第52話 野球

「武藤くーん!!」


 黄色い歓声が飛び交う中、武藤は左打席に立つ。ちなみに本来は右打席である。何故左に立つかといえば、つまらないからだ。右打席なら100%打てる・・・・・・のである。現在では過去に足りなかったパワーまでも備えている。球技大会レベルであれば、もはや打てない球はない。その為、打ったことがない左打席に立っているのである。

 

「ちやほやされやがって。野球はバスケじゃねえんだ。思い知らせてやる!!」


 相手ピッチャーは東中野球部の元エースである。野球部エースが球技大会に登板。大人げないにも程がある状態だ。石川原のようにクラスメイトに選ばれて無理やりバスケにさせられたのとは違い、この男は本人が自ら進んで野球を選んでいるあたり、その意図は透けて見えるだろう。ちなみに武藤は自分がバスケをやるのはさすがに大人げないと思い辞退したいといったところ、クラスメイトが全員賛同してくれた為、その際一番苦手な野球を選んだのが現状である。

 

「ふんっ!!」


 ズバンという音とともにピッチャーが投げた球は外角いっぱいに突き刺さった。


「ストライク!!」


 審判のコールが響き渡る。何故か審判は野球部の顧問ではなく、野球大好きな美術の教師だった。


「お前大人げねえぞ!!」


「本気で投げんな馬鹿!!」


 何故か味方からブーイングの嵐である。それもそのはず。バスケやサッカーとは違い、野球の場合ピッチャーが経験者で本気になった場合、他が素人だと大抵試合にならないのである。

 

「うっせえうっせえ!! 黙ってみてろ!!」


 だが男はひるまなかった。そんな気持ちが少しでもあるのなら、野球部のエースが球技大会の野球に立候補なんぞするわけないのだ。ちなみにキャッチャーも元野球部である。

 

「へっどうした? 突っ立ってるだけか? 打ってみろよ!!」


 この空気の中、堂々と挑発をしてくる野球部元エースにネクストサークルから見ている貝沼は信じられないといった表情を見せる。

 

(空気が読めないとか、もうそういうレベルじゃないな。寧ろ逆に男らしささえ感じるとは……)

 

 一周回って貝沼は感心していた。自分の得意な球技で素人相手にここまでイキることが果たして自分にできるだろうか。ここまで自分に正直に生きることができる男にある意味尊敬の眼差しを向けていた。

 

「武藤くーんそんなやつぶっ飛ばしてやってーー!!」


「こらあ!! 味方を応援しろよ!!」


 気が付けば男は自分のクラスメイトの女子すら敵に回っていた。だが男は全くブレることはない。野球部のエースといえば学校という狭いコミュニティの中では最上位に位置する花形である。それなのにこの扱い。何故かといえば東中野球部が弱小ということに他ならない。弱小チームのエースなんぞ何の肩書の足しにもならないのだ。これが弱小でも武藤のように全国制覇でも成し遂げたのなら人気の絶頂にでもなっただろう。だが野球部は万年一回戦負けのままなのである。つまり男はお山の……いや、砂場の山の大将なのだ。

 

(野球でならあの武藤に勝てる!! そうすれば俺はヒーローだ!!)


 だが男はそんなことを微塵も考えない。弱小でもエースだと威張ってきた鋼の意思を持っているのだ。男にあるのは体からあふれ出んばかりの承認欲求である。


「いくぞ武藤!!」


 男、野球部元エース高瀬聡は自身の欲望をボールに乗せ、これまでの人生で一番速いボールを投げた。


「よっと」


「!?」


 それに対し武藤はバットをそっと添えるようにだすとボールとバットがぶつかった。そしてその瞬間ボールが消えた。

 

「秘打、燃えプロ打法」


 燃えプロ。それは古き野球ゲームのことである。このゲームではバットは振らなくていい。タイミングよく芯に当てさえすれば、バントですらホームランになる・・・・・・・・・・・・・・のである。

 

 武藤が行ったのはこれと同じで、ボールの芯とバットの芯を当て、その瞬間反発して跳ね返るボールよりも早くスイングしたのである。

 

 消えたボールはグランドを飛び越え、校舎の壁に跳ね返って落ちていった。距離にして120mは飛んでいる。そもそも中学生でそこまで飛ばせることを想定していない為、グランドはホームベース側と道路に面した一塁側以外は特にフェンス等で囲っていないのだ。つまり例えゴロでも外野を抜けたらほぼホームランである。にもかかわらず土手になっており、階段を上がらなければ行けない校舎の壁に武藤は打球をダイレクトにぶち当てた。監督の教師にだってあそこまで飛ばされたことのない高瀬はその事実に戦慄する。


「嘘だ……ありえない……」


 絶望した表情で固まっているのはバッテリーだけで、周りの観客は盛大な歓声を上げていた。

 

「武藤くんすごいっ!!」


「きゃあああ武藤せんぱーい!!」


 気が付けばグランド周りを見学の生徒達が埋め尽くしていた。バスケではないとはいえ、武藤が出るとの情報が出回っていた為だ。

 

 その武藤本人はといえば


(秘打と名付けた以上、やはり語尾はズラにするべきだっただろうか……) 

 

 自身の秘打(今作成したばかり)が完璧に決まり、ご満悦の表情でベースをゆっくりと回りながらどうでもいいことを考えていた。


「へーい!!」


 武藤はホームを踏むと、待っていた貝沼とハイタッチをし、残りのクラスメイト達とも連続でハイタッチしていく。

 

「お前は本当なにやらせてもすげえな」


 チームメイト達にバシバシと背中を叩かれるも、鍛え抜かれた武藤の体はびくともせず、武藤も嫌がるような素振りも見せず平然と叩かれていた。


「金属バットなんて当たれば飛んでいくんだから誰でも打てると思うぞ?」


「普通はそう簡単に当たらねえんだよ!!」


「そうかあ? よく見てバット出すだけじゃん」


「これだから天才ってやつは……」


 実際バットに当てること自体は難しいことではない。問題は当てた後である。普通は当てても弾かれて終わる。ボールの勢いに負けない力で押し返し、さらに武藤はその跳ね返るのよりもさらに早くスイングするという頭のおかしい芸当をしているのだ。


「ストライクバッターアウト!!」


 気が付けば貝沼が三振していた。どうやら相手ピッチャーはなんとか立ち直ったようだ。というよりも本気を出す相手は武藤だけじゃなかったらしく、普通に素人達相手にも容赦ないようだ。


「すまん、まさか変化球まで投げてくるとは思わなかった」


 ベンチに戻ってきた貝沼の言葉にチームメンバーの表情があきれ顔になった。

 

「まじか……あいつ無敵の男か?」


「味方にまでブーイングされて、それでも本気で素人潰しにくるってある意味男らしいな」


「別に賞品とかあるわけでもないのに……球技大会ガチ勢なのか?」


 別に本気でやるのは問題ないと全員わかっている。たださすがに経験者が素人相手に最初から一切の手を抜かずに全力で向かうのはどうかと思っているのだ。


「よっしゃああ!!」


 だが当の本人はみんなの思いとは裏腹に、武藤の後を三者三振に切ってとり、ガッツポーズまで決めていた。


「サッカー部をスライダーで三振にしてガッツポーズする男って逆にすごくね?」


「もう一周回ってかっこいいとすら思えてきたわ」


 武藤のチームメイト達はそんな会話をしながら守備についていった。

 

 その後試合は進み、気が付けば1対2で武藤達が負けていた。何せ武藤以外、点が取れないどころか三振しかしないのにもかかわらず、相手は普通に打ってくるので勝負になるはずがない。

 

(糞っ!! このままじゃ試合に勝っても武藤に勝ったことにならない!!)


 元野球部エース高瀬は焦っていた。自分が唯一目立てる場所なのに全然目立てていないと。いや、ある意味一番目立っているのだが本人は気が付いていない。華麗に打って守ってきゃあきゃあと女子達に騒がれたい。ただそれだけの欲望おもいだけで今日ここまでがんばってきたのだ。

 

 そしてそのまま最終回である3回の表。最終バッターは1番の武藤である。

 

(俺が目立つにはこいつを倒すしかない!! 全国ヒーローのこいつを倒せば俺だって……)


 そもそも種目が違うことにすら目を向けず、ただ武藤を倒して目立ちたい。高瀬は欲望に忠実だった。

 

(……なんだこれ?)


 武藤は内心戸惑っていた。バッターボックスに立つ武藤に対し、最初の対決時の軽薄さはどこへやら、高瀬はかがんで慎重にキャッチャーのサインを確認している。カジュアルな球技大会とはいったいなんだったのか。公式試合も顔負けの完全な真剣勝負の空気になっていた。周りもその空気を感じ取ったのか先ほどまでとは打って変りかなり静かになっていた。

 

 高瀬の顔を見れば九回裏2アウト満塁で4番を迎えたピッチャーのような顔をしている。

 

(さっきの打席を見る限りこいつはストレートとインコースに滅法強い。変化球で押して最後は外の変化球で勝負!!)


 高瀬は現役時の大会よりも遥かに真剣に武藤と対峙していた。

 

(まずは……ここだ!!)


 1球目が高瀬の右手から投げられる。ボールは外角にやや外れた軌道からバックドア気味に内に変化した。

 

「!?」


 やや外に外れたスライダーを武藤は簡単に捉えた。が、ボールはサードのラインを超えたあたりからわずかにカーブしてファールになった。

 

(っぶねええ!! なんであんな体勢で外に外れたボールを完璧に捉えられるんだ……スライダーの曲がりが悪くて逆に助かった。もう少し内に入ってたらまたホームランにされてた)

 

 武藤からすればかなり外のボールだったが、武藤の体幹は化け物である。微塵も芯がずれることのない体幹はどんな体勢でも完璧に力を伝達することができるのだ。

 

(少し外れただけだと打たれる。少し大きく外すか)


 2球目。高瀬はインコースに大きく外れた場所に渾身のストレートを投げ込む。

 

「ボール」


 さすがに自身の体に当たるくらいに近い球は武藤も素直に避けた。

 

(これで1-1。理想はひっかけさせて内野ゴロ。速球に目が慣れてる今なら、狙い球を絞らない素人は同じような球には手を出すはず)


 3球目。先ほどのストレートよりわずかに遅いストレートが外角いっぱいに投げ込まれる。

 

「ん?」


 バットを出してボールが当たるのを待っていた武藤はバットを上にあげてボールを避けた。

 

「ストライクっ!!」


 ボールは外れていたが、バットが出ていたのでストライクがコールされた。

 

(こいつっ!? わざとよけやがった!!)


 実はストレートと見せかけてボールが沈むスプリットフィンガーファストボールだったのを武藤は瞬時に見分けたのだ。

 

(これで1-2。ピッチャー有利なカウントだが、全然安心できねえっていうか投げるボールがねえ)

 

 とっておきだったSFFは打たれたわけではないが、今のを見る限り完全に見切られている。次に投げたら間違いなくまた校舎にぶち当てられるだろう。高瀬はそう判断した。

 

(まっすぐは無理。スライダーもSFFも無理。……現役時代には完成しなかったアレをやるしかない)


 運命の4球目。静まり返ったマウンドで高瀬は一人真っ白な空間にいた。周りに誰もいない。自分とバッターだけの世界。現役時代に一度も入ったことのないゾーンである。

 

(これが俺の……ベストショットだ!!)


 渾身の力を込めて高瀬はど真ん中に投げ込んだ。

 

「……ここか」


 武藤はバットを出した後、ボールの軌道が鋭く斜めに落るのを確認した後にバットの軌道を修正し、バットは完ぺきにボールの中心をとらえた。

 

「!?」


 外角に落ちたボールにも関わらず、ボールは再びライト方向奥にある校舎の壁へと直撃した。ゆっくりとベースを回る武藤にさすがの高瀬も崩れ落ちる。

 

(虎の子のハードシンカーも無駄だったか。練習でだってこんなに上手く投げれたことなかったのにな)


 高瀬の人生の中でそれこそ一番の投球だと断言できる一球だったが、武藤はそれを初見で二の句が継げない程、完璧にそれを打ち崩した。

 

「なに下向いてんだ。らしくない」


 俯いていた高瀬はチームメイトの声に顔を上げる。

 

「お前は馬鹿でどうしようもないやつだけど、真剣にやってることはみんなわかってんだよ。だけどせめてがちがちの本気になるのは武藤みたいなやつと野球部のやつだけにしとけ。まあ、あの化け物には何にも通じなかったみたいだけど」


 チームメイトのその言葉に思わず高瀬も苦笑する。そうだ。何も通じなかったのだ。自分の三年間の集大成ともいうべき一球をものの見事に打たれた。まさにぐうの音も出ない程の完敗だ。

 

「武藤相手に本気になるのはしょうがないけどな。元エースなんだろ? せめて素人には楽しませてやれよ」


「あ、ああ。すまなかった」


 先ほどまでの熱くなっていた自分には全く入ってこなかったチームメイトのその言葉が、今では自然と体に浸透するように入ってくる。

 

「それにまだ負けたわけじゃない。まだ同点だ。ここを抑えて裏でとったらさよならだ。しっかり押さえろよ」


 そう言ってマウンドに集まっていたクラスメイトは守備に散っていった。

 

「高瀬……」


「わかってる」


 キャッチャーの男の言葉に高瀬はそう返す。それから高瀬は少し手を抜いた投球でのらりくらりと打線をかわし、同点のまま試合は最終回裏へとうつった。そしてそのまま高瀬達のクラスはサヨナラ勝ちをして武藤達は1回戦で姿を消した。


「武藤!! 俺達の勝ちだ!!」


 試合終了の挨拶もなく試合が終わり、武藤達は他の球技のとこへ移動しようとしていると、高瀬がやってきて武藤の前へと立ちはだかる。

 

「お、おう。おめでとう」


 武藤は顔も覚えていない男に待ち伏せされて困惑する。

 

「聡、お前大人げなさすぎだろ。なんで素人にスライダーなんかなげてんだよ」


「ぐっそれはすまんかった。つい熱くなって……」


 貝沼の声に冷静になった高瀬は素直に謝った。

 

「あれ? タカ知り合いなの?」


「武も同じ小学校だっただろ……」


「……そうだっけ?」


 武藤は全く高瀬の記憶がなかった。

 

「まあ、武は一回も同じクラスになってないし、接点ないから仕方ないかもしれんけど」


 貝沼は高瀬と二回ほど同じクラスになっているので顔見知りなのだ。

 

「それより最後のあれはシンカーか? 初めてみた」


「ハードシンカーだ。練習でも殆ど成功しなかったのが初めてちゃんと投げれたのに……なんであんな完璧に打てるんだよ!!」


「金属バットなら誰だって打てるっしょ」


「打てるかああ!!」


 高瀬はその場で地団駄を踏む。

 

「まあ武だからなあ」


 貝沼はその一言ですべてを納得している。武藤にかかわる者は大抵こうなっていくのだ。

 

「次は絶対に打ち取ってやるからな!!」


 そういって高瀬はその場を去って行った。

 

「武、野球する予定あるの?」


「ないよ」


 次の打席はいつくるのだろうか。二人はそんなことを考えながらバスケをやっている体育館へと向かうのだった。

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