譲る。


りんさまですね。私は神の国の使い紫音しおんと申します」

紫音しおんさま…」


 紫音しおんと名乗った者は、被っていた狐の面を取り、深々とりんにお辞儀をした。髪が長く切れ長の目をした男性とも女性とも受け取れる美しい姿をしていた。


――  なんて奇麗なお顔をされているのかしら?


 さぁ、こちらへ。と紫音しおんが差し出した手に、りんはそっと手を添えた。その瞬間ふんわりと身体が軽くなる気がして、今まで感じたことのない優しさに身体中が包まれた。

 りんはその感覚の中、一歩また一歩と光の階段を紫音しおんとともに進む。


 不思議とりんの心は穏やかだった。これから神の国へ行く期待感がりんの心を満たす。


 そして、一番上まで到着した時りんは振り返り集まった皆の顔を見渡した。最後の、本当に最後の挨拶のために。


りん!!」

「えっ?」


 村人の後ろの方から、懐かしい声が聞こえてきた。その声の主は、村人をかき分け最前列に向かってくる。


弥勒みろくさま!?」


 弥勒みろくが集まった村人をかき分け、木の箱を抱えて池の畔まで来ようとしている。今頃なぜ?


 りんの心に蓋をしたはずの想いが溢れてくる。神の花嫁になることを受け入れた時、想い出として飲み込んだ想いが…。


 りんの想いに反応したかのように、池の水面がさざめきだす。その池の変化に神の民たちもざわつき始めた。


りんさま? 落ち着いてくださいませ。あの者になにか…?」

「あ、いえ…」


 はぁはぁ…、と息をきらしながら弥勒みろくが最前列までやってきた。お互い手を指し伸ばせば、触れられる距離に弥勒みろくがいる。


弥勒みろく、お前何でこんな時に!」

「すまない。や、やっと…。はぁはぁ…。やっと焼きあがったから。りんに伝えたくて」

弥勒みろくさま…」


 琥太郎こたろうも怖い顔で弥勒みろくを諌めている。


りんさま?」

紫音しおんさま、お願いです。最後に彼と話をさせていただけませんか?」

「えっ?」


 紫音しおんの顔に戸惑いの色が浮かんだ。花嫁になる者は神の国に入る前に限られた人物としか交流できないのが習わし。ここでりんの要望を叶えることは、しきたりを破ることになる。


紫音しおん、良い。りんさまの願い叶えてさしあげなさい』


 雷狐らいこの声だ。雷狐らいこの声が紫音しおんに語りかけてきたのだ。


 雷狐らいこ紫音しおんたちの上司にあたる身。その雷狐らいこが良いというのだから、ここで目くじらを立てる必要もない。


 紫音しおんは優しくりんに頷いた。


「ありがとう。紫音しおんさま」


 そう言うと、りん弥勒みろくの元まで階段をゆっくりと降りて行く。これが最後。これが本当に最後なのだ。


りん、遅くなってすまない」

弥勒みろくさま。会えてよかった。少し心残りだったのです。ご挨拶させてくださいませ」


 りんは背筋を正す。


「今まで本当にありがとうございました。りん弥勒みろくさまと過ごした時間…、とても幸せでした」

りん


 弥勒みろくは持ってきた箱をりんに手渡す。


「これは?」

りんが気に入ってくれた、青磁釉せいじゆうを使った器が入ってる。神の国でも使ってもらえたら…。その…、最高の、満足できる色がでたんだ。だから君に使って欲しい」

「まぁ。よろしいのですか?」


 あどけない顔でりんが微笑むから、弥勒みろくもつられて微笑む。


「どうしても、君に渡したかったんだ。遅くなってごめん」

「い、いいえ。とても嬉しい」


 りんの目に涙が浮かぶ。それと同期するかのように池が激しく揺れ始めた。

 大きく深呼吸してりんはしっかりと弥勒みろくを見つめ、そして周りの村人の顔を見渡し、こう続けた。


弥勒みろくさま、みなさま…。本当にありがとう。お元気で」


 そう言うとりんはくるっと踵を返し、再び階段をのぼり紫音しおんの元へたどり着いた。


 紫音しおんさま、お待たせしました。と告げると、最後に高い位置から深々とみなに一礼をする。


「「「りん」」」

「「「りんさま!」」」


 村人たちの声を背中に、ゆっくりと扉がしまった。いつしか扉は光の粒と化し、ここにいるみなの頭上へ優しい雨のように降り注いでいく。


 りんは神の国へ旅立ったのである。

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