AI創作のすゝめ

李都

AI創作の末路

 インターネットが生活の中心になってきた時代に、私は小説投稿サイトに出会った。プロを目指す層から趣味を楽しむ層までさまざまな人たちが、思い思いの創作作品を投稿している。私も趣味のひとつにしようと作家として何作か小説を投稿していた。

 簡単に多くの人に読まれることはないだろうと言い聞かせながら、ほんの少しの期待を込めて、何作か投稿していた。しかし、やはり簡単には伸びない閲覧数と、なかなかもらえない“いいね”に、自分の才能のなさを痛感させられた。


 SNSで繋がったフォロワーは、私と同じくらいの、或いは私よりも少ないフォロワー数で私の何倍もの閲覧数を稼ぎ、いいねをもらっていた。確かにあの人の話は面白い。評価されるだけのものだと私も分かっている。だが何だこの胸のドロドロは。あの人の話を読むたびに胸に黒い何かが溜まっていくようだった。

 私は知っていた。これは嫉妬であると。才能のあるものに嫉妬し、己の作品を素直にみられない日々が続いた。

 そんな日々を過ごしているうち、ふと書く気が失せてしまった。書かねばあの人達はどんどん先を行ってしまうのに。書くことを休めば私ほどの才能はすぐさま埋もれてしまう。そう思えば思うほど、焦りばかりが出てしまい、筆を握ることはできなかった。





 筆を置いてから長い長い時間が経った。

 なんとなくSNSを覗くと、『小説を書くAI』が話題になっていた。自分の書いた小説を、いくつかAIに読ませることで、その人の書き方によく似せた創作小説を書き上げるらしい。私は、これだ、と思った。早速パソコンにAIをダウンロードし、創作に取り掛かった。

 まずはAIに、自身の書いた小説を5つ読ませなくてはならない。そこからAIは学び、作者らしい本を書くのだ。

 その時、私は思ってしまった。私なんかの作品を学習させたところで、生まれる創作はたかが知れているものなのではないかと。

 それは単なる好奇心だった。だけれど思ってしまった。フォロワーで最も知名度のあるであろうあの人の小説をひとつ、私の小説に混ぜてしまおうと。たったつだけだ。ひとつくらいならどうということはない、だろうと。

 次に、書きたい小説のテーマや登場人物など設定し、あらすじと物語の結末を入力する。私は書き溜めていたネタ帳から、いくつか面白くなりそうだと思ったものを拾い出し、画面に入力した。

 あとはAIが書き終わるのを待つだけだ。



 完成した作品を読んだ私は感動した。こんなにも面白い作品が出来上がるのかと。私の考えた物語はやっぱり面白いのだと、無くなりかけた自信が、少し復活した気がする。そして同時に、これならあの人たちを超えられるとも思った。

 私はなんの迷いもなくこの物語をサイトにアップした。そして今までのようにSNSで宣伝した。


 『お久しぶりです。久々に新しい創作ができました! 自信作です。ぜひ読んでください』


 SNSにポツポツいいねがついていく。久しぶりとコメントをくれるフォロワーに、忘れられていないことにホッとしながら、それよりも早く読んでくれと言う思いが止まらなかった。

 まあ、長い間書いていなかった人間の呟きなどさほど見られることもないだろう。あまり期待せずその日は早めにベッドに入ることにした。




 次の日、スマートフォンの画面を開くと通知がとんでもないことになっていた。SNSのつぶやきに対していいねの通知が今までの数倍来ていたのだ。何事かと思って、作品ページを見ると今までにないほどの閲覧数になっていた。作品に対するいいねの評価も今までの比ではない。コメントをもらえる数も格段に増えていた。

 私は嬉しさのあまり泣きそうになった。私の書く話はこんなにも多くの人に読んでもらえるものだったのか。やっぱり私にも才能はあったのだ。今までの頑張りが報われた気がした。そして、すぐにでも次の話を書こうと思った。少しだけ胸に落ちた黒い何かには見ないふりをしながら。



 2作目を書く時は、更にもうひとつ、今回の作品をAIに学習させた。あれだけバズったものならば学習させない理由がなかった。

 また、貯めていたネタ帳から構成を考える。元々短編作者だったこともあってこの構成を考える作業はそれほど難しいものじゃなかった。むしろこの時間がいちばん物語を作っている気がして好きな時間だ。

 そうしてあらかた出来上がった構成から、必要な情報をAIに入力して文章の完成を待つ。数十分足らずで出来上がった作品を読んだ。やっぱり私の書く話は面白い。きっとこの話もバズるだろう。

 こうして私は第二の創作生活を再開。何作か投稿してはバズり、その作品をAIに学ばせてまた新しい作品を書く。そんな書き方が板についてきたところで、気づいたら多くの閲覧数を誇れる作者の一人になっていた。ただひとつだけ、作品をひとつあげるごとに、私の胸には黒い何かが溜まっていくような気がしていた。





 ある時、活動初期から私の作品を読んでくれていたフォロワーから作品にコメントが書かれた。いつもどの作品にもコメントをくれていたが、そういえば私が活動を再開してからはいいねをくれるばかりで、コメントを送ってくれることは無くなっていた。私は、コメントをくれないことに疑問を持ちながらも、いいねをくれているのだから数を稼げていると何も気にしてはいなかった。

 そんなフォロワーからの久々のコメントに、どんな賞賛をされるか期待していた。しかし、コメントを開いた私はその内容から目を背けたくなった。


 『久々のコメント失礼します。作者様の初期の頃から読ませていただいているファンの1人です。最近、活動を再開されて嬉しく思っています。でもひとつだけ寂しく思っていることがあります。それは昔と文の書き方?作風?が変わってしまった気がするのです。まるで機械的なような。素人の勝手な意見すみません。今の作者様のお話もとても好きです。でも昔の方が好きでした。それをどうしても伝えたかったんです。これからも応援しています』


 普通の人ならこんなコメント、ただのお気持ちコメントだと無視するだろう。けれど、私は肝が冷えた。まさか、AIが書いていることがバレたのかと思った。それに私は最初、ひとつとはいえあの人の作品をAIに学習させているのだ。こんなことバレたら私の創作生命がどうなるのか。気が気じゃなかった。

 

 この時、私の中に溜まっていた黒い何かが、溢れかえった。

 

 ああ、私の書いていた作品は本当に私が書いた話と言えるのだろうか。私が書きたかった話は本当にこれだったのだろうか。これは、他人の作風を混ぜ、私の考えたネタを喰らったAIが書き上げた機械の文章だ。これは、私の才能を喰らったAIの盗作たちなんじゃないか。

 そう思ったらもう、創作などできないと思った。私のしたことはきっとあの時から間違いだったのだ。でも、もう取り返しはつかない。あの時とは桁違いのフォロワー数だ。本当のことなど言えない。言ったら炎上するに決まっている。



 ……そうだ。これをネタに小説を書こう。私自身のこの体験をネタに、この劣等感をネタに書こう。もちろん最後は私自身の文章で。それを引退の作品にしよう。

 そうと決まればノートに今までの過程と胸に溜まっていた黒い感情、劣等感と罪悪感を並べて構成を作る。最後の最後にいい作品が書けそうだ。タイトルはすぐに決まった。さあ、書き始めようじゃないか。私の引退作品を。



《タイトル:AI創作の末路》

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