第150話 わたしのステータス
爽やかな香りに鼻腔をくすぐられて目を覚ますと、要塞地下の小部屋のベッドで横になっていた。
「シキ様、おはようございます」
声の方を見やると、火を入れたばかりの香炉からふわりと漂う薄煙を纏ったマシロがいる。
昨晩は彼女に誘われて地下へ降り、最近の樹海リゾートで流行りのアロマエステをして貰いながら寝落ちしたんだった。
「お休みになれましたか?」
「うん。ぐっすり眠れた気がするよ」
「それはよかったです。お疲れのご様子でしたから」
マシロとサニア、ついでにマリーから強引に促されて休むことになったのだが、アイギスをバラしたまま第1ドックに放置している。早めに修理しなきゃいけない。
「ねぇ……今、何時?」
「11時です」
「えっ!? 寝坊した!」
「大丈夫です」
精神的には全然平気なわたしだけども、肉体は10歳未満の子供で、寝不足は胸の成長を阻害する大敵だ。それでも時間を捻出するために短時間の深睡眠が常となっていたのだが、今回の落涙戦で限界を迎えたらしい。
「スカディは!? ヤられちゃった!?」
「自力で拘束を解いて逃げました。SHIKIがドローンで追尾中です」
ステを確認すれば『愚者』や『死神』のレベルは上がっていない。取り返しのつかない下手は打っていないようだ。
「アイギスは?」
「第1ドックは閉鎖されて立ち入り禁止になりました。サバッハたちが寝ずの番……と言いますか、寝る間も惜しんで猛勉強してます」
まずはドライの構造から学ぶことになるだろうが、あれらの開発には機関車や飛行船の製造に必須となる航空力学、機械工学、電気工学から派生する技術が用いられている。
フレームの素材は別としてアイギスも基本は同じ。彼らなら理解できると思うが、この後に待つだろう質問の嵐が恐ろしい。
「そこはサニア様が釘を刺してました」
工廠には他国の人間も混じっているし、世紀の大天才であるサバッハが子供に教えを乞う姿を晒すわけにはいかないとのことだ。
「……アニェス様は?」
「特に何もおっしゃってませんでした」
なるほど。喧嘩していた2人のスタンスの違いは大体わかった。
放任主義のアニェス様の方がわたしにとって都合が良いわけだが、自重させようと暗躍するサニアも無視しないように気を付けなきゃいけない。裏方の人間を本気で怒らせたら厄介だ。
「ふわぁ〜……シャワーでも浴びてこよ」
「お召し物をご用意しておきます」
「うん、ありがとう」
小部屋に隣接する風呂場で熱めのシャワーを浴びて眠気を追いやりながら、磨りガラスの向こう側で動く人影を意識する。
浴室に突撃してくる気配は無い。
「……マシロも変わったのかな?」
働きぶりは非常に良い。今やマシロはムンドゥスで最も深くわたしの思考を理解している人間だろう。
至れり尽くせり世話を焼くのは相変わらずだが、以前のように求めては来なくなり、退廃的な部分が薄らいだようにも思う。
マリツーのせいかもしれないが、調教ログを見る限りプレイの趣向に大きな変化は無いのだった。
**********
派手ではないが上品な外向けの衣装に着替えて上階へ向かうと、3人の少女を見つけた。
「おはようマスター!」
「お、おはよう……ございます」
ギプスに包まれたハリボテの簡易義手を装着したマリー。
快適な地下施設とご令嬢然とした装いのわたしを目にして、キャラが定まらないダミニ。
「マスター、おはようございます」
「3人とも、おはよう」
そしてマリツーだ。マリーとは違う個性を獲得したわたしの似姿である。
「マスター! マリツー! チューチュートレインしよう!」
「いいよ」
「了解」
「な、何? えぇ……どれが誰?」
側から見れば4人のうち3人が同じ顔なのだから、そこに混じったダミニが混乱するのも無理はない。3人の黒髪が入れ替わりつつ踊りながらぐるぐる回れば尚更見分けが付かなくなる。
「マリーはわかるけど」
「腕がコレだからね!」
「アンタの妹……マリツーだっけ? なんでシキ……様と同じ服を着てるの?」
「わたしはマスターの代役。三原則と命令は取り消されたが、独自に継続する許可を得た」
「紛らわしいから髪型だけでも変えて」
マリーの黒髪は砂モグラ団との戦闘で焦げたので肩くらいの長さに切り揃えているが、マリツーはわたしと同じストレートの黒髪ロング。キューティクルもバッチリ再現した艶やかな仕上がりだ。
「ここはわたしが変えよう」
「マスター? こだわりがあったんじゃないの?」
「特に無いよ。大昔は男みたいな短髪だったから伸ばすことにしただけさ」
「大昔って? 同い年……ですよね?」
ゴム紐を錬成してポニーテールにしてみた。鏡で確認すればキリっとした印象の美少女がいる。さすがわたし。
懐かしき幼児期のわたしは短パン半袖のザンバラ頭だった。貧乏暇なし。利便性が最優先。回ってくるお古は全部男モノ。
「へぇ〜、それはわかる。伸ばすと先っちょが痛んでゴワゴワになるよね」
「リンスinシャンプーを作ってからはそんな苦労ともおさらばできたがね」
「りんすんしゃんぷー? 何それ? あっと……何ですか?」
身寄りを無くしたダミニはマリーの旅友の第一候補なのだが、ムサイ砂漠の外の世界にイマイチ馴染めない様子だ。
近代化が進むキョアン領はたしかに特殊だろう。しかし、ムンドゥスにはもっと特殊な土地もある。例えばラング山とか。
「無理に敬語を使わなくてもいい。気楽にしたまえ」
「だって……なんか偉そうなんだもん」
「そうかい? 子供からはそう見えるのか」
「アンタも子供で……ですよね?」
転生者の特徴か、わたしには昔から子供らしさが無かったらしい。
MUNDUSの弊害か、最近はその傾向が顕著になっているらしい。
まったくピンとこないが、極一部では神聖視されちゃってるらしい。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人とは前世の何処かで聞いた格言だが、わたしの場合は5歳で神童と見做されたまま徐々にランクアップしている気がする。
それらはすべて虚妄だと言うのに、わたしとした事が乗せられてしまっていたとすれば大問題だ。
「もっと気安く話し掛けてくれていいんだよ」
「わかったよマスター! もっと気安くするね!」
「了解」
同世代の子供と仲良くなる努力をしようと決めたものの、極めて難しい挑戦と言わざるを得ない。
憑依状態で追体験した先人たちの人生が生々し過ぎて、色々と悟ってしまったわたしから見れば、レナードやメイデンですら若いと感じてしまうこともある。
「ただねぇ……キミたちとは話が合わないと思うんだ」
「……どうしろってのよ?」
『恋愛』のスキルはこれ以上育たないかもしれない。精神年齢が高すぎて他人の中にときめく要素を見出せないのだ。残念ながらフロスやマシロも同じく。
マシロとは久しぶりの抱擁だったけど、どうかな? ステ見てぇ〜……うーん……レベル6で据え置きか。
「残念だよ」
「……なんか腹立ってきた」
「って……あれ? そういえば――」
MUMDUSからムンドゥスへ戻る間際、転生神にサービスで見せられたステータスの中で、いくつかのスキルレベルが成長していた。
レベルアップしたスキルには『死神』や『恋愛』もあったが、これまでの経験から鑑みて当人に相応の何かが無ければステータスは応えないはずだ。
例外は転生者のチートスキルのみだと、そう思っていたのに――、
「「マスター?」」
他人の想いを覗き見ただけで、わたしのステータスが変わったのは何故だ。
わたしの変化に気づいたマリーとマリツーが同時に支えてくれた。立っていられないほどの目眩に襲われ、自分が誰だかわからなくなる。
――――――――――――――――――――
暦:魔幻4023/5/28 昼
種族:人族 個体名:シキ・キョアン
ステータス
HP:1230/1950
MP:2147330/5012380
物理攻撃能力:1250
物理防御能力:1280
魔法攻撃能力:5012380
魔法防御能力:5012379
敏捷速度能力:2380
スキル
『愚者LV8』『魔術師LV8』『死神LV4』『女教皇LV6』『法王LV6』『恋愛LV6』『剛毅LV5』『運命LV2』『隠者LV1』『スカイダイブLV7』『ドランクドラゴンLV2』『育ち盛りLV5』『ベビーシッターLV5』『ジャンクジャンゴLV7』『調教LV7』『概念編纂・転写』
――――――――――――――――――――
大丈夫……わたしはシキ・キョアンだ。
過ぎ去った記憶の中の誰かではない。なまじ転生したという自覚があるから迷うんだ。
数多の後悔に――この妄執に囚われてはならない。
**********
今は戦時下。家中の要人は誰しも要塞に入っている。ギャン領へ放り込んだシグムント以外は。
気を取り直したわたしはアニェス様のお部屋を訪ねた。小ちゃい夜天甲冑を着込んで腕を組み、ムッツリと仁王立ちするイニェスも居るけど無視しておこう。
「獣月の落涙はさておき、情報戦である」
「である!」
現在、技術士官の中から選抜された人間が5〜10名のチームを組んで、技術支援の名目で他国へ派遣されている。
彼らは概ね好待遇で受け入れられているわけだが、その中には暗部から選抜された間者も混じっているらしい。きゃつにしてはやるじゃないかと思えば、案の定アニェス様の手配だった。
「通信機を持たせたい」
「携帯電話を送ればいけますけど、ちゃんと届きますかね?」
「送る必要は無い。往来が無いわけではない故に」
好待遇だから一時帰省も認められており、それに混じって情報を持ち帰ることも可能なのだとか。先方の諜報機関がザルということではなく、情報漏洩のデメリットと技術支援のメリットを天秤に掛けた結果である。
「メイガスからも報告が参った。祭壇の輸送兵団が都を出立。来月には届くであろう」
「おー、遂に新品とご対面ですか。楽しみです」
6種族で最弱と評され、特殊な能力も持たない人族だが、その中の一国がステータス鑑定の要となる祭壇を新造できるという事実。
しかも女王の姓がハツネさんと同じとなれば怪しいにも程があるだろう。是非とも背景を洗い出してスッキリしたいところだ。
「シグムントはそなたを立てる腹じゃ」
「立てるって何ですか?」
きゃつは隣のギャン伯爵をシバくのに忙しい。
実際に行ってみれば領地が荒れに荒れており、領民の暮らしは散々な有り様だったとのことで、獣月モンを狩るついでに併合することにしたとか。
きゃつからの無線連絡を受けた参謀連中は大喜びで援軍を差し向け、司令室は今もやんややんやと祭りのような騒ぎになっている。
「俺の国とやらの初鑑定はそなたである」
「えっ……嫌ですよ。2度目は無いんですから」
「鑑定それ自体はフリで良いが、貴族家の子女はその場で自己申告するもの故に」
老朽化で塔だけ建て直した例は多くあるが、ゼロから新たな祭壇塔が建つのは実に400年ぶり。御手洗さんが建国したヤマト国の祭壇塔が直近ということになる。
「それ相応の危険を伴う。されどそうするだけの価値があると見込んだ。心して――」
4世紀ぶりの特別な鑑定イベントである。嫌でも注目を集めることになるだろう。
「皆に告げるステを考えておけ」
普通はその時になってみるまでわからないわけで、下手なアドリブでボロを出すと消えない瑕疵となって残るから虚偽申告するにしても限度がある。
「母上! イニェスが1番にやりたい!」
「そなたはあと5年早い」
古今東西、わたしだけが抱える悩みというわけだ。
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