第206話 Bボタンを押せ……なかった
その後、サッカー協会から入部3ヶ月の条項が取り消された。そもそも意味がわからない条項であった為、まわりにはなんの影響もなかった。むしろ、その条項を取り決めた時に賛同した者たちが蒔苗の片棒を担いだとして、全員首を切られることとなったことのほうが騒動となっていた。
「すまなかったね。武藤くん。責任者として謝罪させてもらう」
騒動から数日。蒔苗一派がごっそりと粛清され、膿が一層されたサッカー協会から会長自らが中央高校の武藤の元へと謝罪に訪れていた。ちなみに私物化が著しいと言われているサッカー協会にあってこの会長は直接あくどいことをしているわけではなく、猪瀬には絶対に逆らわないため、黒い部分がありながらも猪瀬からお目溢しされている存在である。
「あの理由のわからない条項も取り消しておいた。君は気兼ねなくインターハイに出場してくれ」
「はあ」
「謝罪の意味も込めて、何かあったら要望を聞こうじゃないか」
「あーあの東方の小野って人。あの人をU17の日本代表に入れてやってください」
「小野くんかい? 一応彼には地区トレセンに推薦があがっていたはずだが……」
「いきなりナショナルでいいですよ。あんな天才初めてみましたから。あれを使いこなせなかったら監督のほうが悪い。そういったレベルですよ」
「そうか。考慮しておこう。それで君は参加しないのかい? 君にも是非ナショナルトレセンに来てもらいたいのだが……」
「だってあいつ……生きてるでしょ?」
武藤の目が全く笑っていないのを見て、会長である金元はその強い意志を理解した。
「……わかった。手間を取らせて悪かったね。大会頑張ってくれたまえ」
そういって金元は意外にあっさりとその場を後にした。
「おう、私だ。アレを処分しろ。……馬鹿野郎!! 塀の向こうだろうが関係あるか!! あれにはな、生きていてもらったら困るんだ。まだ時間はある。インターハイが終わるまでにはやっておけ」
中央高校からの帰りの車の中。金元はとある人物に連絡を入れる。物騒極まりない会話であるが、こんなことは日常茶飯事の世界で生きてきた男である。
(まったく……敵に回しちゃいかん男ぐらいわからんのか。あんなの一目見てわかんだろが)
金元は武藤に初めてあった瞬間の感想が「あっ死んだ」であった。特に威圧されているわけでもないのにその後ろに映る絶対の死を本能で感じ取ったのである。
そんな中での先程の打ち合わせである。修羅場をいくつもくぐり抜けているだけあって、この男も並の胆力ではなかった。
(何をどうやったらあんな男に喧嘩売ろうと思うんだ? 1億貰ったって嫌だぞ)
猪瀬がどうこうではなく、金元は武藤本人に対して本能が生物的な恐怖を感じ取っていたのである。
(駆け出しの頃なら間違いなくちびってたな。むしろあいつよくアレに喧嘩売ったな。逆にすごいのか?)
ちなみに原因は武藤にある。蒔苗にあった時は気配を抑えており、また煩わしいことになることを懸念した武藤が金元にあった時だけはオーラを若干開放していた為だ。
(まるで死神が首に鎌を添えている感じがした。反社の組長とあったときだってこんなことはなかったぞ)
実際、極道に周りを囲まれている時以上に死に近づいていたのである。それを鋭敏に察知していたこの男もまた只者ではなかった。
(何が何でもアレだけは敵に回しちゃ駄目だ)
数々の修羅場の経験からか、金元は武藤と一目あっただけで、唯一の正解を導き出していたのであった。
「で? どうだったんだ武藤?」
「なんか3ヶ月のやつなくなったらしいぞ。大会がんばれっていわれた」
「そうか!! よかったな、これで心置きなくインターハイに出られるな!!」
打ち合わせの後、顔を出したサッカー部で武藤は部員たちに安否を気遣われた。蒔苗については連日TVで報道されており、その都度余罪がわんさかと出てきている為、被害者である武藤が心配だったのだ。
ちなみにメディアやSNSでは現在、武藤より蒔苗の方がはるかに目立っている。なにせ連日新たな罪が追加されるのだ。トレンドワードが毎日更新される中、そのどれもが上位に入るほどであった。
そのせいか、被害者である武藤については殆ど語られることがなく、武藤としては当事者にもかかわらず、逆にしばしの平穏が訪れていた。
「武藤。お前から見て俺達に足りないものは何か教えてくれないか?」
「情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ」
「え?」
「そしてなによりも……」
「何よりも?」
「……なんでもない。まあ体幹じゃないかな」
速さが足りない!! と言う準備をしてしばらく待ったが誰一人ツッコんでくれる人がいなかった為、武藤はストレイト・クーガーの言葉をなかったことにした。
「あそこにコンダラあるだろ?」
「コンダラ?」
「ほらっグラウンドの隅に」
「整地ローラーのことか?」
「ああ、そうとも言うな」
「そうとしか言わねえよ!!」
小林のツッコミを他所に武藤は整地ローラーの場所へと歩いていく。気がつけばサッカー部全員がついてきていた。
そして地面に置かれた整地ローラーの取っ手である金属の棒の上に落ちていた野球のボールを乗せ、さらにもう1つ硬球を乗せる。そして自らがそれの上に乗っかった。
「嘘だろ……」
金属の棒の上に野球のボール2つを縦につなげて、さらにその上に片足で乗っているのに武藤は全く落ちることなくその場に立ち続けていた。
その状態で武藤はもう片方の浮いた足を後ろに下げたりキックのように前に出したりと動かしていた。しかし武藤は全く落ちる気配がなかった。そして武藤が足を下ろし、ボールに乗せていた足をどけると、ボールは普通に地面に転がっていった。つまりボールを固定していたわけではないことがわかる。
「どんな体勢でも自重を余すことなく使えること。これが体幹の基礎だ」
あまりにも曲芸じみた体幹にサッカー部一同は唖然として言葉を失う。
「できる?」
「できるか!!」
全員からツッコまれた。
「そっかー基礎なんだけどなあ」
「基礎の要求が高すぎる!?」
地球でいうところの達人レベルを基礎として要求していることに武藤は気がついていなかった。なぜなら先日戦った小野の体幹がかなりレベルが高かった為である。
「武藤からみて、東方と俺達との違いを教えてくれないか?」
武藤の要求レベルが高すぎることに気がついた真壁は、名門東方と比べて自分たちが足りないものは何かということを武藤にきいた。サッカー素人であるが故に自分たちでは気が付かないことに気がつくかもしれないとの予想である。
「そうだなあ……視線と判断速度かなあ」
「視線?」
「後ろから見てると、向こうの人達はなんかいつも首振ってた。周りの確認だと思うけど。ボール持ってるときも足元にあるボールを殆ど見てなかった」
「ルックアップか……確かにそれは名門らしいな。判断速度ってのは?」
「ボールが渡った後にどうするのかが、多分シチュエーション事に決まってるんだと思う。だからこうだったらこうって決まってるからそこに割く思考時間を省くことで、早い展開が作れてるんだと思う。もう考えなくても最適の動きができるように繰り返し練習してるんじゃないかな」
「!? 確かにボールが足から離れるまでが信じられないくらい早かった」
「しかも前線まであっという間に運ばれるんだ」
相手の位置と味方の位置であらかじめどこに蹴るかが決まっている為、取られにくくつながりやすいコースを最短でつなぐのである。常に各々が最適の位置に移動するのだ。やっていることはおおよそ高校のレベルではない。
そもそも東方高校は小野が入った時に歴代最強とまで言われており、武藤が居なければ小野は高校3年間無敗のはずであった。そして天狗になって怪我で挫折して酒気帯び運転で死亡というのが本来の歴史である。それが武藤と出会ったことで、小野は上には上がいることを知り、武藤に勝つために努力することを覚えた為、驕れることもなくその才能が開花し、本来であれば日の目を見ることのなかったその天才性を十二分に発揮することになる。武藤は天才性を持つ男を後にサッカー界の歴史に残る本物の天才にしたのである。
「さすがに一朝一夕で真似できるようなものはないな」
「うちはさ、俺と3年生がいれば守備はまあいけるじゃん? だから中盤以上が問題だと思うんよ」
決勝で結局点を取れなかった攻撃陣は苦虫を潰したかのような表情をする。わかっているのだ。自分たちが不甲斐ないと言うことを。
「……どうすればいい?」
「連携とかよりもさ、まずは基礎と慣れることから始めたら?」
「慣れること?」
「俺と小林がやってるみたいにさ、まずは2人組で地面に落とさず、1タッチで相手に返し続けるってやってみたら?」
「……それになんの意味が?」
「どんなときでもボールをコントールできるように慣れるってこと。1タッチで返せるならトラップなんか考えなくてもできるようになる。全員それができるようなれば、全員1タッチで前線までボールを運べるだろ?」
「そんなにうまくいくか?」
「知らん!!」
「おいっ!?」
「まあ無駄にはならんだろ。付け焼き刃で連携の練習するよりはいいんじゃないか?」
おや……サッカー部の様子が……
サッカー部はサッカーボールを使ったセパタクロー部へと進化した。
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