第88話 魅了の効果

「最初におかしいと思ったのは水曜日だ」


 猪瀬の車に乗り込み、がくがくと震える百合に香苗は語りだす。


「急に百合があの男と近づきだした。何かあったか?」


「何にもないわよ!!」


「なら普通にあの男に惹かれてたってことか。武くんを秒で袖にして」


「!?」


 その言葉に百合は一層顔を青ざめさせた。

 

「違う……違うの……私は武のことを……」


「決定的だったのは昨日だ。今言った通り君は武くんの誘いを秒で断った」


「いやあああああああ!! 違うのおおおおおおお!!」


 百合は絶叫した。

 

「落ち着け!!」


 珍しい香苗の叫び声に百合も驚き固まった。


「さすがに私もおかしいと思った。本当に百合があのイケメンに鞍替えするようなら私はそれでも別にいいと思っていた」


「香苗……」


「勿論その時は縁を切らせてもらっていたが」


「!?」


 香苗の言葉に百合は反論できない。香苗の目が真剣そのものだったからだ。

 

「恐らく今日あたり、百合は美味しく頂かれると思って、私は武くんについていきたいのにわざわざ残ったんだ」


 それを聞いて百合も俯く。

 

「最近いろんな物が見えるようになったんだ」


「え?」


「最初に気づいたのは木曜か。あの男のポケットから百合に伸びる赤い線が見えた」


「線?」


「赤い糸とでもいうのかな。それが百合の近くまで迫っていた」


「そ、そんなの見えなかったよ?」


「私の勘違いかと思ったがそれは何日たっても消えることがなかった。それどころかどんどん百合に近づいていた」


「……」


「気のせいならいい。だけどそうじゃなかった場合、一生後悔する。そう思って今日確認したんだ」


「どうやって?」


「さっき彼氏とセックスの話をしただろう?」


 その言葉に斎藤姉妹の顔が赤くなる。クリスは言葉がわからない為、頭に?マークが浮かんでいる。

 

「私が彼に興味があるように話した瞬間、私にも赤い糸が向かってきた」


「!?」


「恐らく仮定だが、あれは魅了系の力だろう。切っ掛けはどんな些細なことでも相手に興味を持つこと。現に私がきっぱり切り捨てた時に糸は消え去ったからね。つまり百合はどこかでアイツに興味を持ったっていうことだ」


「水曜日……あっそういえば図書室で手の届かない本を取ってもらったわ」


「それだな。きゅんとしたんだろう?」


「!! だってしょうがないじゃない!! 私だって女の子なんだから……」


 不意打ちで少女漫画のようにイケメンに優しくされて百合の心に一瞬の隙が生まれてしまった。香苗はそう見ている。


「私はまだ狙われたばかりだったからか、すぐに糸を切り離せたが、深く浸食されていた百合では中々切り離せなかったのだろう。現に武くんの話をしている最中の電話ですら、かなりそっけなく対応していたからね。恐らく魅了には対象以外の異性に対して興味を持たなくなる効果があるのかもしれない」


 香苗のその言葉に百合はびくりと体を震わせる。


「すぐに慌てて私が電話したのだが、間に合わなかった。ひょっとしたらもう手遅れかもしれない・・・・・・・・・。その覚悟はしておいたほうがいい」


 その言葉に百合はとうとう肩を抱いてその場に崩れ落ちた。

 

「ねえ? 真剣な顔して何言ってんの? なに魅了系って。ラノベの読みすぎじゃない?」


 一体真剣に何の話をしているのか理解できなかった朝陽は、素直にその思いを伝える。


「まあ、例え猪瀬でも下っ端は知らなくて当然だ」


「「!?」」

 

 その言葉に斎藤姉妹が二人ともが反応した。短気な姉だけでなくのんきな妹まで。

 

「誰が下っ端よ!!」


「そうだなあ。このことを君たちのお嬢様に話したまえ」


「「え?」」


 そして私を信じるか、君達を信じるか尋ねたまえ。それでわかるはずだ。

 

 自信満々にそう告げる香苗に斎藤姉妹は何もいうことができなかった。

 



「お嬢様、今よろしいでしょうか」


 猪瀬の家に帰り、洋子が帰宅すると朝陽と月夜は洋子の部屋を訪ねた。


「ん? どうぞ」


 許可をもらい部屋に入ると、ラフな格好の洋子が畳の上で奇妙なポーズで座っていた。


「……それは?」


「これ? ヨガってやつ。なんか旦那様がヨガがどうこう言ってたのを聞いたんでちょっと興味が……ね」


「はあ……」


 教室移動中の武藤と吉田の近くを偶然通りがかった洋子が、2人の会話にヨガという単語が偶然聞こえてきたのだ。ちなみに二人がしていたのはゲームの話である。


「それよりお嬢様、お聞きしたいことがあります」


「なにー?」


「お嬢様は魅了系の力というものを御存じですか?」


「魅了系? なにそれ? 漫画の話?」


「いえ、現実です」


「……どうしたの朝陽? あなた大丈夫? 疲れてるんじゃない?」


 正気を疑うかのように心配してくる洋子に、朝陽はうれしくなった。やはりこれが正しい反応だと。


「香苗ちゃんが言っていたんです。何か急に色々なものが見えてきたとかいいだして……」


「!? ……そう。誰が魅了されたの?」


「え!? し、信じるんですか!?」


「香苗が言ってるなら間違いないでしょ。誰?」


「えっと百合ちゃんが……」


「!? ……まずいわね。完全に魅了されてるの? 相手は誰?」


 その反応は完全に事実と認識しており、以後の対応を考える為の材料を求める態度である。


「えっとやり取りを見る限り同じクラスの佐久間亮二という男ではないかと思われますが……」


 まさか洋子がこんな話を真剣に聞くとは思わず、朝陽だけでなく月夜まで混乱していた。


「佐久間……ああ、県議会議員の息子か。まさか百合に手を出してないわよね?」


「えっとそこは香苗ちゃんが今日ついてきたことで守れたみたいなことを言ってましたが……」


「そう。最悪の事態は逃れたようね。下手したら私達どころか猪瀬まで巻き込まれて大惨事だったわ」


「「え?」」


 現在の猪瀬の力の大半は武藤=清明の力なのである。その協力関係がなくなれば猪瀬の力は落ちるのが目に見えている。今まで売った恩により急激に落ちることはないだろうが、逆に上がることもないのだ。


「今は旦那様にも連絡がつかないし……親父に相談しておく必要があるか……いや、まずはお母様ね」


 ブツブツと一人思考が口からこぼれる洋子を見て、斎藤姉妹はただ事ではないと焦っていた。だが将来仕えるべき主の前で醜態をさらすわけにもいかず、二人は大人しく洋子の判断を待った。


「それで後は? 何かある?」


「いえっありません……けど、その……」


「何? はっきりしないわね」


「み、魅了って本当にあるんですか? そんな漫画みたいな……」


「あるってことなんでしょうね」


 洋子は武藤の仕事に度々ついていくことがある。武藤の仕事は多岐に渡っており、病人の治療以外にも悪霊退治やら呪い除去、行方不明事件の真相解明やら様々である。行方不明事件なんぞ警察の案件だろうと洋子も思うが、そちらが解決できないのだから仕方がない。

 武藤は物の記憶から過去の映像を見ることができる。つまり過去に何が起こったのかを見ることができるし、見せることもできる。それはつまり事件の真相をリアルタイムに見せることができるということでもあるのだ。それにより、事件早々に容疑者から外れた男が真犯人と分かり、捕まるということがあった。しかし何年もたっている以上、証拠なんぞない。じゃあどうするか? ルールを守らない者にはルールは適用されない。武藤の言葉により犯人は猪瀬に拉致された。そして拷問にかけられるとすぐに真相を暴露した。そしてただ殺してみたかった等という理由を告げられた時、殺された子供の両親、そして仕事を依頼した祖父は感情を御しきれない程の怒りを見せた。そして犯人を殺して欲しいという依頼を受けるが、死は安寧であると武藤は告げ、別の方法を提案する。その方法とは犯人を徹底的に拷問し、死の直前で回復させ以後それを延々とループさせる。精神が崩壊した後、魂を抜き取り宝石に封印する。その後、宝石からただ純粋にエネルギーとして使用され、最後は消滅するというものだ。そうなった場合、輪廻転生することもできず、ただ燃料として使用されるだけで消滅するというと、さすがの被害者家族も顔を青くしていた。提案が了承されると、武藤はそれを顔色一つ変えずに実行した。それを見ていた剛三も洋子も猪瀬一家の精鋭たちもドン引きである。こいつは絶対敵にまわさないとその場にいた全員が心に誓った。


 そんな当たり前のように不思議なことを見てきた洋子は、魅了程度ならあっても不思議ではないと思っている。


「世の中、信じられないようなことってあるのよ。貴方もわかるときがくるわ」


 そういうと洋子は部屋を出て母親の元へと向かっていった。残された斎藤姉妹は顔を見合わせ、首を傾げることしかできなかった。ただわかったことは、洋子は自分よりも香苗の言葉に重きを置いているという信じたくない事実だけであった。

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