第3話 庭の熊さん
朝ご飯を平らげてベッドに潜り込み、シーツから顔だけ出してパメラに可愛く「いってらっしゃい」をした数分後、荒屋を抜け出したわたしは庭師小屋へやってきた。
小屋と言っても人が住むのに申し分ない家屋である。
そりゃ屋敷と比べれば犬小屋みたいなものだとしても、ウチの荒屋よりは遥かに恵まれた住環境だ。あそこはほとんどヤリ部屋だからなクソったれ。
「あっ! シキちゃん、おはよ!」
玄関先の育苗棚の前でしゃがみ込んでいた子供がアホそうな笑顔を晒して駆け寄ってきた。
庭師の息子のギルバート。わたしより1つ年上の4歳児だが言語機能の発達は遅い。
お前が早すぎるんだって? いやぁ~、照れる。でも見てほしい。このポケ~っとした呑気な顔を。悩みなんか1つも無いに違いない。
強い父親の下で温かい家族に囲まれながらぬくぬくと育っているからそうなるんだバカめ。
「おはよう、ギル。今日もいい天気だね」
そんな内心をおくびにも出さない大人なシキちゃんは持ち前の可愛い笑顔をギルバートにプレゼントしてやった。
さあ、何か返せ。具体的には食べ物を寄越せ。あっ、ダメだこれ。なんか余計にポケ~っとしてる。
「その育苗箱は昨日仕込んだばかりだからまだ発芽しないよ? 種が芽吹く様を肉眼で観察しようなんて素晴らしい根気だ。一見して暇を持て余しているようでも情操教育には良さそうだし、まったく将来が楽しみだよ。ギルは偉いね」
「エライ? ボクってエライの? えへへ……ありがと」
わたしの聡明さを添えて放ったイヤミも理解できないらしい。おバカな子供は語尾のジョークだけを捉えてニコニコしている。
しかしながら、バカとハサミは使いようだ。わたしはバカを使ってHPを回復しようと試みる。
「ギルは偉いでちゅねぇ~。良い子だからパンを持ってきなさい」
「あ……パン……えっと、えっとね、カル姉がダメって。あのパンはウチのなんだって」
屋敷の使用人には毎週1人1本のデカいパンが配られる。形状は太めのフランスパンだが、あんなに味わい深くない。そのクソ不味いパンを1週間分の主食として屑野菜のスープに浸して食べるのが普段の食卓なわけだ。
はて? フランスパンってどんなパン? とても美味しいパンだったような気がするけど……ダメだ。思い出せない。
ちなみに、わたしの分のパンは配給されておらず、パメラのパンを2人で分けて食べる。屋敷の主のせいで増えた食い扶持が適切に賄われないという理不尽に耐えて、わたしは日々のお手伝いに精を出しているのだ。
父母姉+ギルバートの4人家族である庭師一家には毎週3本のパンが配給される。公平なようでいて、これはまったく公正じゃない。
だから、わたしはおバカなギルバートに人の道を教示してやる報酬として、たま〜に庭師一家のパンをお裾分けさせているのだけど、どうやらカルラに叱られたようだ。
「あれぇ~? 賢いギルがわからないのかなぁ?」
「なぁに? ボクわかんない」
「パンが無いならケーキを食べればいいじゃない」
「あっ……そっか! シキちゃんはスゴイね!」
「滅相もない。ギルの方がスゴイよ。色んな意味で」
ギルバートは勝手口へ走る。途中で転んで膝を押さえてベソを搔く。黙って見ていると勇ましく立ち上がり、涙を拭ってこっちを振り向き、ニカっと笑う。
「スゴイ。カッコイイ。エライエライ」
「えへへ! シキちゃん! 待っててね!」
さて、今日はパンを貰いに来たわけじゃない。
玄関扉をノックするとおばさんが顔を出す。
「おや、シキかい。おはよう」
「おはようございます」
おばさんの名前はヒラリー。ギルバートの実母で息子命。カルラは庭師の連れ子なので血は繋がっていない。
元は屋敷で働くメイドだったのだけど、庭師に嫁いで引退?みたいになったらしい。
引退してんのにパンが貰えるってのはどういうことだよ? ええ? ポールよぉ?
「寝込んだって聞いたよ? 大丈夫かい?」
「昨日、メイド長にイジメられまして」
「そりゃ可哀想にねぇ。アイツは死ぬまでああだろうさ」
ヒラリーとメイデンは昔から仲が悪い。
これは言ってはいけないタブーみたいなものだが、わたしが生まれる数年前に勃発した庭師争奪戦のネタは面白かった。メイドの陰口を盗み聞きしただけでもオモロかった。
「おじさんはどちらですか?」
「前庭だと思うけど……何か用事かい?」
「気晴らしに武勇伝でも聞きたいなと」
メイデンは敵だがヒラリーは違う。かと言って味方というわけでもなくて……うーん、微妙。
「おじさんのお弁当、ついでに持っていきましょうか?」
わたしにとって、渡る世間のほとんどは彼女のような立ち位置だ。敵に回さないよう立ち回る必要はある。
「相変わらずしっかりした子だねぇ。ギルにも見習って欲しいもんさ」
「わたしみたいなのはダメですよ。それにギルは大器晩成型ですから長い目で見守るべきでしょう」
「シキ? アンタ、ギルの嫁に来ないかい? なぁんてね、ハハっ」
「エ〜。光栄デスゥ〜」
「ホント……何だろうねこの子は……」
ギルバートがどうのと言うのではなく、結婚相手は厳選させていただく。結婚というシステムに乗るかどうかもまだ決めてないけど、まずは今世を生きる上での大目標が必要だろう。
ヒラリーに礼を言って、ギルバートは無視してお庭へGO。目指すは庭のどこかに居る赤毛の熊みたいなオッサンだ。
「おじさーん! お〜じ〜さーん!」
庭師のカリギュラは元傭兵。膝を痛めて一線を退き、その時の雇い主だったクソ野郎に拾われた。
本人はその事に恩義を感じているんだけども、庭師のついでに別邸の警備も丸投げされている事実に気付いてない。
まともに戦える暇な人材は貴重。元傭兵を使用人にしてしまえば衣食住の世話と僅かばかりの給金だけで済むのだから、クソ野郎としてはお買い得だったろう。
広い庭を門扉の方へ歩いていくと、遠くに渦巻く旋風が見えた。『ウインドカッター』という魔法を使った庭木の剪定だ。
「おじさん」
「んお? なんだシキか。どした? 迷子か?」
庭木を丸っこく整える作業の区切りを見計らって声を掛けると、赤毛のヒゲ面がこっちを振り向きニカっと笑う。
「いくら広くたって屋敷の屋根が見えるし、迷子になんかなるわけないよ」
「ギルは迷子んなったぞ? アイツ大丈夫か?」
ノーコメント。
笑顔だけ切り取って見ればギルバートと似ていなくもない。
アイツも将来こんな感じになるの? 全然イメージできないけど?
カリギュラはわたしの味方だ。たぶんだけど、パメラに思うところがあって、娘のわたしを通じて助けになろうとしている。その内心がカルラの友情にも表れていると考えていい。
「ホント、お母さんってモテるよね……」
「あ? パメラになんかあったんか?」
「こっちの話だから気にしないで」
もちろん誰にでも軽々しく口にできないけどさ。ヒラリーに知られたら、敵に回りかねないから。
「おじさんの武勇伝が聞きたい」
「なんじゃい? 藪から棒に」
ヘビースモーカーのカリギュラには葉巻が欠かせない。
「これから一服でしょ? わたしに語りながら気持ちよく吸えばいいよ」
喫煙には食欲を減退させる効果があるからジャンジャン吸って。そして、わたしにお弁当を分けて。
「……パメラは何を教えてんだ?」
酒や煙草などの嗜好品は近くの街に行けば買えるし、別邸に物資や食糧を納品する行商人からも買えるのだけど、少ない給金を自分のために浪費する使用人は数えるほどしかいない。
カリギュラが高価な葉巻を買えるのも現役時代の蓄えがタンマリあるからで、つまり傭兵稼業は儲かるということ。何でも聞いておいて損は無いし、ポーションの情報を仕入れる相手としてうってつけだ。
「その膝は? どうしたの?」
「これか?
空の酒樽にドッカリ腰を下ろし、指先に灯した『ファイア』で葉巻に火を付けたカリギュラは武勇伝モードに入ってくれた。
「思えば、もう10年も経つんか……時の流れが早い」
「おじさんだからね。そんなもんじゃない?」
「…………」
武勇伝の舞台は10年前に起こった妖精族の大侵攻。北の樹海を挟んでさらに北には妖精族の領域があって、妖月が100年に1度の規模で落涙すると同時に攻めてきた。
東西一直線に並ぶ5つの月は東から順に中・小・大・小・中――それぞれの月には名前があり、獣月、妖月、人月、竜月、魔月と呼ばれていて、真ん中の人月は一際大きくて目立つ。
「ところでさ、なんで月に雲があるの?」
「あ? なんでって?」
「海もあるみたい」
「中央大陸西岸の既知の海と同じ色だから、たぶんそうだろうな……ん? おい? 海が青いなんて教えたっけか?」
「青く見えるのはレイリー散乱で……ごめん脱線した。武勇伝、続けて?」
「…………」
モンスターは月から零れ落ちる涙のようにムンドゥスへ襲来するとのことで、だから人類はこの天災を落涙と呼んで基本的に恐れているのだが、出身月によってモンスターの生態は異なるらしい。
妖精族は侵攻の時期を妖月の落涙と合わせることでモンスターを人族との戦争に利用した。この戦略には複数の種族から批難が相次いだとか。
「前にも教えてやったとおり、妖月のモンスターは妖精族に手を出さんからな。地続きの土地を掠め取るには絶好の機会っちゅうわけだ」
「戦争なんてバカのやることだからね。卑怯で当たり前だよ」
「…………」
妖精族は魔攻と魔防に長けた種族。生半可な魔法防御では貫通されてしまうため、平野での衝突を極力避けるというのが人族会議で決めていた基本的な防衛戦術だった。
北部国境を樹海外縁に接しているこの王国もそれに倣い、北方を治める領主貴族は前線を押し出して陣地を築く。
我らがクソ野郎の治めるキョアン領もそうした辺境の一部なのだけど、妖精族の大魔法を恐れたことで戦力が分散し過ぎてしまい、アチコチで防衛線が破られる事態となった。
「人族の強みは数だかんな。集の力が無きゃあ5種族で最弱なんだよ」
人族、獣族、妖精族、竜族、魔族の5種族。亜人族はいずれかの種族の血が混ざったハグレ者の寄合所帯だ。
「でも集まってたら一網打尽なんでしょ? 詰んでない?」
「ホント、お前さんは難しい言葉知ってんなぁ。そこは知恵と工夫と、最後は運に賭けんだよ」
キョアン領ではマジシャン・ヤークトを敢行した。少人数の精鋭部隊が奇襲を仕掛けて敵方の強い魔法使いを潰して回るのだが、口で言うほど簡単なことじゃない。
物攻と物防が極端に弱い妖精族は距離を詰められることを嫌う。もし見つかれば大魔法による面攻撃でまとめて消し炭だ。
「奴らはな、寿命が長くて数が少ない。年季の入ったヤツの魔法ほどヤバいが、長生きした分だけのんびりしてんだ」
前線に出てくる若手は四方八方から囲めば何とかなる。危険なのは安全な後方から強力な魔法を連発してくる年寄りだが、極度に年寄りなので危機感が足らない。人族の中でも精鋭が命懸けで突っ込んでくるとは想像もしていなかったらしい。
「まず最初に命懸けるのは傭兵なんでしょ?」
「お貴族様の領軍に任せられっかよ。どっちにしろ成功しなきゃ諸共だしな」
「スゴイ。カッコイイ。ツヨイツヨイ」
「へへ……だろぉ? まぁ、ジジイを潰してもガキにやられてちゃ世話ねぇや」
何人かの魔法使いを始末して陣地に戻る途中、流れてきた矢を膝に受けたカリギュラだが、当たりどころが悪かったらしい。
この流れはチャンス。聞くなら今しかない。
戦場でHPを削られたらどうするの? ポーション? それは何色かな?
「死にそうになった?」
「兵士としては死んだも同然だな」
その矢傷はカリギュラの最大HPを半分にした。
「へ? 最大値が減ったの? 回復は?」
「普通の傷なら回復魔法で治るぜ? MPの消耗が激しいから使いどころは選ぶがな。スクロールも滅多にお目に掛かれねぇし、使い手は希少だ」
ただし、回復魔法で治らないような手傷を負った場合、ステータスはその結果を最大HPの減少という形で明示する。
「当たり前だけどよ――」
最大値以上には回復しないため、回復魔法を使う意味が無いということらしい。
HPは過回復しないの? 減る一方? 1番大事なパラメーターじゃん。神様に聞いとくんだったぁ〜。
「わかりやすいのは欠損だな。斬られた指や消し飛んだ腕は生えてこねぇ。オレの膝はその類いの深手ってこった」
厳しい戦場ではそうやって兵士の最大HPがじわじわと減ってゆく。戦後の養生を経ても一度減った最大値が元に戻ることは滅多に無い。
「年少兵は別だぜ? ステの伸び盛りって意味で」
「……お薬とか無いの?」
「クスリ? 街で薬師のババアが調合してんだろ」
「ああいうのじゃなくてさ。HPとかMPが回復するような薬があれば便利かなって」
「あー、ポーションのことか?」
「あるの!? ポーション!」
「並の傭兵には一生縁の無ぇもんだ」
主に王侯貴族が戦場へ出る際に持ち歩くもので、場合によってはお抱えの回復魔法使いに持たせる。イザという時の保険だ。
「回復魔法のスクロールほどじゃねぇが……クソ高ぇからよ」
ポーションには下級・中級・上級とあって、それぞれMPが1000、5000、10000回復する。
最大MPが大きい回復魔法使いはポーションをガブガブ飲んでMPを保たせながら、自分や主人のHPを回復するのだとか。
「中級ポーションなんて俺らにゃあ猛毒と同じだ。試そうとも思わん」
「へぇ〜……そうなんだ? なんで?」
「なんでって……最大MP超えたらHPに大ダメージだぞ? そんなの本末転……あーと、バカだろ?」
「大丈夫。本末転倒だよね」
「…………」
普通の平民の最大MPは1500前後とのことで、メイドが使うような生活魔法であればそれで十分に賄える。
中級ポーションを使うのは王族や極一部の貴族だけ。上級ともなれば使える人族はほとんど居ないのだそうだ。
やっべぇ〜。ギリギリで耐えたわたしはラッキーだったってこと。『幸運LV1』も生えるわけだよ。
ちなみにHPを回復できるポーションなんか無いらしい。
「ねぇ、おじさん? 回復魔法ってお腹も膨れるの?」
「気にしたことは無ぇが……飯食った方が安上がりなのは確かだ」
「……だよね」
「弁当……食うか?」
「おじさん大好き〜!」
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暦:魔幻4016/9/16 昼
種族:人族 個体名:シキ・キョアン
ステータス
HP:35/85
MP:1010/1010
物理攻撃能力:27
物理防御能力:32
魔法攻撃能力:1010
魔法防御能力:1009
敏捷速度能力:59
スキル
『忍耐LV6』『話術LV5』『幸運LV1』
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あっ。話術のレベルが1つ上がってる。やったね。
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