第2話 神への献上物

弥勒みろくさま? こんばんは~」


 時刻は夜8時を回った頃だった。外は既に暗く、若い女子おなごが一人歩きする時刻ではない。


 りんはこの村でたった1つの窯元、悟り窯さとりがまの扉の前で声をかけた。中からは灯りが漏れているので、弥勒みろくが今夜も作業をするために、窯のある工房に残っているのがすぐにわかった。


 弥勒みろくとは幼いころから一緒に育った兄妹のようなもので、弥勒みろくが窯を継いでからというもの、窯に火を入れるときは夜食の差し入れをするのがりんの日課となっていた。


「開いてるよ」


 小屋の中から穏やかで優しい声が聞こえてくる。りんはそっと工房の扉を開け、木で出来た質素なテーブルに持ってきた猪鍋と握り飯を並べた。


弥勒みろくさま、夜食をお持ちしました。冷めないうちにどうぞ」

「あぁ、いつもありがとう」


 そう言うと弥勒みろくは、窯用の薪を割る手を止めてりんの用意してくれた食にありつくことにした。今夜は夜通し火を焚く予定なのだ。


「お。今日は猪鍋なんて、豪勢だね」

「えぇ、叔父さまが猪を狩ってきたので。弥勒みろくさまのお口に合うかしら?」


 少しはにかみながら料理を取り分ける。


 本当は叔父の我流がりゅうと一緒に狩りにでたのだ。そこでりんは、得意の弓で猪を仕留めた。昔から弥勒みろくに、女性らしくとたしなめられていたりんは、そのあたりの話はしないことにしていた。


「うん、うまい。この味付けは日本酒にも合いそうだね」

みやびさんに教えてもらったの。今年の日本酒にもきっと合うわ!」

「そうだね。そういえば、今年の原酒のできはどうなんだい?」

「まぁまぁじゃないかしら? 兄が自慢気に話してましたから」


 りんは少し拗ねた様に話す。いつも酒造りの話になると機嫌が悪くなる。なぜって? それはりんの家が日本酒の蔵元で、酒蔵は基本男性のみが入って作業のできる神聖な場所として扱われているからである。だからりんがいくらお酒造りに興味を持っていても、なかなか酒蔵に入ることも許されないのだ。


弥勒みろくさまは、今年献上するお品は完成しましたの?」


 もぐもぐしている弥勒みろくの手が止まった。まだ納得の行くものができていない。窯の神様から嫌われてしまっていると弥勒みろくが思うくらい、期待する色がここ最近出ていない。


 そんな弥勒みろくの気持ちを他所に、りんが工房の中を見渡していると、ひときわ奇麗な器が目に飛び込んできた。


 それは蒼い釉薬をまとった奇麗なぐい飲みだった。海の様に透明感のある透き通ったツヤのある色合い。りんは人目でそれを気に入った。


弥勒みろくさま! これはなんですか!? この素敵な蒼い色をした釉薬…、初めてみました。とっても奇麗」


 弥勒みろくは食べる手をとめて、蒼い色をした器をりんの手にそっと置きながらこう答えた。


「これはね。青磁釉せいじゆうという釉薬を使ったんだよ。酸素を極力少なくした還元焼成っていう手法でできるんだ」

「本当に綺麗な青ですね。奇麗な水のような海のような色合いで」


 りんはそれから目が離せなくなっていた。


「ありがとう。これでりんの酒を飲んだら、最高に旨いだろうね」

「これを今年の献上品に?」


 りんはそっと器を弥勒みろくに返しながらそう尋ねた。この色をした器であれば、どんな食材も美しく美味しく盛り付けられるだろう。そんなことをりんは考えていた。


「うん。でもね…なかなかここまで綺麗な色を出すのは難しいんだ。今夜の窯でうまく出ればいいんだけど」

「きっと大丈夫! 弥勒みろくさまなら出来ると信じています! 根拠…ないですけど」


 あははは、と弥勒みろくが嬉しそうに笑うから、りんもつられて笑う。


 子どものころから憧れの兄のような存在の弥勒みろく。実の兄のそうと3人で山や川で遊んでいたころがとても懐かしい。


「もうすぐ村から、酒神バッカスさまにお供えする品の品評会が行われるんだろ?」

「えぇ。うちのバカ兄貴も今最後の仕込みに追われているの」

「相変わらず棘のある言い方を…くすっ」


弥勒みろくさま、今笑いましたね! もぉ~、私はいつになったら蔵にいれてもらえるのか…」

「まぁ、仕方ないよ。酒造りは代々長男が守ってきたのだから、そうが頑張ってくれてよかったじゃないか」


 弥勒みろくはテーブルに戻り、にぎりめしを喰らいながらこう続けた。


りんも、お年頃だろう? もう狩りなどは行かず、みやびさんから料理や家事を教わって、嫁入りの準備でもしたらどうだ?」

「また、その話ですか? もううんざりです」

そうから聞いたぞ。お見合い相手を剣道で、ボコボコにしたそうじゃないか」


 弥勒みろくはすごく楽しそうだ。でも、当事者のりんとしてはまったくもって面白い話ではない。


「本当に面白みのない殿方でした。剣道も弓も、薪割すらしたことがないのですよ。そんな殿方は願い下げです!」

「あははは。りんのお眼鏡にかなう相手など、そうそういなさそうだな」


 弥勒みろくはそういい、残りの猪鍋をたいらげた。


 りんにとって、弥勒みろくは良き兄であり、信頼できる大人の一人。

 そろそろ家に帰らなければならない時刻なのだが、弥勒みろくとの話は楽しくて時間が経つのを忘れてしまう。


 そんな時、人が走ってくるような音が工房の外から聞こえてきた。



 ガラガラっ。バンっ! 扉が物凄い音を立て、勢い良く開いた。


「はぁはぁ…はぁはぁ…」


 扉を開けたその人物は肩で息をしている。そうとう全速力で走って来たようだ。


「お、お兄さま?」

そう? どうした?」


「はぁはぁ…み…、水」


 りんが用意した水を大きな柄杓でがぶ飲みしたそうは、全身汗でびしょぬれだった。


りん! 帰るぞ」

「えっ? ど、どうゆうこと? わざわざ迎えに?」


 そうの慌てぶりを見た弥勒みろくは気付いた。なぜそうが、この工房までやってきたのかを。


 整った顔立ちの、穏やかな顔をした弥勒みろくの眉間に皺が寄る。


そう。もしかして、今年…酒神バッカスさまの嫁を選ぶ年だったのか?」


 りんは何事が起きているのか分からなかった。だからポカンとした顔をして、兄と弥勒みろくの顔を交互に見るしかなかった。


「そうだ…」

「兄さま?」


 そうは、怒ったような複雑な顔を上げ、こう告げた。


りん。お前が選ばれた」



「…?」



「お前が、酒神バッカスさまの嫁に選ばれたんだ」

「えっ? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」



 りんの声は村中に響くほどだった。驚くりんの横で、弥勒みろくの顔が曇る。


 そうにとっても驚きの知らせだった。きっと妹のりんは、いつか弥勒みろくと夫婦になるだろうと思っていたから。りんが神の嫁に選ばれるとは、想像をはるかに超えた驚きのニュースだったのだ。




 その頃雷狐らいこは…というと、ひたすらりんのいる村にむかって、一生懸命走っていた。


りんさま。はぁはぁ、今参りますゆえ! お待ちくだされ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る