第21話 竜の咆哮


 9人をサニアのワイヤーで繋ぎ、小振りなたたみいわしを作ったところで撤退開始。木竜の追撃を上回る逃げ足があるなら殿しんがりは必要ない。


「なんじゃとぉおおお〜っ!?」

「レナード様。暴れないでください。魔法を仕舞って落ち着いてください。地面に寝そべる感じでそのまま動かないでください」


 メイデンの腹の上を選んでたたみいわしに座ったわたしは、魔法でカリギュラとレナードに足払いを仕掛けて『ホバークラフト』で引き寄せ、合流すると同時に逃走へ転じた。


「シキ! おいシキ! お前さんコレは……っ! おぉおお〜!?」

「アニェス様? 乗り心地はいかがですか?」

「苦しゅうない。褒めて遣わす」


 なんだろ? 偉そうに褒められただけで嬉しいんだけど? これがカリスマって言うのかな?


「何者です!? 旦那様も言ってましたが本当に何者ですか!?」

「サニア、騒々しい。静かにせよ」


 わらわの浮き椅子もとい人間ホバークラフトはわたしとアニェス様とサニアを乗せて芝生を舐めるようにぐんぐん加速し、両翼には手足をバタつかせるカリギュラとレナードが並走している。


 魔法3つ同時行使。うん、まぁ、平気だけど……暴れられると失速するんだよなぁ。


「サニアさん? 2人も合体させてもらえますか? 特にレナード様がやりづらいです」

「何がやりづらい……と申しますか何をなさっているのか理解できませ「サニア、早う」……承知しました」


 たたみいわしの前方にレナード、後方にカリギュラを引き寄せ、サニアのワイヤーで拘束して連結。優雅に座るアニェス様のお御足がレナードの顔面を踏んづける。


「何をなさるか!?」

「褒美じゃ。感涙に噎せぶがよい」

「何を言うとるかぁ! 賓客といえど度が過ぎますぞ!」

「ふむ……本国の者は皆悦ぶがな。この国の民は違うのか……否、不慣れ故であろう。慣れよ」


 うわぁ……それを悦ぶ人がいるの? 本国って何処だろ? やっぱ帝国?


 頬にめり込むハイヒールの踵を、皺の寄った首筋を引き攣らせながら押し返すレナードは真っ赤な顔で眉を吊り上げ、アニェス様を睨んでいる。


 そりゃ怒るに決まってるけどさ、そんなに無理して首伸ばさなくてもいいんじゃん? 捥げそうだよ?


「慣れよとは否なことを! 何処いずこの貴人か存ぜぬが……ぐにゅ! このような振る舞いは淑女のものではございませ……ぐぬぬっ! ませんぞ!」


 あれ? なんか文句言いつつ目が泳いで……あー、あの角度だと太股あたりまで見えちゃうか。それでご褒美って……勉強になるなぁ〜。


「おい……おい、姫さん! おいって!」


 合体して1つになった浮き椅子の中で意識があるのは2人だけ。説教臭い長話にかこつけてアニェス様の美脚を拝むのに忙しいレナードとは違い、諦めて静かにしていたカリギュラが騒ぎ始めた。


「おじさんも踏んで欲しいの? わたしでいい?」

「シキは黙っとけ。姫さんよ……アレはマジモンの竜じゃねぇよな?」

「錆びて久しいと言えど剣を振るう者なら一当てで理解せよ。できなんだのなら早々に草刈り鎌へ持ち替えるがよい」

「え? 竜じゃないんですか?」

「実物を見たことはございませんが……おそらく違うかと思います」


 前方を見据えたままカリギュラの問いを迂遠な否定で返すアニェス様。その見解を引き継いだサニアによると、もし本物の竜だったなら、引退して10年も経つカリギュラの剣が通じるはずはないと言う。


「庭師殿だけではありません。私の操糸ですら断てるのですから、物防はさほど高くないことになります。竜麟もありませんし、そもそも木の竜など聞いたこともございません」


 竜は名実ともに最強のモンスター。具体的にはわからないが、すべての能力値が桁外れに高いと言われている。


 人族の領域に堕ちた場合、討伐に向けて最強格の精鋭を集めた多国籍軍が組織されるのだが、彼らの到着までの足止めは当事国の仕事となる。


 数千、下手すれば万の犠牲者が出ることもザラにあって、人族会議がもたつくほどに被害は拡大する。


「姿かたちは竜ですが、物攻と物防が低く、動きは鈍重となれば……性質として妖月のモンスターに近いかと」


 そう言えばポールもそんな事を言ってたな……妖月モンっぽいって。木みたいな竜? いや、竜みたいな木か?


 落涙があったわけでもないのに突然出現したことも気になるけど……竜じゃないなら、シグムントも大丈夫かな。


「――?」


 いやいや、待ってわたし……今、何を考えてた?


「……ちっ」


 バカかわたしは。脳内のブラックリストは何処に消えた。


 思い出せ。


 赤ん坊だと侮って目の前で事に及ぶ男の浅ましさを。屋敷に住む場所すら与えられなかった屈辱を。隙間風に震えて眠る暗季の夜を。


 思い出せ。


 擦り過ぎて赤くなったパメラの肌を。母乳が足りずに泣いて謝るパメラの顔を。与えられた僅かな砂糖菓子を他に分けて回らねばならなかったパメラの立場を。


 バカバカしい。墓前で泣いたからなんだって言うんだ。


 事実は何も変わらない。どいつもこいつもパメラのお人好しにつけ込んで食いものにした。シグムントもそういう憎たらしい連中の1人じゃないか。


「竜に踏まれちゃえ……」

「シキ様? 何かおっしゃいましたか?」

「いえ……別に……」


 ガラガラと崩れ落ちる破壊の大音響を振り向けば、遂に屋敷へと到達した竜の本体がお目見えした。


 赤く光る8つ目を備えた頭部はまさしく竜だが、他の木竜と違って首は短く、木の幹を彷彿とさせる野太い胴体が付いている。その下には太い根がいくつも生えていて、無数に広がる細い根っ子はすべてそこから伸びているようだ。


 半分寝そべってるけど、直立したら屋敷の3倍くらいありそう……デッカいなぁ。


 足の代わりとなった根の1本をしなるように振り上げて建材を弾き飛ばし、広範囲に叩きつけることで巨体が少しだけ前進した。


 そのおかしな1歩で屋敷の半分が崩壊した様を見て、わたしは清々した気分だった。


 これは天罰なんじゃないか?


 パメラを虐げ続けた嫌な場所は消えて無くなり、魔力欠乏に陥る原因となった人間は同じ末路に行きつき、容態が急変する前触れのように降り掛かった人災の犯人もわかった。


 わたしが自ら手を汚すつもりはもう無いけど、ナイラに相応の罰が下されるならそれでいい。処罰を待たずにキョアン領自体が潰れたとしても、その時は全員が路頭に迷うことになる。いずれにせよ、周りからの信用を失ったナイラに先は無い。


 もしそうなったらアニェス様の国に連れて行ってもらおう。わたしだって気に入られている自覚はある。


「アニェス様は避難された後、どうされるんですか?」

「…………」

「旦那サマの軍隊が来るのは7日後らしいです。それだけあればアレがヒョッコリーの街まで来ててもおかしくないですよね? 避難した先で、さらに次の一手をご教示いただければなぁ〜と……」

「…………」

「やはりピックミンの王都ですかね? 小国とは言ってもノロマで脆い竜モドキならなんとかできると思われますか? それとも国境を越えてドラン帝国までお引きになるとか……あはは」


 アニェス様は無反応。完全に無視されている。


 あれ? おかしいな? 誕生日は祝ってくれたし、一目置かれてるんだと思ってたけど……ただの気まぐれだった? もっとヨイショしなきゃ。


「……おい、本当か? 本当に竜じゃないのか?」

「おじさん、口の利き方がなってません。アニェス様にご無礼ですよ?」

「シキ、お前さんは黙ってろ。どうなんだ姫さん?」

「竜ではない」

「そうだよ、竜じゃないよ。おじさん、何言ってんの?」


 さすがはアニェス様。端的で有無を言わさぬ迫力がある。


 それに比べてカリギュラは……さっきのカッコイイ感じはどうしたの?


 本体はもちろん根っ子や木竜だって『ホバークラフト』に追いつけてないし、あとはカルラたちを回収して逃げるだけじゃないか。


「妖月モンの変異種でしょうか? それなら物防の低さにそぐわない魔防の高さにも説明が付きます」

「じゃあ……アレはなんだ?」

「アレとは? 何か見えましたか?」

「妖月モンにあんな口は無ぇだろ」


 ずっと最後尾で竜を見ていたカリギュラが気になることを告げると、初めて後ろを向いたアニェス様の赤い瞳に微かな動揺が過ぎる。


「……口を開けよったか」

「おう……こりゃ詰んだかな」

「ま、まさか……ブレスを!?」


 竜族の代名詞とも呼ばれる『ブレス』だが、竜も同様の熱線を吐くことから同じスキルなのではないかと言われている。


 もっとも、その巨体から放たれる『ブレス』は並みの竜族とは比較にならないほど大規模なものらしいが。


「遠距離攻撃が来るってこと!?」


 パッカリ開いた大口は木竜のものとは違う。火災の薄明かりに照らされる口内にはちゃんと中身があって、喉奥の暗穴を中心に広がる大気の歪みを見た。


「と、止めなければ!」

「この距離じゃ……無理だ」

「おじさん! ブレスってどんな風に出るの!? 真っ直ぐ!?」

「お、おう……帯状のファイアボールって感じだ」



――――――――――――――――――――

 暦:魔幻4018/9/15 夜

 種族:人族 個体名:シキ・キョアン

 ステータス

 HP:396/560

 MP:43506/83720

 物理攻撃能力:170

 物理防御能力:190

 魔法攻撃能力:83720

 魔法防御能力:83719

 敏捷速度能力:520

 スキル

 『愚者LV5』『魔術師LV3』『死神LV2』『女教皇LV2』『初級火魔法』『初級水魔法』『初級風魔法』『初級土魔法』『超速サウザンドスラッシュLV9』『超速ディッシュポリッシュLV9』『超速ボーンプーラーLV9』『超速ギャベッジダンパーLV5』『料理人の鉄腕LV1』『ミラクルチ〇ポLV1』

――――――――――――――――――――



 MPにはまだ余裕があるものの、距離に応じて消費量は増大するはず。こんな遠距離で試したことはないし、そもそも魔法が効かないのに意味あるか?


 でも、やるしかない。幸い周りに根っ子は見当たらない。視界を塞げば見失ってくれるかも。


「――火炎放射器!」


 歪んだ大気の向こうで光る赤目を狙って遠隔で魔法を行使――不発。MPも減っていない。


「なんで!?」


 木竜の時は効かずとも発動はしたのに。


「まさか……――ファイア」


 手元で『ファイア』――不発。


 以前から疑問だったステータスの能力値。その真の意味を見出すために重ねた思考実験の結論と、わたしを上回る最大MPを持つ存在を前にして知った事実を元に、思い当たる可能性が1つだけある。


 竜の『ブレス』が『ファイア』と同じ元素を用いる魔法攻撃スキルなのだと仮定すれば、口を開けて発射態勢に入った今この時、一帯にある火種の材料がアレに総取りされているが故の不発――つまり魔法と魔法の干渉が起こり、魔攻の高い方が打ち勝った結果なのではないか。


「――しまった! みんな掴まって!」


 すぐに思考が先行するわたしの悪い癖が出た。考えているうちに竜の前面に生まれた焔を見て、遅ればせながら行動に移す。まだ間に合うはずだ。


 開け放たれた口はわたしたちを指向している。射程がわからない以上、あのまま庭師小屋へ向かうわけにはいかない。少し考えればわかることだったのに。


 竜の挙動を見ながら庭師小屋とは逆方向へ加速して――、


「サニアさん! ワイヤーを解いて! 全員できるだけ頭を――」


 眩ゆい閃光が解き放たれ、竜の咆哮は蝕の暗がりを蹂躙した。


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