旅立ち

第5話 みんなへの挨拶

 夜明けから、御子柴みこしば家では神の嫁入りの準備にてんてこ舞いだった。りんの為に離れに部屋を設け、身を祓い清めるための準備が執り行われるからだ。


 離れに入れば、嫁入りの当日まで一部の限られた者としか交流ができず、離れは男子禁制となる。


 りんが唯一会える存在として二人、長老巫女のつむぎさまとみやびだった。

みやびは兄のそうと同い年ではあるが、りんの母親の様な存在で、りんに料理のこと、食材のことについていろいろ教えてくれていた。


 今回の嫁入りで、一番心を痛めているのはみやびかもしれない。


 みやびは神に捧げられるためだけに、御子柴みこしばの家に奉公にあがったのだから。自分の代わりにりんがこの家を去ることに、ひどく困惑していた。


りんさま。申し訳ございません」


 みやびりんの髪をく手を止めそう呟いた。儀式が始まる前に、りんは身だしなみを整えていたのだ。


「なぜみやびさんが謝るの?」

「それは…」


 みやびの手が再び止まる。


「本来なら私が…」

「何を言っているの? これからはみやびさんも幸せにならなくちゃ! ね、我流がりゅう叔父さまと幸せになってね」

「えっ?」


 鏡越しのみやびの頬が朱く染まる。


 りんはずーっと思っていた。なぜ我流がりゅうは嫁をとろうとしないのかと。最初は自分たちが足かせになっているのかとも思った時期もあった。でも気づくと我流がりゅうはいつもみやびを目で追いかけていた。


 もうみやびが神の元へ嫁ぐことはないのだから、二人には幸せになって欲しい。と心からりんは思っていた。


「叔父さまは狩りがお好きで、その辺の草とか平気で食べちゃうちょっと変わったところがあるけれど、すごく優しくて素敵な人よ」

りんさま? それは褒めていらっしゃいますか?」

「あ…」


 りんは思わずくすっと笑ってしまった。こんな時でも笑えるのは幸せなのだ。


我流がりゅう叔父さまと、バカなお兄さまを…よろしくお願いいたします」

「そ、そんな私に務まりますでしょうか?」

「大丈夫! みやびさんしかいないわ。本当よ」

りんさま…」


 さぁ行きましょう! とりんは勢いよく立ち上がり、みなの待つ大広間へ向かう。


 今日から引き籠りの生活が始まる。その前に長老や祖父の琥太郎こたろう、叔父の我流がりゅう、そして兄のそうに挨拶をする。その後村の人たちと最後の時間を過ごすのだ。

 一緒に遊んだ友人やご近所のおじちゃん、おばちゃんなど今までりんが会ったことのある人たちと会話ができる最後のチャンス。もちろん弥勒みろくと言葉を交わすことができるのも最後になる可能性が高い。


―― 大丈夫。私は大丈夫。決して泣かない。


 りんは気丈にも前を向き大広間に足を踏み入れた。そこには昨夜と同じ面々が厳かな雰囲気でりんを待っていた。


「おはようございます」

「おはよう。りん、昨日はよく眠れたか?」

「えぇ。お爺さま、ありがとうございます。今日は改めてご挨拶をさせてください」


 りんは大広間の中央に正座をし、かしこまる。目の前には琥太郎こたろうを中心に左右に我流がりゅうそうがじっとりんを見つめていた。そうは既に目に涙を浮かべ、鼻の頭を真っ赤にしている。そんな顔をされたら、こっちが悲しくなるからやめて欲しい。りんはそう思いながら深々と頭を下げた。


「お爺さま、叔父さま。今まで大切に育てていただき、本当にありがとうございました。心から感謝しています」


 りんは顔をあげ、真っ直ぐ皆の顔を見ながらゆっくりと感謝の気持ちを語り始めた。それは物心ついた時から本当の娘のように育ててくれた我流がりゅうへの感謝の気持ちと、時に厳しく、時に優しく、暖かく見守り続けてくれた琥太郎こたろうに対して。どうしても伝えておきたかった言葉だ。


 大広間にいる者たちから鼻をすする音が聞こえてくる。


りん、こっちに来て顔をよく見せておくれ」

「お爺さま…」


「あぁ…りん


 琥太郎こたろうの皺皺の温かい手がりんの顔を包み込む。子どもの頃琥太郎こたろうの膝の上を、兄のそうと取り合いをしていた頃が懐かしい。


「お爺さま。私…、私立派に努めを果たしてまいります。皆が幸せに暮らせるように。神さまからの恩恵を受けられるように、これからもお爺さまたちが美味しいお酒が造れるように」

りん…。そんなことはどうでも良い。お前が幸せであればそれでよい」


 琥太郎こたろうは小さな声でそう囁くとりんをぎゅっと抱きしめた。誰もが涙し、琥太郎こたろうの瞳も涙で濡れていた。


「お爺さま…」


 泣かないと誓ったはずなのに、りんの目から大きな涙がポタポタ流れ落ちる。


「もう、行きなさい。わしがりんを独り占めするわけにはいかぬ」


 琥太郎こたろうは、そっとりんを抱き起こしりんの涙を拭う。


 りんも小さく頷き大広間にいる長老にも挨拶を交わし、みなが待つ広場へ向かった。


りん!」

りんさま!」


 広場に設置された舞台のような場所で、村人の行列が出来ていた。一人あたり1分。グループであれば、かけるその人数と時間が割り振られていた。


 懐かしい顔ぶれや、神の国に持って行きなされと、様々なものがりんに贈られた。中には牛一頭を持ってきた者までいるほど。


 りんの傍でタイムマネジメントをしていたそうの顔にも、明らかに疲れが見えていた。あまりにも突然のことに、昨夜はほとんど眠れていなかったのだろう。


りん、大丈夫か?」

「ありがとう、お兄さま。みなさんお優しくて…離れるのが寂しいな」

「だよな」


 行列の波が落ち着き、桜の花びらが庭にヒラヒラ舞うのを、ボーッと眺めていた二人だったが、二人は気付いていた。まだ弥勒みろくが現れていない。


弥勒みろく…来てないな」

「そうですね。昨日は窯の火をいれたばかり…今夜までは火を弱めることなく焚かなければ…。お忙しいのですよ」

「何だよ、あいつ」


 そうの言葉にも力はなかった。分かっているのだ。りんに会ってしまえば、これが最後になってしまうことを。だからあえて会わない選択をする。最後にしたくないから…。まったく弥勒みろくらしい選択だ。


「お兄さま」

「何だよ改まって…」


「えへ。」

「気持ち悪いな」

「あのね、これからもおいしいお酒造ってね。私、神さまと一緒に見守ってるから」

「やめてくれ。死んじゃうみたいな言い方するなよ」


 そうがまた鼻の頭を赤くする。


「それと…、私がいなくても、弥勒みろくさまと仲良くね」

「なんだよそれ」

「えへへ」


 楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので、もうすぐ嫁入りの儀式の時間が近づいていた。

 少し遠くからみやびがこちらを窺っているのが見える。


「そろそろですね」

「そうか…そんな時間か」


 とうとう弥勒みろくが現れないまま、りんは嫁入りの儀式のため、みやびの後について離れに向かう。


 入口には我流がりゅうが待っていた。いままで嫁入りに対して口を開かなかった我流がりゅうが、たくさんの贈り物に囲まれて立っていた。


 みなからの贈り物は一旦離れに届けられたのだ。牛は…残念ではあるが、御子柴みこしば家で預かることになったのは言うまでもない。


りん、何か必要なものはあるか?」

「叔父さま…」

「用意しておく」


 我流がりゅうはそれ以上何も言わず、りんを抱きしめた。


 別れの時、そしてりんにとっては神の国での新たな出会いの時が、刻々と近づいていた。

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