第188話 部活紹介 野球部2

「ん? 焦げ臭い?」


「超一流のバッターが打った時、ボールとバットの摩擦で焦げた匂いがするらしいぞ」


 キャッチャーの疑問に後ろで審判をしている教師が答える。

 

「それってプロの話じゃ……」


「つまりプロ並ってことだろう」


 確かにわざわざ木製のバットを使って、あのコースをあそこまで飛ばすやつなんて見たことがない。

 

「もう勝負ありってことでいいかな?」


「こちらの負けでいい。でも勝負は3打席だっただろ? あと1打席だけ付き合ってくれないか?」


「まあいいけど」


 キャッチャーの男の言葉に武藤は渋々と了承する。勝ったのなら後はただの暇つぶしである。

 

 

 

 

 

 

「牧原」


「何がいけなかった? なんであんなに完璧に打たれた?」


「すまん、俺のせいだ」


「え?」


「さっきの打席は様子見だと判断したんだ。だから見送ると思って欲を出してカウント取りに行った。お前は悪くない。完全に俺のせいだ。すまん」 


 キャッチャーの男は素直に牧原に頭を下げた。

 

「……気にするな。アレを打たれたら彼奴を褒めるしかねえよ」


 思ったより牧原はダメージを受けていなかった。いや、一周して感情が逆に冷静になっていた。


「彼奴は化け物だ。甲子園優勝校の4番だと思って相手しろ。はっきりいって2打席じゃ全く情報が足りない。正直な話抑えられる自信は全くないが、これが公式試合じゃなくて良かったと思っておこう」


「ああ、予選決勝であいつと当たってたら終わってたな。さよならじゃなきゃ満塁でも敬遠させていただきたいところだ」


 初めて対戦する絶望的な相手に2人は開き直っていた。

 

「あいつには臭いところとかやっても意味がない。コース云々よりも腕を振り切ってしっかりと投げきることを意識していこう」


「わかった」


 バッテリーは理不尽な怪物との対戦に初めて心から勝利したいと燃えていた。

 

 

(こいつはこんな変な格好のくせに信じられないほど目がいい。おそらく初見の球でもなきゃ打ち取れないだろう。だが一番打たれにくいアウトローの真っ直ぐを軽々とフェンスに当てられた。カウントを稼ぐ球がない)


 黒いレースのような顔隠しで視界を塞いでいるのにもかかわらず、ボール球に全く反応しない武藤にキャッチャーは恐怖にも似た感情を抱いていた。

 

(ここまで見られたのは外のフォーシーム、スライダー、カーブにインのフォーシームとスライダー。打たれたのはまっすぐとスライダー。ストレートにも変化球にも対応してくる。ストライクゾーンにかすったらスタンドとかどんな悪夢だ。投げる球がねえ)


 キャッチャーは悩んでいた。武藤を抑える手段が思いつかないのである。

 

(まだ見せてない牧原の武器はスプリットとツーシーム、そして練習中のサークルチェンジ。2ストライクからフォーシームを見せ球のチェンジアップで勝負する) 

 

 キャッチャーのサインに頷き、牧原はセットモーションに入る。牧原はランナーがいてもいなくてもセットモーションから投げるタイプである。


 そして1球目。外角低めにスプリットが投球された。フォーシームより若干遅いが小さく縦に落ちる変化球を武藤は動かずに見逃した。判定はストライク。初めて武藤からストライクを奪えたことにキャッチャーは安堵する。

 

 2球目。外角にボール2個はずれたところにツーシームが投げ込まれた。右投げの利き腕方向に若干落ちながら曲がる球を武藤はまたしても見逃した。判定はギリギリでストライク。これで武藤は追い込まれた状態だ。

 

(これで追い込んだ。いや、ただ見逃されただけか? いずれにせよ次が勝負だ)


 3球目は外角高めに外れる牧原が一番球速の出るフォーシームで武藤の目を速球になれさせる。

 

 そして運命の4球目。

 

(ここだ)


 投げ込まれたサークルチェンジはフォーシームとの球速差が40km以上ある緩急のあるボールである。普通なら速球に目の慣れた打者はタイミングがずれるものだが、武藤はそれを冷静に待ち受けていた。

 

(勝った!! え?)


 キャッチャーが勝ったと思った瞬間、辺りに焦げ臭い匂いが一瞬巻き上がった。

 

(なんで振り終わってるんだ? あそこからスイングが間に合う訳がないだろ!!) 

 

 武藤のスイングは初速からほぼ最高速であり、本当にギリギリまで引き付けてもスイングが間に合ってしまう。通常では物理的に不可能な球の変化を直接見て当てられるのだ。

 

 普通、バッティングというのは予測で打つものである。だが武藤は直接曲がったのを確認して打てるのだ。故に空振らないし、たとえどこにくるかわからないナックルであろうと完璧に捉えることが可能なのである。

 

 レフトのネットに直撃した打球を見て、牧原は落ち込むよりも笑いが先に込み上げてきた。

 

「頼む!! 野球部に入ってくれ!!」


「断る」


 体育会系が大嫌いな武藤は秒で断った。野球部なんて体育会系の権化のようなものである。絶対に武藤とは相容れない部活だと武藤は思っていた。

 

「お前がいれば甲子園だって夢じゃない!!」


「人の力に頼んな。自分が連れて行くって言えよ」


「!?」


 思いも寄らない正論に牧原も黙った。

 

「……だ」  

 

「ん?」


「代打!! 部活に出なくて良い!! 試合で代打として出てくれ!!」


「なるほど。お前がほしいのは甲子園出場という肩書なんだな」


「え?」


「一緒に汗を流して、苦楽をともにした仲間たちと一緒に行くのが目的じゃなく、ただその肩書がほしいだけなのか」



「!? あっお、おれ……は……」


「3年間がんばってレギュラーになれなかった人達を見捨ててでもその肩書が欲しいと」


「ちっちがう!! おれは……」


「その辺で勘弁してやってくれ」


 そういって間に入ってきたのはキャッチャーの男である。

 

「お前という信じられない才能を見て、手の届くところに甲子園が見えたせいで、おかしくなっちまったんだ。本当は牧原だってわかってるさ。ただ野球に本気だったから故に手の届く過ちに釣られたんだ」 

 

「後藤……」


 ここで漸くキャッチャーが後藤という男だとわかった。しかし武藤は全く興味がなかった。

 

「そもそも俺1人いたところで甲子園なんていけるものじゃないし、守備とか出来ないからDHなら考えてもいいぞ」


「高校野球にDHはねえ」


 そういって苦笑する牧原はどこか吹っ切れたように笑った。

 

「もう野球部に入ってくれとは言わん。だが練習には付き合って欲しい。お前を抑えられたらどんな相手も抑えられる気がするんだ」


「抑えられないから目標にするのはやめとけ。自信がなくなるだけだ」


 あまりに上から目線の横暴な言葉に牧原達も思わず黙る。実績がある為、何も言えないのだ。

 

「さて、それじゃいってみようか」


「え?」


「ダッシュ100本」


 顔隠しで見えないが、武藤はこの日一番の笑顔だった。

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