第7話 人間界最後の夜

 ここは人間界。りんの嫁入りまであと1日。


 離れでの引き籠り生活を始めてから今日までの間、りんは室内に設けられた清水せいすいの湯で毎日身体を浄め、食事も制限された生活を送っていた。昼間は全身のエステをみやびに施してもらい、初めて泥パックなるものも体験し、お肌がしっとりもちもちに。ちょっぴりご満悦だ。


「早いもので…いよいよ明日じゃな」


 食事を一緒にしていたつむぎさまが箸をおいて、寂しそうに呟いた。


「明日はどうすれば良いのですか? 今までお浄めはして来ましたけれど…何が変わったのか、わからないわ」

「明日のことは、お聞きしてなかったですね」


 りんから茶碗を受けとりながらみやびが疑問を口にする。


「言い伝えによると、悟り窯さとりがまの裏手にある神社の池が、神とこちらを結ぶ入り口でな。時が来た満月の夜に扉が開くのだそうじゃ」

「そんな近くに…」


「毎年神さまへのお供え物やお祭りは、あの神社で行うじゃろ?」

「確かに! 初モノのお酒も池に奉納してますね」


 うんうん、とつむぎさまが頷く。


「そういえば…、つむぎさまは神さまの声をお聞きになられるのですよね?」

「まぁ、そうじゃな」

「どんなお話をされますの?」


 りんは気になっていた疑問をぶつけてみた。もし神の国に行ったとしてもつむぎさまを通じて話ができるのであれば、人間界ともずっと繋がっていられるのでは? と思ったからだ。


りん? 神の国に嫁いだら、こちらのことは気にしてはならぬぞ」

「えっ?」

「お主は神の民になり、神の妃となるのだから。まずは神に仕えなさい。さすればお主も人間界に富をもたらすじゃろうて」

つむぎさま…」


「さて、わしからの贈り物じゃ。神の国とはいえ邪悪なものもおる。これを肌身はなさず持っていると良かろう。きっとその邪悪なものからお主を守ってくれるはずじゃ」


 皺が刻まれた手でつむぎさまがブレスレットをりんに手渡した。そのブレスレットは丸く磨かれたピンククォーツやスターラウンドスモーキークォーツ、水晶が並んだものだった。


「綺麗~」

「腕に着けておくとよいじゃろう」

つむぎさま! ありがとうございますっ」


 ブレスレットは、りんの腕でキラキラ輝いていた。


 そういえば…、離れに籠ってからつむぎさまは居眠りをしていない。不思議。

 りんは優しく頷くつむぎさまを見つめながら、そんなことを考えていた。


「さ、明日は長くなるぞ。今夜はゆっくり休むが良い。さぁ、みやびも明日は忙しいぞ」

「かしこまりました」

つむぎさま…、みやびさん…おやすみなさいませ」


 りんは寝室に向かった。そして後ろ手で扉を閉める。今夜が人間界最後の夜。さみしい夜。そして感謝の気持ちが心から溢れる夜。

 りんはベッドに横になり天を仰ぐ。そしてゆっくり目を閉じた。 


* * *


 てんてこ舞いな朝が始まった。りんみやびは、神の国に持って行くものを再確認し、婚礼の着物に着替えた。

 髪は白い花で飾り、りんの柔らかな長い黒髪は毛先の方で軽くカールさせた。

 最後の仕上げに、紅を小指で唇に塗る。どこから見ても愛くるしい花嫁の誕生だ。


「お綺麗ですよ」

「あ、ありがとう。私ドキドキしてきたわ」


 りんの緊張し強張った手をみやびがやさしく包み込む。みやびの手はとても温かく優しかった。


「大丈夫。きっと幸せが待っていますよ」


 みやびは沢山の愛情でりんを包み込んだ。



 外ではりんを運ぶ台座の御輿が作られ、神社も祭りの飾り付けの準備で大忙しだった。もうすぐ日が暮れ、満月が輝き始める。


みやびさん。あのね…、えっと…。今まで本当にありがとう」

「改まって…何を」

「私…」


 りんの目に涙が浮かんでいる。瞬きをすれば溢れだすことが分かっていた。だからりんは、伝えたかった言葉をグッと飲み込む。きっとみやびにもりんの思いは届いているはず。


 離れの入り口がそっと開き、つむぎさまが声をかけてきた。二人のしんみりした空気を打破するのに十分なタイミングだった。


りん、準備は良いかね?」

「はい」


 りんが離れから出ると、りんを一目見ようと村人たちが御子柴みこしば家の屋敷に押し掛けていた。大勢の人の先頭に琥太郎こたろう我流がりゅう、そしてそうがいる。そうに至っては、あまりのりんの美しさにポカンとしている始末。


「お爺さま。行って参ります」

「うむ」


 そう言うとりんみやびに手を引かれ、御輿の台座にふわっと腰をおろした。


 りんを乗せた御輿は村の力自慢の男どもが担ぐ。先頭を御子柴みこしば家の男衆3人、その後ろにりんの乗った御輿。その後ろに神の国に持っていく葛籠、みやびつむぎさまをはじめとした何人かの女性、そして神へのお供え物が乗った小さな御輿が続く。

 その後ろから村人たちが続くのだから、神社までの道のりは人で溢れかえっていた。


 御輿は悟り窯さとりがまの前を通過する。煙が出ていないところを見ると、器は焼き上がったのだろう。納得の行く綺麗な色が出ているといいな。

 りん弥勒みろくの焼いたあの綺麗な青色のお猪口を思い出していた。


弥勒みろくさま…、お元気で」


 りんはそう呟くと、しっかりと前を向いた。もうすぐ神の池に到着する。

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