第25話 全中地区予選決勝2

  2分間のインターバルが終わり、第2Qが始まった。


「石川原!?」


 ボールを持った野田の前に石川原が立ち塞がった。


「俺じゃ力不足かもしれんがな。それでもあの時のようにはいかんぞ」


 あの時。そう1年の全中予選でお互い1年にも関わらずレギュラーとして出場し直接対決した結果、石川原は野田に完敗していた。


「止めてみろ!!」


 顧問の指導のおかげか、キャプテンである野田もいつも試合中は冷静沈着と言われていた。その野田が初めて熱い思いを叫んでいる。そのことに西中チームメイト達が驚いていた。


「!?」


 野田は一瞬だけ視線を動かすと、すぐさまカットインで中央に切れ込む。石川原はそれを止めようとするが、何者かが壁になって動けない。野田はすぐに相手ディフェンスがヘルプにくるとそれを見越したかのようにパスを出した。それを受け取ったのは先ほどまで石川原にスクリーンをかけていた菅野だった。


「ピックアンドロール!?」


 思わずベンチで男が一人立ち上がった。全く試合に関わらずお客さん感覚で試合を眺めていた東中バスケ部顧問、山岸礼二である。


「先生?」


「あ、ああ何でもない」


 山岸はベンチに座る1年の竹内の心配そうな声にそう返す。


(中学生があんなレベルで使えるのかよ……今の中学生こっわ)


 西中の中学生とは思えない技量に山岸は一人、戦慄していた。




「まずは一本取り返すぞ!!」


 東中からのリスタートは石川原の掛け声で始まった。


「おっ?」


 すぐさま武藤へとボールが渡るとそこには第1Qまで武藤についていた野田と柳の姿はなく、菅野と森崎の二人の姿があった。


 武藤は様子見とばかりにフロントチェンジとバックチェンジを繰り返し、相手の反応を確かめると明らかに野田よりも反応が遅かった。


 そこで武藤は新たな技を実験してみることにした。


 武藤は自身が行った人体の解析により、人は人が発する電気的信号、匂い、命の鼓動、といったものを気配と称して色々と感じ取れる生物だと知っている。それは別に修業を積むとか言った話ではなく、進化の過程で人が得ているものであり、敏感鈍感の差はあれ誰でも従来から備わった感覚なのである。


 例え姿が見えなくても人は自身の五感から気配を察知することができるのだ。特に対人を想定しているスポーツのアスリート達は、無意識のうちにその能力が過敏に働いていることを武藤は理解している。


 ならば気配を消しながら高速で動いたらどうなるか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「!?」


「え? なんで!?」


 消えるのである。あまりに高速に気配を消して移動する武藤は、その場に気配を残し、相手のすれすれを全く触れないように回転して躱す。傍から見るとまるでディフェンスをすり抜けているかのように見え、抜かれた相手からすればいきなり姿が消えたように見えるのだ。


 観客席から見れば何故かディフェンスが武藤を見失い、横を高速で抜かれているように見えるが、試合中の選手達にとってはまさに姿が消えているのである。


 マーク二人を完全に抜き去った武藤は一人ゴールへと向かう。カバーに入ってきたディフェンスを尻目にノールックで下村へとパスするとゴール下でノーマークの下村が無難にシュートを決めた。ゴール下でドフリーな状態でならさすがに決められる。下村は二年ではあるが、別にバスケ初心者というわけではないのだ。


 ダブルチームの欠点。それはゾーンが禁止されている以上、かならず一人ノーマークができることである。それは危険以外の何物でもないのだが、それをしてでも一人の天才を止める方が難しいと判断されたのである。


 得点を決められても西中に焦る様子は見られない。いや、武藤のマークについていた二人だけは驚愕の面持ちで武藤を見ている。彼らの中ではフィクションにしか存在しなかった消える技を現実で見せられたのだ。こうなるのも頷ける話である。いくら全国経験があるといってもまだ多感な中学生なのだから。


「OK、想定内だ。取り返していこう」


 西中キャプテン野田の声に固まっていた森崎、菅野がはっとした表情をした後、漸くなんとか動き出した。


(嘘だろ……野田達はこんな化物とやりあってたのか……)


(消えるとかなんだよそれ。見えないのをどうやって止めろってんだ)


 武藤のディフェンスについていた二人はたった1プレイで心が折られかけていた。抑えられなかったが、曲がりなりにもついていけそうな感じだっただけの野田にすら尊敬を覚えた程だ。


(俺達にこいつを抑えるのは無理だ。だがパスされた方は100%決められるわけじゃない)


武藤は味方が得点できそうならそこにパスすることを優先している。ならば武藤に二人付けば必ず一人が空くから武藤なら必ずノーマークの味方にパスを出すはずだ。森崎はそう考えた。


(ああ、なるほど。さすが先生だ)


 西中で野田をも超えるディフェンス力を持つ森崎は、顧問である名将室井の考えを理解した。それはパス、そして得点行動の誘導である。なまじ視野が広く、パス精度も高いため、武藤は必ずノーマークの味方を見つけて正確にパスを繰り出す。だったらそれを逆手にとってあえてノーマークを作ってやればいい・・・・・・・・・・・・・・・・・


 パスを得点力の低いものに流すことによって、それによるシュートミスを期待するのだ。その方が武藤自身が得点に絡んでくるより余程期待値が高いのである。


 最初のうちはいい。だがそれは試合が後半になるにつれ顕著に表に現れ始めた。


「!?」


 ノーマークで3Pを放った奥田がシュートをこぼし、リバウンドを取られてカウンターで決められる。奥田に限らず、石川原以外のメンバーのシュートがゴール下以外、外れることが増えてきたのだ。


 既に第3Qに入っているが点差は46-40で西中が3ゴール分リードしている。これはこの試合始まって以来最大の点差の開きであった。

 

 そこでついに第3Qが終わり、最後のインターバルへと入る。


「はあ、はあ」


「大丈夫かイッシー?」


「はあ、ああ、まだ――いける」


「なんで……こんなに……」


「……」


 石川原だけではなく、武藤以外は体力が付きかけ、まさに満身創痍といってもいい状態だった。


「当たり前だろ」


「!?」


「山ちゃん?」


 それまで完全に観客としてしか試合を見ておらず、全くかかわってこなかった顧問である山岸が初めて試合中に口を出した。


「お前ら武藤から教えてもらってまだ1週間かそこらだろ。技術は多少身につくかもしれんがな。体力はどうしようもない・・・・・・・・・・・んだよ」


「そ、それは……」


 体力なんてものは一朝一夕につくものではないのだ・・・・・・・・・・・・・・・。技術は上がれどもスタミナは1週間ではどうしようもないのである。


「普段から真面目にトレーニングを積んでいる石川原でさえ、公式試合で同格以上の相手と全力で対峙し続ける・・・・・・・・・・・・・・・・・なんていう経験はないだろう? だが西中は全員その経験がある。なぜなら彼らは全国を制しているから。そこの違いが武藤がいながら負けている今の状況の根本の原因だ」


 今までのおちゃらけた雰囲気はどこへいったのか。至極真面目に分析する山岸に東中のメンバーは混乱していた。


「ったく、子供のうちなんてただ楽しくやってりゃいいってのに……ここまでお前らが真剣になるなんてなあ」


 そういって山岸は頭を掻きながら苦笑する。


「どうしても勝ちたいなら武藤に頼るしかないぞ? それでもいいのか?」


「どうせ武藤先輩無しではここまでこられなかったっすよ」


「そうそう。今更感ありますね」


「今は頼らざるを得ないけど、いつかはムトが俺達を頼れるようになってみせる」


「……ってことだ武藤。外無しでやれるか?」


 山岸は武藤があえて自分で点を取らずに味方にパスを出して点を取らせていることに気が付いていた。試合前にあった自分が叩き潰すという感情がなくなり、それによって負けてもいいと思っていることも。


「まあ、みんながそういうならいいけど、チームスポーツどこいった?」


「馬鹿野郎。突出した得点源エースに全てを任せるように動くのもまた立派なチームスポーツだ」


「……屁理屈すぎん?」


「よくいわれる」


「あっはっははははは!!」


 大笑いする武藤とそれを苦笑して眺める山岸に対戦相手である西中ベンチの視線が一気にこちらを振り向いた。


「下村と奥田は武藤のマークにピックしろ。ロールまでしろとはいわん」


「ピック……スクリーンっすね」


「なるほど……わかりました」


「石川原は攻めに加わらなくていい。ディフェンスに専念しろ」


 試合当初から石川原は野田とマッチアップし続けており、野田の攻撃のほぼ半分は防いでいた。しかしそれは精神をかなり削る作業であり、体力はほぼ尽き欠けている状態だ。


 全国屈指の野田を一人で押さえ続けるだけでも相当なものなのだが、完全に抑えた武藤を見ており、しかも自分から交代してもらった以上、成果を出さなければならない。そのプレッシャーが余計に石川原の体力消耗を増加させていた。


「イッシー」


「なんだムト」


「バスケは好きか?」


「!? ……ああ、それだけなら誰にも負けん。お前にもだ」


「それならいい」


 そういって笑いあった二人は拳でタッチしてコートへと向かう。それだけで石川原の感じていたプレッシャーは嘘のようになくなっていた。





「はあー、武藤きゅんかっこいい……」


「やっぱイシ×ムトでしょ!!」


「はあ? 何ってるのムト×イシでしょ!!」


 何故か×の前と後ろの名前の順序で戦争が始まっている一部の東中女子応援組を余所に、武藤の彼女達は武藤のかっこよさに惚れ直していた。


「武かっこいい……」


「確かにかっこいいな。男のかっこよさなど全く理解できなかった私ですらそう思ってしまうとは……全く罪な男だな武くんは」


 ただ楽しそうにバスケをしているだけなのに妙に視線を奪うのだ。それは達人の武術に近いのかもしれない。極められ、洗練された動作はそれを知らない人でも魅了されるのである。


(彼を独り占めしていたなんて……百合はずるいな)


 内心そう思ってしまうほど、香苗は生まれて初めてといっていい嫉妬を覚えていた。


(彼に抱かれればこの体の疼きは止まるのだろうか?)


 試合を見て明確に武藤に対して男というよりは雄を感じてしまい、現在香苗の下着は大変なことになっている。


(この感情は愛情なのだろうか。それとも単なる肉欲なのだろうか。ああ、彼に対して興味が尽きないよ)


 香苗はただ熱心に武藤を見つめていた。それが自身の初恋という感情だということにも気が付かずに。




そしてついに最終第4Qが始まった。


「!?」


 それは一瞬の油断だった。野田から二年である森へとパスが渡されたその瞬間。それは森の視界から武藤が外れた瞬間でもあった。その一瞬に間合いを詰めた武藤は一瞬でボールを弾いた。


「いけっ!!」


 ボールを拾った石川原が叫ぶと武藤はあっという間に敵陣へと走りこむ。


 石川原から放たれたふわりと高く浮いたボールがゴールへと飛んでいくと、武藤はためらいなくそのボールへと飛んだ。


「!?」


 まるで空を飛んでいるかのような滞空時間の長いジャンプから、武藤はゴールより上にあるボールを空中でそのまま片手でつかみ、ドカンというゴールが壊れんばかりの音とともにリングへと直接叩き込んだ。


「アリウープ!?」


「嘘だろ……」


 あまりの出来事に会場中からもはや悲鳴といわんばかりの絶叫が響き渡り、会場が振動で揺れたと錯覚するほどであった。


「ナイスパス」


「ナイッシュー」


 武藤と石川原がハイタッチする。


「さあ、クライマックスだ。楽しんでいこう」


「いわれなくても」


 そういって二人はディフェンスにつく。


「こいっ!!」


 そう叫ぶ石川原の瞳は、バスケが好きでどんなプレイも唯々楽しんでいたあの頃のように輝いていた。武藤と初めて出会ったあの頃のように。

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