第189話 サッカー
学校紹介と野球部紹介動画を公開して数日。各所からものすごい反響があった。素人の動画である為、野球関係者からすれば非常に見にくい動画であったが、黒子のバッターの異常さはそれを補って余りあるほど伝わった。
MIKIがSNSで紹介した為そこからバズったのだが、プロ野球関係者が見た際のコメントに「こんな怪物いるのか? 今すぐプロに来て3冠とれる」とまで絶賛されていた。それもそのはずで、プロからすれば武藤のスイングが理論上は可能でも物理的にあり得ないということがわかるからだ。確認してから打てるのだ。そりゃあどんな球だって打てるはずである。
「このスイングが俺にもあれば3000はいけた」
とコメントしていたのは2000本安打も達成していた有名球団にいたプロ野球解説者である。
ちなみに部活に入らないと断言したくだりのやり取りも動画になっている為、黒子が野球部ではないことがわかっている。
日本プロ野球会の損失だ、是非プロになるべきだ等の声もあがり、マスコミから学校へ取材の電話も頻繁にかかっており、中央高校野球部は別の意味で有名になっていた。
紹介動画は黒子が一番目立つというわけがわからないものになってしまっていた。
1組と2組の女子生徒達にはバレバレであったが、黒子は一体誰なのかという話題で学校中が騒然としていた。
「なんか優越感あるよね」
「私達は知ってるんだぞーってね」
「皆さん。わかっていらっしゃるとは思いますが、くれぐれも注意してくださいましね」
「わかってるよ皇さん」
「私達だけの秘密だからね」
2組の朝の教室。いつも通り武藤の周りに集まっている女子生徒たちは、野球部の紹介動画の話しで盛り上がっていた。
「なんか今朝、うちの野球部がTVに出ててビビったわ」
「そうそう、なんか黒子のすごいところを語ってたね」
「結局黒子の正体はわからずじまいだったけど」
「MIKIに聞いても内緒って言ってたからね」
「なんか3年生のエースの人が勝負したいって言ってたね」
「どうせ打たれるのに」
クラスメイトは人類に武藤を抑えることが不可能ということは理解しているのである。
「実はサッカー部から依頼が来ました」
放課後。部室に集まった配信部のメンバーに美紀がそう告げた。
「依頼? 紹介動画を作れってこと?」
「あのバーに当てるやつをやってた人を助っ人としてスカウトして欲しいって」
「なんで私達に?」
「元は私達が撮影してたからでしょ」
「助っ人とは?」
「うちのサッカー部ってさ。なんか今年は調子がいいらしくて、今ベスト8まで残ってるんだって」
「へえ、すごいじゃん」
「でも部員が13人しかいないのに唯一のキーパーが怪我したらしくてさ。それで助っ人って話みたい」
「どっかで聞いた話だな」
武藤は中学時代のバスケ部のことを思い出した。あのときは初心者の1年にトラウマが植え付けられないようにする為に出たのである。
「あのバー当てのテクニックがあるなら是非来て欲しいって……キーパーとして」
「バー当てなんにも関係ねえじゃねえか!!」
その日一番のツッコミだった。
「おおっ来てくれたんだ!!」
そのままの足でサッカー部へと向かうと、部長らしき男が武藤達を出迎えてくれた。
「それで助っ人って?」
「ああ、うち唯一のキーパーが腕を骨折してしまって試合に出られなくなってしまったんだ」
「それでバー当てしてるやつに助っ人って話しが全く繋がらんのだが?」
「いや、信じられないくらいサッカーセンスがあるだろ!! おそらくだがどんなポジションでもプロクラスの実力があると思ってる」
「それは褒めすぎだろう。だがまあなんで頼んだかはわかった。だけどサッカーってあんまルール知らんし、キーパーって確かあの四角い枠の中なら手使って良いんだっけ」
「ペナルティーエリアな。中の小さい枠がゴールエリア。ゴールキックから試合が再開するときにあのエリア内のどこかにボールを置いてそれをキーパーが蹴ることで試合が再開する。その側の大きい枠がペナルティーエリア。キーパーは最大で6秒だけボールを手で触って良い」
「6秒だけなの? ずっと持ってていいと思ってた」
「実は制限があるんだ。後味方からのバックパスを手でとると反則になるから注意な」
「へーなんで駄目なんだ?」
「昔ワールドカップでひたすらキーパーとディフェンダーで延々とパスを回して時間稼ぎをするって行為があったせいで新たに出来たルールなんだ。キーパーに手で持たれるとどうしようもないから」
「へー」
「それで、入ってくれるかい?」
「俺になんの利点もないからやだ」
「そんなっ……そうだ!! 勝ったら牛丼を奢ろう!!」
「ぶふっ」
武藤は中学時代に同じようなことを言われたことを思い出して吹き出した。助っ人には牛丼というローカルルールでもあるんだろうかと武藤は真剣に悩みそうになった。
(あのときの牛丼は結局まだ石川原に奢って貰ってないなあ)
お互い完全に忘れていたのである。
「まあ、ちょっとやってみてできそうならいいよ」
「ほんとか!?」
懐かしい気持ちを思い出し、武藤は安請け合いした。石川原達とバスケ部との楽しい時間を思い出し、気分がよくなったことも原因だろう。目立ちたくない、面倒くさがりの武藤があっさりと引き受けたことに後ろにいた恋人達が驚いた程であった。
「早速やってみよう!!」
気が変わらない内にということで、キャプテンの男は武藤を連れてゴールへと向かった。
ジャージ姿に着替えた武藤がゴール前に立つ。
「じゃあ適当に蹴るから、好きに防いで見て」
そういってキャプテンはペナルティーエリアよりやや離れた位置からシュートを放った。
「ほいっ」
武藤は普通に素手でそれをキャッチした。
「おおっすごいな。じゃあ今度はもっと厳しいコースにいくよ」
そういって今度はゴールの隅を狙ったシュートが放たれるも武藤はあっという間に移動し、ほぼ真正面でそれをキャッチした。
「え?」
「ふむ、大体わかった。後はルールの確認かな」
「嘘だろ……」
武藤の信じられない身体能力にキャプテンは唖然として固まってしまった。
「おまっ武藤!?」
「ん? 誰?」
「あっ小林くん」
不意に名前を呼ばれるも相手が誰なのか全くわからなかった武藤だが、百合の一言で1組の男子生徒だと理解した。
「小林章。陽キャグループの1人だねえ」
香苗の補足でよく理解した。百合たちとよく遊んでいたメンバーなのだろう。
「キャプテンまさかこいつを助っ人にいれるんですか?」
「そうだ。彼は逸材だぞ」
「反対です!!」
「何故だ?」
「それは……」
「自分が目立てなくなるからねえ」
「!?」
言葉に詰まった小林だが、香苗の言葉に図星を突かれて動揺する。
「だが勘違いしているようだねえ。目立つ前以前に試合に参加できることが前提じゃないかねえ。その後に勝つこと。そして目立つことと続くはずなんだが、そもそも出られないで終わるってことでいいのかねえ」
「ぐっ!? そ、それは……」
香苗のぐうの音も出ないほどの正論パンチに小林は何も言えなくなってしまった。
「そもそもキーパーよりも目立てないなんて最初から終わってるじゃないか」
「ぐはっ!!」
さらにえぐってくる香苗の言葉の刃についに小林は崩れ落ちた。
「まあ安心したまえ、君にもいいことがある」
「……なんだ?」
「武くんがでるなら、私達が応援に行くってことさ」
「よろしくなっ武藤!!」
「切り替えはやっ!!」
今の1組男子は女子に飢えているのである。そこで女神全員の応援ともなれば神でも裏切るだろう。
「じゃあ章、ちょっと武藤くんにシュートしてやって」
「わかりました。いくぞ武藤!!」
「なんで急に熱血しだしたんだ……」
それは女神たちが見ているからである。
「嘘だろ……」
10分後。すべてのシュートを軽々と止められ絶望している小林の姿があった。
「お前のシュートはわかりやすい。蹴る前にコースがわかるし、速度も遅いしなんの脅威も感じない」
「ぐう……全部止められてる以上何もいえん」
始まったときの勢いはどこへやら、小林は武藤の言葉に崩れ落ちたまま何も言えなかった。
「せめて打つ前から動かないと届かないくらい厳しい場所へ打つか、軌道が読めないように完全に無回転にするかくらいはしないと」
「無回転は無理だが、コースはがんばればなんとか……」
「コース狙うなら回転もかけたほうが良い。まあいいや、ちょっとこの辺に思いっきり打ってみてくれ」
そういって武藤は自分のすぐ横の胸の高さくらいを手で指示した。
「わかった。ふっ!!」
小林は全力でその位置にボールを蹴り込む。
「ほいっ」
「!? う、うそだろ……」
武藤はそのボールを無造作に片手で掴み取った。
「この程度ってことだ」
「武すごーい!! 片手でとるなんて」
「いや、百合。そういったことじゃないんだねえ」
「違うの?」
「よく見てみた前。武くんはどうやってボールを取ってる?」
「え? 片手で掴んでるけど?」
「そう。
ゴリラをチワワ扱いできる武藤には造作もないことであった。
「回転が少ないから弾かれにくいんでこういうこともできる」
武藤にそういわれ、さすがの小林もこいつはおかしいと本能で感じ取った。キーパーグローブもつけずに素手で止めるだけでもおかしいのに真横から掴んだのである。いくら自分のシュートが弱くとも同じ高校生のシュートである。小学生のシュートを止めるとは訳が違うのだ。
(俺達ひょっとして相当やばいやつと敵対してないか?)
女子生徒たちが武藤に助けられたという話は聞いていたし、熊を追い払ったという話も話半分で聞いていたが、ひょっとしてアレは実話だったのかと、この時になって漸く小林は理解し始めた。
そもそも1組と2組の男子生徒たちが武藤という存在を理解していないのは、直接その力を見ていないからである。女子生徒達を助けたと言ってもどんなことをしたのかまでは知らないし、どんな力があるのかも知らないのだ。にも関わらず女子生徒達から絶大な信頼と好意を向けられ、完全に特別扱いを受けている武藤を見て、男子生徒たちが冷静に判断できるわけがなかった。
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