第3話 幹部就任後の初仕事 二
この世界は魔王領と人間領に分けられる。
世界の8割が人間領で、残りが魔王領だ。
魔王領は主に魔物が拠点にしているエリアではあるが、人間領との明確な線引きはない。
しかし、遥か昔に放たれた魔王の瘴気が今も強く残っており、普通の人間では近づくことすらできなくなっている。
だが、それも時間と共に薄れ、人間は徐々に魔王領に攻め込んでいた。そのせいで、魔王が討ち取られた頃はだいたい半々だった境界も、今ではそこまで狭められている。
忌々しい限りだ。
魔王領は北の果てに追いやられ、多くが極寒の地帯となっている。
魔物にとって気候など何の影響もないが、人間とってはかなりの問題らしい。ここ数年の侵攻が鈍いのは、そういった要因もあるのだろう。
逆を言えば、人間たちは自分たちにとって劣悪な環境を魔物に押し付けて、ぬくぬくと生きているというわけだ。
「ねぇ、まずは何処に行くの?」
「あなたは本当に何も考えていないのね」
魔王領から人間領に入った辺りで、ピシスは能天気に飛び回りながら、そう尋ねてきた。
ココも呆れた様子だ。
「何の手がかりもない状況で判断できるはずないでしょ。あなたも何か考えなさい」
「えー?」
ピシスが不満げにブウブウと言う。
「帰るわよ?」
「わ、わかったよ。えーっと」
ピシスはココに睨まれしばらく唸っていた。
しかし、特に何も案が浮かばないのか、そのまま意味のある言葉を発することはなかった。
「はぁ。もういいわ。せめて、勇者や聖女の情報は知ってるのよね?」
「そ、それはもちろん。勇者と聖女は魔王を倒した人間でしょ? その血を色濃く受け継いだ奴をあたしらは探してる」
「ええ、そうね。特徴は?」
ココがさらに詰める。
「えーっと、勇者が男で、聖女が女で、強い」
「はぁ。違うわ。聖女が女なのはそうだけど、勇者が男とは限らない」
「え? そうなの?」
ピシスが驚いた様子でピョコンと跳ねる。
「今までにも、女の勇者がいたことはあるわ。それに強いのは確かだけど、魔物に絶対的に優位な相性を持っていると言う方が正しいわ」
流石にココは博識だ。幹部である俺と同じだけの知識をもっている。
「へー。そうなんだ」
「あと1番重要なのは、当代の勇者や聖女には刻印が発現するのよ」
ビクッと思わず右手が揺れた。
2人には気付かれなかったようだが。
「刻印?」
「どんなものかは知らないけど、身体の何処かで光っているらしいわ。それが1番わかりやすい目印ね」
「なるほどー」
ピシスは頷くように上下に揺れた。
「じゃあ、身体の何処かが光ってる人間を探せばいいんだね?」
「まあ、そうだけど」
ピシスは楽しげに揺れながら飛び回る。
「よーし。光ってる人間を探すぞ。……で、何処に行くの?」
「はぁ」
話が戻ってきたな。まあ、情報の整理ができただけ良しとするか。
「とりあえず、東に向かう」
「どうして?」
「東は比較的に、魔物に対しての危機感が低いからな」
「ん?」
ピシスはよくわからないという声を漏らす。
「あなた、教会は知ってる」
「あー、知ってるよ。あそこ、気持ち悪いよね」
教会は人間たちが神を信仰する場所だ。そして、初代の聖女を奉っており聖なる力が宿っていると言われている。
「教会のある町は魔物の侵入に鋭い。人間に擬態していても、すぐにバレる可能性がある」
「あー、確かに。気持ち悪いし、姿を保つのは難しいよね」
「だから、そういったものがない小さな街に行くしかない」
東は神を信じる心が薄いと言われている。
その分、武力は凄まじいようで、他の地区よりも兵器が発達しているエリアでもある。勇者や聖女に頼る必要がないだけの武力を持っているという自信の表れかもしれない。
真っ向勝負に行くなら避けたいエリアだが、情報を集めるための潜入捜査ということなら、うってつけだ。めぼしい情報が得られるかというと微妙ではあるが。
「おお、それっぽい! よし、そこに行こう」
だが、ピシスを納得させるためには十分なエサだろう。案の定、簡単に食いついた。
ココも俺の意図を察しているようで、苦笑いで肩を竦めている。
「東に行くなら関所を通る。今のうちに人間に擬態しておくぞ」
「ええ、わかったわ」
「りょうかーい」
そして俺たちは人間へと擬態する。
俺の姿はほとんど変わらない。牙や爪を抑えて瞳の色を黒くする。それだけで十分。
ココも上半身は変わらない。下半身を人間の女のように2本の足に変えるだけ。少し肌の色が白すぎるが、このくらいなら人間にもいるだろう。
そして、ピシスは1番様変わりする。元々は黒い光だけだから当たり前なんだが。
ピシスは人間の女の子のような姿をしている。人間で言えば、おそらく幼女と呼ばれるくらいだろうか。
「この姿で動くのは久しぶりだね」
「そうね。やっぱり違和感があるわ」
「あたしもー」
2人は二足歩行に慣れていないからな。
だが、人間に擬態する関係上、これには慣れなければならない。
それもあって早めに人間に擬態したわけだが、そうすると別の問題が発生する場合もある。
「お! こんな所に、えらい別嬪さんがいるじゃねぇか」
少し前から気配は知っていた。哀れな人間の団体だ。10人くらいの男共。男たちはココやピシスに欲情したような視線を向けている。
ある程度の実力がある者なら、俺たちに近寄るべきじゃないと気付けるはずなんだが。まあ、見た目の通り下等な人種のようだな。
人間の美的感覚はわからないが、2人が人間に擬態すると大抵の場合こんな風に絡まれる。恐らく人間には2人が美しく見えているのだろう。
「なぁ、そんな優男なんて捨てて、俺たちと一緒に遊ばないか? 楽しませてやるぜぇ?」
「へへ、こっちのちびっこいのも悪くねぇな。もう少ししたら、高く売れるぜ」
ジリジリと下品な顔で近寄ってくる。
本当に下等な連中だ。こんなに不用意に近づいてくるなんてな。
「アインツ。消しても?」
「いや、まだ騒ぎにはしたくない。一応、手加減してやれ」
「おいおい、内緒話か? 妬けるじゃねぇか」
男の1人がココに触れようとした。
その瞬間。
「触るな、下衆が」
「ぐふっ!」
ココは男を蹴飛ばした。かなり手加減はしたようだが、男は後ろの木に背中を打ち付けて伸びてしまった。まあ、死んではいないようだ。
「あ? てめぇ」
「あらよー!」
「ぐはっ!」
次に動いたのはピシスだった。ピシスは目の前の男の顎を蹴り上げてそのまま一回転する。そして、スタッと華麗に着地をして、ピースとポーズをとった。
「こ、の、ふざけやがって!」
男たちも流石に怒ったのか、全員で一斉に襲いかかってきた。まあ、1人だろうが全員だろうが大差ないけどな。
男たちはココやピシスに触れることすらできずに倒されていく。ちなみに、頭に血が上っていて気付いていないのか、俺の方に向かってくる奴はいなかった。
そうしてものの数分で、男たちは全員打ちのめされていた。
「ちょうどよかった。今ので、2本の足にも慣れてきたわ」
「あたしもー」
魔法を使わなくても、普通の人間程度ならこんなものだ。10や20人くらいなら、物の数にならない。
「ん?」
その時、ふと茂みの方で気配がした。
見ると、何者かが隠れている。いや、必死に隠れようとしてはいるが、気配はまったく消せていない。
「おい。気付いているぞ」
「っ! あ」
俺の声に、その人物は驚いたように茂みから倒れ込んできた。ココやピシスも存在には気付いていたようで、特に驚くことなくそちらを見る。
「人間の女、ね。こいつらの仲間かしら?」
「うーん。そんな雰囲気でもないけどね。縛られてるし」
そう。現れたのは人間の女だった。しかも、両手両足を縛られて自由を奪われている。少し離れた所には馬車があり、どうやら女はそこに乗せられていたようだ。
単純に考えるなら、この男共に拐われたというところだろう。人間の美醜はよくわからないが、ココやピシスの容姿と比較をすれば、それなりに綺麗に整っているということがわかる。
その女の見た目は、ココより幼くピシスよりは大人だ。金色の髪は薄汚れていて、服は教会で働くシスターのような服を着ている。
怯えたように瞳を揺らし、さっきの男たちと俺たちの間で視線をさ迷わせていた。
「あ、その、わ、私、は……」
言葉が上手く紡げないのだろう。しかし、俺たちに向けている感情は、期待と不安、それが入り交じったようなものに見えた。
「アインツ。どうするの?」
ココが小声で尋ねてくる。
さっきまでの光景を見られているのなら、始末した方がいいだろう。しかし、教会に繋がりのある人物が命を落とせば、人間側で警戒が強くなる可能性がある。
潜入捜査をしている俺たちとしては、そういった無闇な波風は立たせたくない。
となると。
「大丈夫か?」
「あ、は、はい」
俺はその女の拘束を解いて手を差しのべた。女は驚いたように目を見開いた後、手を取り立ち上がる。
「偶然とはいえ、助けられてよかった。怪我はないか?」
「は、はい。だ、大丈夫、です」
どうやら話は通じるようだ。
「どうしてこんなところに?」
「か、彼らに誘拐されて。私を使って、教会を脅迫しようとしたのかもしれません」
「なるほどな」
教会は聖女と縁のある施設である。
そのため、世界における教会の支配力はかなり高く、国の中枢に教会の意志が入るのも珍しいことではない。
当然、教会に住まう人間の生活も充実しており、それを理由に貧困な人間たちが僻むのは当然のことだろう。
まあ、あの男共はそれだけが理由には見えなかったがな。
「そうだったのか。なんにしてもよかった。ここであったのも何かの縁だ。よかったら、目的の場所まで連れていってやろう」
「「え!」」
ココやピシスまで驚いている。
当然だ。さっきピシスに説明したように、教会のある街は魔物の侵入に鋭い。すぐにバレる可能性も高い。
それが急に教会のシスターに同行すると言ったのだ。
困惑するのは仕方ないだろう。
しかし、俺に良い考えがあった。
「そ、それは嬉しいですが、皆様のお手を煩わせるのは……」
「1人で安全に行けるのか?」
「うっ。それは」
無理なはずだ。
見たところ、この女は魔法が使えそうにない。教会のシスターで魔法が使えないというのはかなり珍しいが、この女からは魔力を感じることができない。
加えて、こんな男共に誘拐されるような奴だ。腕っぷしが強いということもないだろう。そんな女が1人でいれば、野生の動物ですら危うい。
そんなことは本人が1番よくわかっているだろう。その証拠に、女は困った表情をしながらも、断ろうとはしなかった。
「ちょっと、アインツ。どういうこと?」
女が悩んでいる隙にココが耳元で囁く。少し怒気が込められているのは、俺の行動が理解できないからだろうな。
「あたしたちは勇者と聖女を探してるんだよ? 寄り道してる暇はないの」
ピシスまで突っかかってくる。ピシスについては、面倒臭いことはしたくないのだろう。
「シスターの話を聞く機会はそうそうない。教会に近寄らずに情報を集めるのに、ここまで都合の良いことはないだろう」
「それは、そうかもしれないけど」
「あ、なるほどー!」
勇者の情報はともかく、聖女の情報を集めるには教会を探るのが1番手っ取り早い。だが常識的に考えて、何の準備もなく教会に踏み込むのは自殺行為だ。
しかし、俺たちの目の前には教会に務めるシスターがいる。この女から情報を引き出すのは、教会に潜入するよりも遥かに安全だ。
情報を手に入れたら、適当な理由をつけてすぐに別れればいい。それだけだ。
この機会を逃す手はない。
「でも、私たちの正体がバレたら」
「その時は始末すれば良い。だが、ここでバレるようなら、どちらにしても潜入は失敗だ」
あんな男共に誘拐されるようなシスターに、俺たちの擬態がバレるなら、どちらにしても潜入は上手くいかなかっただろう。
「……わかったわ。アインツの判断を信じる」
「あたしもー」
まだ完全には納得してなさそうだが、ココは引き下がってくれた。
ピシスは深く考えてなさそうだ。
俺たちの話がまとまったところで、ちょうど女の方も考えがまとまったようだった。
「わかりました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
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