第35話 全国制覇

「ああああ!!」


「せ、先生!!」


 頭を抱え崩れ落ちそうな室井を生徒達が心配そうに見つめる。

 

「あれが、あれこそが理想。あれが……到達点・・・だ」


涙すら流す室井に生徒達も困惑する。


「あれは人にできるプレイじゃない。今、武藤には神が降りている。いや、あるいはアレが神に愛されている神の子なのか……まさに理外の怪物……」


 そういって震える室井を西中生徒達は困惑の表情で見ていた。だが言っていることはわからないでもない。誰が目を閉じたままあんなプレイができるというのか。NBAの一流選手ですら不可能だ。ならば今見ている光景はなんだ? 会場に奇跡が起こっていた。それは奇しくも武藤が試合前に宣言していた通りのことだった。







 

「嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ!!」


 第3Qが終わり、ベンチに戻ると横田は半狂乱となっていた。目を閉じたまま己を圧倒する存在に。誰も勝てないはずの自分が、天才のはずの自分が、一瞬とはいえ憧れてしまった・・・・・・・のだ。横田にとってこれ以上ない屈辱であった。

 

(化物が……なんなんだあいつは!! 目を閉じたままプレイだと!? ふざけやがって……)


「玉木っ!! 出番だ!! 行けるな?」


 織戸はそういって玉木を引き寄せ耳元で囁く。


「足を狙え。足を動けなくすればいくら化け物といえど退場させられるはずだ」


「――す」


「は?」


「無理です。あの動き見たでしょ!? 俺じゃ目を閉じたあいつにすら追いつけません」


「だったらタックルでもなんでもしろ。とにかく退場さえさせればこっちのものだ」


「あ、貴方は人の心がないのか!?」 


「何を言ってるんだ。お前だって共犯なんだぜ?」


 その言葉に玉木の体が震えた。そうだ。いくら指示とはいえ自分が壊してきた・・・・・のだ。


「――だ」


「何?」


「嫌だ!! 断る!!」


「お前!?」


「そんなことをしたら、いくら野白レギュラーの肩書きが出来ても、史上最低の糞野郎の肩書きが上回ってついてくる!! レギュラーの肩書が何の意味もなくなる!!」


(ちっ無駄に知恵をつけやがって)


 織戸としては使い捨ての駒である玉木がどうなろうとしったことではなかった。あくまで便利な駒としてしか認識していないのだ。だから言った通り反則をさせた後、玉木は間違いなく今後どこでもバスケもできなければ、下手したら高校入学すら出来ないかもしれないことは勿論理解していた。例えそうなったとしても織戸としては駒の人生がどうなろうと何の興味もないのだ。


「これ以上するなら全部ばらします!! 貴方の指示でしてきたことを」


(糞がっ土壇場で裏切りやがって!!)


 織戸は強く唇をかんだ。血がにじみ出るほどに。









「武藤!! お前はなんて奴だ!!」


「武藤先輩すげえっす!! 何なんすかあれ!!」


 ベンチに戻っても目を閉じたままの武藤を山岸と竹内が出迎える。


「思ったよりも時間かかったけどな。何とか掴んだよ」


「……何を?」


「この場の全てを知る感覚を」


 その言葉に東中一同は静まりかえった。普通なら何を言ってるんだというべき話だが、目の前に男は実際それ・・を行っているのだ。


「正直に言おう。教師にあるまじきことだが武藤、俺は今お前を恐れている。だがそれ以上に憧れちまってる。俺にそんな力が有ればって見ていて何度も思った。どんなにブーイングされようと全く気にしようともせず、ただ只管に愚直にプレイしていた。その姿に感動すら覚えた。どうしたらお前みたいに成れる? バスケ部顧問としてでなくただ純粋に一人の男として聞いてみたい」


「毎日死を隣に感じたことはあるか?」


「え?」


「一瞬の判断ミスで死ぬ。そんな生活を何ヶ月も続けたことはあるか?」


「に、日本のどこにそんなところがあるんだよ!!」


「結構身近にあるもんだよ。そうしなきゃ生きていけない環境で生きてきた。詳しくは言えないがそれが一番近い答えだろうな。内緒にしてくれよ」


 目を閉じたまま武藤はそう答えた。言ってる意味はわからない。が、その声から嘘は言っていないことはその場の全員が理解していた。その言葉の意味を真に理解できるのはこの場に居ない百合だけである。








 そして運命の第4Qが始まった。



「と、止めろ!!」


「嘘だろ!! なんで目を閉じてそんな動きが出来るんだ!!」


 武藤の活躍は止まらなかった。寧ろ目を空けていた時よりもその動きは洗練されていた。何せ今までしていた手加減や躊躇がなくなったのだから当然である。


「この化け物があああ!!」


 横田は既に発狂していた。もう目の前の存在がどうにもならない、遠い存在になってしまったのに気づいてしまったからだ。


「なんでだ!! なんでなんだよ!!」


 ボールを持てば直に奪われ、相手のドリブルもシュートも止めることができない。もはやそれは試合ではなく一方的な蹂躙であった。


 

 そして野白中のメンバーが途方に暮れ、膝が折れようとしたとき、ブザーが鳴り響いた。圧倒的な大差で東中が全国初制覇を成し遂げた瞬間だった。



「やった……やったぞおおお!! ムトっ!!」


「先輩!!」


「やったっす!!」


 優勝が決まった瞬間、コートに出ていたメンバーだけでなく、ベンチから竹内と顧問の山岸まで飛び出して来て武藤に抱き付いていた。


「やったなお前達。お前達は俺の誇りだ!!」 


 柄にもなく山岸は泣いていた。これまでの山岸からは考えらない行動だった。


 そこで漸く武藤は無事だった右目を開いた。この光景を目に焼き付けておきたかったからだ。


(チームスポーツも案外いいものかもね)


 武藤は一人心で呟いた。







「しゅ、取材よ!! あの10番に!! 早く行くわよ!!」


 バスケ雑誌、月刊トラベリングの記者牧野は興奮していた。今でも狐につままれたような感覚だった。優勝は野白中か西中か。先月の取材でそう確信していた。それが終わってみれば無名校が圧倒的な力で初の全国制覇である。試合中のプレイも圧倒的であり、今まさに今後の日本バスケ会を背負うスタープレイヤーが生まれたのだ。


「なにぐずぐずしてんの坂上!! 先行くわよ!!」


「ま、待ってくださいよ牧野さん。まだ表彰式も終わってませんよ!!」


 既に走り出してしまった牧野をカメラマンの坂上が追いかける。各いう坂上も興奮していた。武藤が目を閉じてプレイしていたのにいち早く気が付いたのは坂上だったのだ。


(ここが俺の人生の分岐点になりそうな気がする)


 意味もなく、坂上は何故かそう確信していた。




「おめでとう石川原、武藤」


「ありがとう野田」


 表彰式が終わり、帰ろうとすると石川原達は野田に声を掛けられた。現在の全中に3位決定戦というものはないので、3位は準決勝で敗れた2チームが該当するのだ。


「っていうかお前病院行かなくていいのか?」


「軽い捻挫だからな。しっかりテーピングして固めてあるから大丈夫だ。帰ったらすぐ病院だけどな」


 そういって笑う野田は今までよりもずっと砕けた感じだった。


「さすが師匠!! 一体何なんすかあれは!!」


 完全に師匠呼びが定着したことに呆れるも面倒くさいのでもうこのままでもいいやと思い始めている武藤だった。


「正直俺も脱帽だ武藤。あんなプレイをされては最初から勝ち目がなかった」


「武藤くん!! 取材お願いします!!」


 武藤が野田に声を掛けようとすると女性の声がそれを遮った。


「正直無名の東中が優勝するとはだれも思っていなかったと思います。勝利の要因はなんでしょうか?」


「それって顧問に聞くべき話じゃないですか? まあ、僕が思うにチームメンバーの努力とライバルとの切磋琢磨……そして顧問の先生の力ですかね」


「ライバルというと今一緒にいる野田君達西中ですか?」


「ええ。野田も、柳も、森崎も、菅野も、佐々岡も、森も皆手強かったですよ。正直西中には地区予選で負けるかと思いましたね。むしろ試合内容は完全に負けてました。勝ったのは運が良かっただけです」


 武藤の絶賛に西中メンバーが驚く。森もまさか補欠で出た自分の名前まで出るとは思っていなかった。柳たちは武藤から名前が出て思わず涙がこぼれた。自分達は負けてしまったが、それでも自分達が到底かなわなかったライバルがここまで認めてくれるのだ。自分達の努力は、3年間は無駄ではなかった。西中の面々は3位入賞した時より、武藤の言葉がなによりもうれしく、誇らしかった。



「そうですか。決勝の相手の野白中はどうでした?」


「んー正直選手の名前も覚えてないですね」


「試合中アクシデントもありましたが、相手の選手に何か思う所はありませんか?」


「あれはいいプレイでしたね」


「いいプレイ!?」


「ボールを狙うとファールになるから顔の前に手をやって視界を遮って外させようとしたんです。それが偶々目に当たっただけです。お互い動いてますからね。かなりの高等プレイですよ。中学レベルじゃないですね」


「……特に恨みはないと?」


「唯の接触じゃないですか。競技上よくあることですよ」


「う、うああああああ!!」


 武藤のその言葉を近くで聞いていた玉木は泣いて崩れ落ちた。まさか自分のプレーを批判するどころか褒めてくれるとは。玉木は罪の意識で武藤に対する申し訳なさで一杯だった。


「すまない、すまない武藤。あれはわざとだ。俺はわざと狙ったんだ」


 その言葉に辺りは騒然とする。


「監督の指示で俺は今まで何度も汚い真似をしてきた。やるたびに作戦だから。監督の指示だからと自分に言い聞かせて。俺にはバスケを……スポーツをする資格はない」


 そういって玉木はその場に膝をついてしまった。


「でも躊躇してましたよね」


「え?」


「本気でやったら俺は失明していたし、その前のプレイで足をやっていたはず。でもそうはならなかった。貴方の中の良心が最後の一線を超えないように無意識に止めたんですよ」


 その言葉に玉木は遂に言葉にならない程の号泣でその場にうずくまってしまった。


「織戸おおおお手前は選手を何だと思ってやがる!!」


 ついに山岸が切れて織戸の胸倉をつかんだ。


「山岸!! てめえはいつもいつも俺の邪魔をしやがって!!」


「やめんかあああ!!」


 その言葉に山岸も織戸も一瞬で停止、気を付けの姿勢で固まった。


「おう、お前等、どういうつもりだ?」


 帰ってきた。あの悪魔と呼ばれた鬼監督、室井が。既に完全に牙を折られている二人はがたがたと震えるばかりだった。


「折角のいい気分を台無しにしやがって……後で二人ともおれんとここい。久しぶりに説教してやる」


 その言葉に二人は絶望した表情をみせ、その場に崩れ落ちた。対して西中の面々も驚いていた。あの温和な室井先生のこんなに恐ろしい声を聞いたことがなかったからだ。


「え、えーと取材を続けさせて頂きます。顧問の先生の力とおっしゃられてましたがどういったところでしょうか?」


「僕達、実は宿代も電車代も全部自腹で来てるんですよ」


「え?」


「うちの教頭が集まりもしない寄付金なんぞしても意味ないから自腹で行けって言いましてね。宿代だって数万は取られるんですよ。中学生にとっては大金です。参加費だって一人4000円も取られるんですよ? そしたら山岸先生がこうおっしゃったんです。全国に出るのなんて一生に一度かもしれない。それがお金の問題で出られないなんて一生後悔する。いざとなったら俺が全部出してやるからお前達は気にするな。なあに子供が困ったら大人が助けるのが当然だって」


 その言葉に周りからはおおーっと感嘆の声が上がった。


「男らしいでしょう? ちなみに彼女募集中らしいです。優良物件ですよ」


 その言葉に固まっていた山岸は内心武藤ナイス!! と武藤を絶賛していた。


「確かに素晴らしい先生ですね。そんな人の元だからこそ、東中はチームとしてまとまっていたのでしょうか?」


「そうですね。少なくとも山岸先生でなかったら僕はバスケをしていません」


 その言葉に山岸は不覚にもうるっと来てしまった。


「そもそも僕は1か月前に親友の石川原に部員が怪我で出られないからって頼まれて助っ人として入ったんですよ」


「いっ!? 一ヶ月!? バスケ歴1か月ってことですか!?」


「そうですね。それまでは昼休みに友達と3オン3で遊ぶくらいで、正式に始めたのは1か月前ですね」


「それであのプレイなんですか!? 信じられない……」


「しかも助っ人の報酬は牛丼1杯ですよ? 500円の報酬の為に10万使わないと出られない大会に出る気持ちわかります?」


「あ、あははは」


 取材している牧野もこれには苦笑を返すしかない。


「まあ交通費は部費から当てて貰えるらしいんですけど、部費だって年に多くて4万て聞いてます。ところで僕たちのユニフォーム見て何か気付きませんか?」


「みなさんかなり大き目で若干……その……」


「ああ、正直言ってぼろいですよね。ユニフォームって作ると1着1万から2万かかるらしいから代々同じのを使ってるんですよ。だからみんな着れるように大き目にしてあるらしいです。バスケって1チーム普通は10人から15人はいるじゃないですか? 15人分のユニフォームそろえるのに部費だと最低4年はかかる訳ですよ。集めだした頃の生徒は卒業してますよそれ。でもいざという時の為に先生はコツコツと溜めてくれてたんです」


「なるほど」


「それを今回使ってしまったのでユニフォームの新調は当分先になりますね。そんな状態で全国大会なんてそうそうこれませんよ。だから東中の全国大会は今回が最後かもしれませんね」


「え?」


「最初からお金がかかるスポーツっていうのなら納得するし、わかるんですよ。でもバスケにしろサッカーにしろ最低限必要なのってシューズとボールくらいじゃないですか? 僕の使ってるシューズなんて石川原のお古を借りてるだけですよ? ボールは学校のだし。それなのに大会出るには10万かかるって言われたらさすがにやる気なくなりますよ。それに勝つためには手段を選ばないにしても、選手にやりたくもないことをやらせる監督がいるってのもね。まあバスケだけに限らないとは思いますが……。学年も上下もないただバスケが好きな仲間達にひたすら自由にさせてくれる顧問。東中バスケ部みたいな理想的な環境は恐らくもうないと思います。だからバスケは今回限りってことで引退します」


「引退!? そ、それは中学バスケっていうことですよね?」


「? いえ、バスケそのものですよ?」


 武藤のその言葉を聞いてバタンと倒れる男が聞こえた。


「む、室井先生!!」


 見れば室井が気絶していた。


「あばばばばば」


 記者も混乱し、辺りが騒然としたまま、帰りの電車の時間ということで取材はそこで終わった。現場にはカオスな空間だけが残されていた。



 こうして東中バスケ部の夏は全国制覇という形で幕を閉じた。そしてそれは理外の怪物、武藤武が表舞台で初めてその名を世に知らしめた瞬間でもあった。

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