第3話 選ばれし者

 その夜、御子柴みこしば家は大変なことになっていた。


 そうりんが家に戻ると、そこには御子柴みこしば家当主の琥太郎こたろうを中心に村の長老たちが集まっていた。なんとも厳かな雰囲気である。


そうりん。戻ったか」


 二人の祖父にあたる琥太郎こたろうが、しっかりとした太い声でそう切り出した。

 しわくちゃな顔に薄くなった白髪をきっちり後ろで束ね、白地の着物を身に纏った姿はいかにも当主に相応しい貫禄を放っていた。


「戻りました。お爺さま」

「うん。そこに座りなさい」


 言われるがまま、二人は琥太郎こたろうの前に座った。左右には村の長老たちが座っており、静かに二人を見守っている。


「早速で悪いが、何故呼ばれたのか…わかるな?」

「あの…。私が選ばれたって…お爺さま?」


 りんは恐る恐る聞いてみる。まだ幼さも残るその顔は緊張でこわばっていた。


「うむ。我流がりゅう、あれを…」


 二人の叔父にあたる我流がりゅうが小さく頷き、黒光りした漆塗りの盆をりんの目の前に差し出した。


 その盆の上には、破魔矢のような立派な矢がおかれていた。心なしか光を放っているように見える。


「何これ?」


 ゴ、ゴホンっ。我流がりゅうが咳払いをし、りんが破魔矢に触れようとしたのを遮った。

 慌ててそうは、りんの差し出した手を引っ込めさせる。



りん。昔からこの村に伝わる古事来歴こじらいれきの話を聞いたことがあるじゃろ?」


 そう切り出したのは、村で神の声を聞くという長老巫女のつむぎさまだった。

 が…、次の瞬間! スース―という寝息を立てて眠り込んでしまった。


 こうなってしまっては、次の言葉がいつ発せられるのか誰も知る者はいない。


「またか…。仕方ないのぉ。わしから話をするとしよう。そうりんも良く聞きなさい」


 居眠りを始めたつむぎさまの代わりに話を引き取ったのは、琥太郎こたろうだった。二人は姿勢を正し、琥太郎こたろうを真っすぐ見つめた。


「古来より我が御子柴みこしば家は、毎年蔵の中でも最高級の米の酒を神に捧げてきた。知っているね」

「はい」


「予てより、100年に一度…。我々は神の嫁に相応しい娘を選び、五穀豊穣を神に祈願してきた」


 琥太郎こたろうは皆の顔を見渡し、重い口調で話を続ける。


「今年がその100年目にあたる。ここにいる誰もが迷信だと思っていたが、今回は神の方からりん、お前を指名してきたんじゃ。こうして神からのメッセージが、ここ御子柴みこしば家に届いたのが何よりの証拠」


 皆の視線が破魔矢とりんに注がれる。ただ一人、長老巫女のつむぎさまを除いて。


「神は我々の生活を守ってくださる。我々の酒の味が決まるのも神のお力あってこそだ」


 さっきまで大人しく話を聞いていたりんが口を開いた。


「神様って目に見えるモノなのかしら? それに…嫁と言ってますけど、ていの良い生け贄ですよね?」


 りんが少し拗ねたように呟くと、となりに座っているそうは、妹のりんが暴言を吐きまくり、破魔矢を折り曲げるのではないか? とヒヤヒヤしていた。


りん、お前には見えるはずじゃ。言い伝えによると、神の嫁に選ばれし者は、神の使いが見れるようになる」

「うーん…。見えませぬ。ここにいらっしゃらないのかもしれませんが。もしその話が本当なら、つむぎさまが一番神様にお近いのではないでしょうか?」

「おい、りん


 たまらずそうが、りんをたしなめた。そうにとっても、りんを神に捧げるなんて馬鹿げたしきたりに腹を立ててはいる。だがどうにかできるものではない。


「わしも辛い。だがこれは人が生きていくために、神の恩恵を受けるためにも必要なことなんじゃ。わかってくれ」


 りんはじっと琥太郎こたろうを見つめ、今までここで暮らしてきた10年以上もの日々を思い出していた。




 そうりんは幼くして両親を失っていた。母の弟の我流がりゅうが二人を引き取り、我が子同然として御子柴みこしば家で育てたのだ。


 特にりん我流がりゅうを本当の父親のように慕い、いろいろなことを学んできた。我流がりゅうは酒造りこそ携わっていなかったが、読み書きをはじめ狩りの仕方、道具の使い方、草木の名前や特性など、本当に様々なことをりんに教えた。


 毎日がとても充実していて楽しかった。


 その御子柴みこしば家は、代々米の酒を作る蔵元で、毎年最高品の「龍星りゅうせい」を造っており、この村の品評会で神への献上物として選ばれるほどだ。


 酒の魅力に目覚めたのも、琥太郎こたろうの背中を見てそだったから。兄のそうが酒造りに携わってからは兄の働く姿を誇らしく思っていた。いつか自分も美味しいお酒を造りたいと願っていた。


 なによりも、兄のそう弥勒みろくと自然の中で遊び回った子どものころの想い出が昨日のことのように思い出され、りんは心の底から熱いものが溢れてくるを感じていた。


 裏山でかくれんぼをしていた時、そうが鬼にも関わらずりんを探すのを諦め家に帰ってしまったことがあった。

 あたりが暗くなり心細くなってきたころ、弥勒みろくが迎えに来てくれたのだ。暗い洞窟の中で膝を抱えて見つけてもらうのを待っていたりん。見つけてもらえた安ど感で、弥勒みろくにしがみ付き大声で泣いたことをふと思い出した。


―― 弥勒みろくさま…。私はどうすれば? こんな時弥勒みろくさまならどういう答えを導くのでしょう? 皆のため、神と人が共に支えあって生きていくために必要なことであるなら…。


りん…、大丈夫か?」

「お兄さま。大丈夫です」


 りんはまっすぐ琥太郎こたろうの顔を見て、自分の心が決まったことを伝えた。迷いがないと言えばウソになる。でも自分以外の誰かが神の元に旅立たなければならないのであれば、自分の代わりに選ばれる者の親や周りの人に悲しい想いをさせることになる。りんはとっさに考えたのだ。


「お爺さま…かしこまりました」

りん…」


「お爺さま! りんはまだ若い! そんなしきたりなど終わらせることはできないのですか!?」


 声を荒げたのはそうだった。そうにとってもりんは大切な妹なのだから。しかも神の嫁となれば、隣村に嫁ぎますというお気楽さはない。そして神の嫁という立場がどのようなものなのかもわからないのである。


そう…。ゆるせ」

「くっ…」

「お兄さま。私は大丈夫。私はもう子どもではありません。それに…神さまってお強くて高貴で素敵な方に違いありません。何があっても、私は大丈夫です。なんといってもお兄さまの妹ですし、お爺さまや我流がりゅう叔父さまに鍛え上げられたのですから。きっと大丈夫」


 最後の大丈夫はりん自身に向けた言葉のように聞こえた。


 りんは深々と頭を下げ、琥太郎こたろうに挨拶をする。不思議と悲しいとは思わなかった。


りん。よくぞ申した。それでこそ御子柴みこしば家の娘。これから約1ヵ月、次の満月がくるまで、そなたには嫁入りの準備の儀式が執り行われる。今日はゆっくり自室で休むが良い。詳しい説明は明日、つむぎさまから話があるだろう」

「かしこまりました」

りん…」


 りんは長老たちにも挨拶をかわした後、大広間のみなを残し席を立った。誰もが、ただりんの背中を見守るしかできなかった。




 りんは自室には戻らず、夜道を歩いていた。小さな灯りを手に持ち、どこに行く当てもなく歩いた。


 気付くと、弥勒みろくがいる悟り窯さとりがまの前に来ていた。まだ灯りが点いている。夜通し窯に火をくべるのだからまだ弥勒みろくは起きているはずだ。


―― 弥勒みろくさまにもお別れを言わなければ。でも…。何といえばいい?


 一歩、歩みを進めようとした時、草むらから勢いよく飛び出してきた物体がりんの行く手を遮った。


「きゃっ!」


 そこに現れたのは、モフモフの真っ白い毛におおわれた狐の様な犬のような生き物。ふさふさの尻尾は3つに分かれており気持ちよさそうにフリフリしている。

 

 その生き物はジーっとりんを見つめていた。まるで愛しい者を見る様な、優しくてくりくりッとした愛くるしい瞳が印象的だ。


 その生き物はりんを見つめ、ちぎれんばかりに尻尾を振り続けていた。

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