第33話 どっちの道を行きたいか


(別視点:ナナリー・S・キョアン)



 わたくしの個体名はナナリー・シエラ・ピックミンでございます。断じてS・キョアンなどではありません。


 ふさわしいお相手とのご縁であればステの個体名も併せて変わると申しますから、市井の出であるシグムント殿は当然として、キョアン伯爵家もわたくしにはふさわしくないと、人神様はそのように示しておられます。


「エッグザミン卿。この度は卿自ら御足労いただき恐悦に存じます」

「はははっ。なんのなんの、キョアン夫人。ナナリーに呼び付けられては来ないわけにもいかん。後が怖いのでな」

「あら、イヤですわ叔父様ったら。わたくしはキョアン家のため、務めを果たしただけですのに」


 甚だ不本意ではございますが、国のために務めることこそ王家に連なる者の使命と理解しておりますれば、政略の道具となることも人神様のお与えになられた試練であると承知の上でお受け致しました。


 辺境とはいえキョアン領は王国守護の要地ですから、弱体化した国軍を建て直すまでは伯爵家に頑張ってもらわねばなりませんものね。


 妖精族も適齢の才媛がわたくししか居ない時期に攻勢へ出ずとも良いものを……内心の愚痴くらいは人神様もお許しになりましょう。


「おおっ、そう言えば、その後のゴタゴタで大事なことを失念しておった。キョアン夫人、此度の竜討伐、誠に天晴れであった。陛下も大層お喜びである」

「……ありがとう存じます」


 竜出現の一報を知った時には肝が冷えましたが、その翌日には討伐されていたとは些か不可解ですわ。こちらで放った斥候の情報によれば確かに『ブレス』の爪跡はあったとの事にございましたが……シグムント殿の手柄はさておき、裏に何やらございますわね。


「叔父様? 献上品について何かお言葉はございましたか?」

「うむ、皇后様は大層お気に召したご様子であったぞ。無論、石以外はこちらで仕立て直したがな」

「……お手数をお掛けいたしました」

「いやいや、キョアン夫人が気に病むことはない。素人の銀細工ならあんなものであろう」


 あの公妾を連れてきた時にはどうなる事かと思いましたが……わたくしを通じてダイヤを献上しようとした点は賢明であったと評価いたしましょう。ただ、やはり掌の上で踊らされている感は否めませんわ。


 帝国に照会するのは時期尚早でしょうか。さて、何処のどなたか存じませんが、わたくしまで踊らされては敵いません。どうにか尻尾を掴めないものか……やはりシグムント殿の口を割らせるのが早そうですわね。


「ところで件の別邸にはキョアン卿の妾が逗留していると聞くが、子は産まれたのかな?」

「はい……女児とのことです」

「ん〜……そうかぁ。まぁ、めでたい事ではあろう。竜に行き遭うて生き残っただけでも奇跡だ」

「間一髪で間に合ったと申しておりました」

「さすがはミッタライ流と言ったところか。それにしても突然現れるとはな。竜が隠れ潜むことなど無いと思うが……はて?」


 その点はわたしくも疑問に思っておりました。討伐後すぐにダイヤの鉱脈を発見し、さらには採掘中の事故で偶発的に生じた水害を運河として活用するなんて、出来過ぎにも程がありますもの。


 余人には到底為し得ない災害復興の速度もそうですが、魔道具まで持ち出して顔を売り一気阿世にヒョッコリー全域をまとめ上げる政治力は感嘆に値します。


 捨て値同然の服飾製品を大量にバラまいて商人を呼び寄せたことは……これは悪手ですわね。ダイヤの儲けをほとんど吐き出したのでしょうし、キョアン家のみならず近隣の領主まで敵に回して、王国全土の注目を集めてしまってはやり過ぎと言わざるを得ませんもの。


 すべて彼女の差し金なのかとも疑いましたが……竜が人に懐くわけもなし。死骸も念入りに焼き滅ぼしたとのことで……当然の処置ではあるのですが……どうにも腑に落ちませんわ。


「して……ナナリー? その妾……アニェスと言ったか? 大層な美貌だと聞いたが……誠か?」

「おほほほっ。嫌ですわ叔父様……ご自分でお確かめになった方がよろしいのではなくて?」

「ムフっ……であるな。楽しみは取っておかねば……ムフフフ」


 叔父様は昔から好色で有名なお方です。他に大した才もございませんのに、我が国随一の魔法使いとして要職に就いていなければ誰が……ああ、良いことを思い付きました。


 どれほどの才覚があろうと今の彼女は妾に過ぎないのでした。後始末はすべて叔父様に被っていただくとしましょう。


 調停者もいらっしゃる事ですし……虎の尾を踏んでも上手く宥めてくださいな。


 わたくしにとって差し迫った問題は、2日間もの道行きを叔父様と馬車を共にせねばならないことでございます。



**********



(別視点:カリギュラ)



「カリギュラ……大丈夫か?」

「大丈夫かだぁ? 俺にわかるもんかい」


 ヒラリーがキレやがった。ギルを連れて行こうとしたら物凄ぇヒステリー起こしやがった。


 まぁ、よくよく考えれば当たり前だ。樹海の奥地、それも川向こうの未踏域に行こうってんだから、7歳のガキを連れてく方がどうかしてるわな。


「麻痺しちまってんだなぁ。誰かさんのせいでよ」

「……俺のせいだと言いたいのか?」

「もちろん違ぇけどよ。種蒔いたのは御当主、アンタだろ? 俺はやめとけって言ったぜ?」


 庭師んなってから貴族家で働く使用人ってのを初めて身近に知ったがよ、ここの連中は良くも悪くも平民だった。


 姫さんの言う凡愚ってヤツさ。俺もその括りに入れられちまってるらしいが、その見立てはちっとばかし厳し過ぎるってもんだ。


「ゾッとしたね。コイツはヤバいって」

「…………」


 シキのことじゃねぇ。パメラのことさ。


 アイツだけは他の使用人と違ってた。何が違うっつっても上手く言えねぇが、戦場じゃありふれた殺気とは別物のがあった。


「人神様の愛し子かと思っちまった……いやマジで深入りしちゃならねぇってよ。アレに近づいちまうんだからアンタも相当だ」

「…………」


 あの親にしてこの子ありだよ。シキも大概だがパメラに比べりゃ可愛げがある。御当主には逆に見えてたのかもしんねぇがな。


「……子息は大丈夫か?」

「あん!? 大丈夫かってソッチかよ!」

「あの暴れよう……末恐ろしいぞ?」

「あのバカはホント……変な女に懐きやがって」

「懐いた?」

「惚れた腫れたなんざ10年早ぇってんだ!」


 シキが建てたらしいセーフハウスで干し肉を回収して、背嚢に詰め込む俺の背後で動いた妖月モンを御当主が斬り伏せた。相変わらずの剣の冴えだが、それよりも――、


「何だこのデカい干し肉はぁ〜! どんだけあんだぁ!」

「……どうやって腐る前に乾燥させたのか?」

「知るか! 普通は薄切りだろうが!」


 修行中に『この先入るな』と言ったところから何キロも入り込んだ場所にセーフハウス建てんなよ。案の定、妖月モンがわんさか出やがるじゃねぇか。アイツは賢いのか馬鹿なのかわからねぇ。


「その辺にしておけ。切られていたというロープの場所まで先導してくれ」

「クソっ……半分も入らねぇ! イエッサー!」

「その掛け声はなんだ?」


 傭兵時代の癖みたいなもんだが、これから敵陣に突っ込むって時に見つけた食糧を回収し切れねぇとかよぉ……不安にさせてくれるじゃねぇか。


 シキを追っかけた時に付けておいた目印を辿って樹海を進むに連れて、妖月モンの出現頻度が増えてきた。ボチボチ川に出る。


「あのロープだ」


 背の高い木のテッペンから垂れ下がる黒いロープは川縁の岩に引っ掛かって、そっから先は水の中だ。


 魔法で飛べるアイツが何のためにロープなんか渡した? 内心は追ってきて欲しいとか……いや、シキに限ってそんな可愛げは無ぇな。渡り終えりゃ切ってるわけで……何がしてぇんだ?


「俺たちには細すぎる」

「どうだかな。こんな色味のロープ、見たことあるかよ?」

「……どうであるにせよ時が惜しい。使うしかあるまい」


 樹上の結び目を解いて河川敷近くの木の幹に括り直し、着衣を脱いで刀と靴紐で一纏めにした御当主はそれを頭に固縛し、ロープのもう一端を腰に巻きつけて川へと入った。


「俺用の命綱ってか……」


 相変わらず貴族とは思えねぇ行動だが、幹に回されたロープの結び方は舫い結び。船乗りがよくやるもんだ。


「そういえば、その辺はあんまし聞いてねぇな」


 中央と比べりゃ外縁の国は大分マシだがよ。そん中でも辺境の貴族には変わり種が多いってのはわかるが――、


「……なんか変わったか?」


 対岸まで渡り切ってロープを張り直し、俺に向かってふんどし一丁で手招きする御当主の背後には、南側より色濃い樹海が緑の壁のように立ち塞がっている。


 あそこから先は死地ってヤツだ。おっと、こりゃいけねぇ。隣でルリが手招きしてやがる……ってなんかムカつくなぁ。


「やれやれ……早いトコ渡っちまうか」


 妖月モンを甘く見ちゃいけねぇ。シキならひょっとしてと期待しちまう気持ちはあるが、魔法が効かねぇならそれだけで詰みだ。


 石だらけの開けた河川敷には出て来てねぇみてぇだがよ、あの原生林の向こうにはウヨウヨ居んだろうな。


 川を渡り切ると軽く焦げ臭さが鼻についた。妖月モンを焼き討ちしようとしたんだろうが、樹海の生木はそう易々と燃えてくんねぇからな。


「御当主、居たか?」

「近くには居ないようだが……おかしい。静かすぎる」


 手早く装備を整えながら気配を探ると、たしかに妙だ。


 妖月モンが狙うのは人間並みの大きさがある動物だが、どういうわけか鳥や小動物、虫の騒めきも聞こえてこねぇ不気味な静けさが森に満ちてやがる。


「……嫌な感じだ。火計はやってんだろうから、火の跡を辿ってみるか」


 剣を構え、警戒レベルを1つ引き上げて鬱蒼とした原生林の森を進む。今のところ妖月モンの気配は無ぇが、敢えて動かずギリギリまで擬態して待つ個体も居やがるから厄介だ。


 大声で呼び掛けたりなんぞしない。こうも密度の高い森の中じゃ大して届かねぇし、敵に隙を与えるだけだかんな。


 それより視野を広く保って痕跡を探す方が重要なんだが……どんどん焦げ臭くなってんのに周りの木には焦げ跡がほとんど無ぇ。一体どこから――、


「「――は?」」


 藪を抜けたところで視界が開けた。


「おい、御当主……ここは樹海だよな?」

「……そのはずだ」


 妖月モンどころか、普通の木や生い茂る草も無くなって、辺り一面燃え尽きて更地になっていた。


 西と東には津波のような緑も見えるが、北は地平線まで真っ黒い炭に変わってやがる。目を疑う光景ってヤツだ。


「最近……似たような景色を見たような気がするな?」

「……竜でも出やがったのか?」


 地平線の向こう側から立ち昇る黒煙が見えた。これ以上無いデカい目印に……って――、


「う、うぉおおおおおおおおおおおおお――っ!」

「あっ! おい御当主! 待て! 俺を置いてくな!」


 しょうがねぇな。まぁ、気持ちはわかるぜ?


 膝の曲がらねぇ右脚を引き摺りながら、せっせと焼け跡の道を進んでく俺も気分は同じだからよ。


 敵を討ち滅ぼして手に入れる土地ってなぁ、大概こういうもんだ。


「わははははは……久しぶりの感覚じゃねぇか。俺は何にもしてねぇけど」


 何もしてねぇ俺ですら勝利の美酒ってヤツに酔っちまってんだ。


 死んだ女の忘れ形見が英雄だった男の気持ちを思えば……なんうんだったかこういうの。


「ダメだな。言葉になんねぇや」


 心臓が行進曲みたいにドゥンドゥン鳴ってやがる。


 血が滾るぜぇ〜!


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