第2話 幹部就任後の初仕事
「ねぇー、アインツ、暇! 暇! ひまー!」
幹部になったからといって、実はそこまで仕事は変わらない。
というより現在の新生魔王軍は、魔王軍と名乗ってはいるものの、特に人間と戦争をしているわけでもない。
局地的な領土の奪い合いはあっても小競り合い程度。戦争をしている時ほどの激しい動きはなかった。
そのため仕事としては地味な事務仕事が多いのは事実だ。
「うるさいわよ、ピシス」
書類を整理しながらココがピシャリと言う。
「でも、せっかく幹部の部隊になったのに何も変わらないなんて、暇すぎるよー!」
荒っぽいことはしたくないと言っている癖に地味な仕事は嫌いなんだよな、ピシスは。
俺たちの目下の任務は、人間たちに対抗するための戦力の増強と情報の収集。あとは部隊の錬成という名の平常運転だ。
いつもと変わらないと言えばその通り。
それで悪いことはないはずだ。グエンなんかは訓練が好きだから、文句も言わずに部下たちを鍛練している。
「なんか、幹部っぽい仕事ないの?」
「幹部っぽい仕事、か」
あると言えば、ある。
幹部になる前の俺たちではできない仕事。一介の魔物では好き勝手に動けないような任務。魔王軍においての最重要任務だ。幹部になった者だけが動ける権利を持つ。
それは、勇者や聖女の力を受け継ぐ者、つまり当代の勇者、聖女の発見、もしくは排除だ。これは幹部になった者に与えられた任務であり、魔王軍の最終目標でもある。
その点で言えば、そのうちの半分はすでに判明しているわけだ。
何を隠そう、当代の勇者は俺だ。俺を魔王軍に差し出せば、歴史上でも類を見ない最大級の功績となることだろう。
まあ、そうなったら俺は死ぬだろうけど。
いや、全力で隠してはいるが。
唯一、アブルナに知られてはいるが、今のところそれをばらすつもりはないらしい。
俺も自分で自分を告発する気はない。俺は勇者ではなく、魔王軍の一員として魔物のために戦うと決めている。こんな刻印が発現したからといって、変わることはない。
しかしそうなると、勇者の方の発見は諦めざるを得ない。できるのは聖女の発見、もしくは排除の方だけだろう。
だが、そんな中途半端なことをしようとすれば怪しまれるに違いない。
とはいえ、これを隠しておくのも後々怪しまれる可能性が高いと考えると、取れる選択肢は少なかった。
「当代の勇者や聖女の発見か排除、とかか?」
「おぉ! それは面白そうだね!」
結局、俺はそれを言うしかない。
「確かにそれは、幹部にだけ与えられた崇高な任務よ。アインツにぴったりだわ」
ココは自分のことのように自慢げに言う。
やはりココは知ってたんだな。そうなると、あそこで知らないと言うとココに怪しまれていただろう。危ないところだった。
「む? 勇者の討伐か? 我にかかれば造作もないがな」
そんな話をしていると、ちょうど訓練を終えたらしいグエンがやってきた。
「あなたに勇者が倒せるわけないでしょ。聖女だって無理よ」
「なんだと? 我が人間の女なんぞに負けると言うのか?」
「聖女は瘴気を払う力を持ってるって聞いたことないの? あなたみたいな腕力馬鹿じゃ、近づくとすらできないわ」
グエンとココが睨み合う。
いがみ合うのはいつものことだ。
それに、グエンは真っ正面からの真剣勝負ならば比類ない実力をもっている。だが、搦め手になると滅法弱い。
むしろ聖女の方が相性は悪いだろうな。
どちらにしても、馬鹿正直に正面から戦うことはしないが。
「そんなことより探しにいこうよ! ここで字ばっか見てるのも飽きたのー!」
ピシスが縦横無尽に飛び回りながら叫ぶ。
「1人で行きなさい。アインツからの命令だと言えば、まかり通るわ」
「あたし1人じゃ無理に気まってんじゃん。せめてココかアインツはついてきてよ!」
「おい、我は!」
グエンが声を荒げる。しかし、ピシスはグエンの目の前で止まり、冷めた声を出した。
「だって、あんたすぐに人間にバレるじゃん」
「ぐうっ」
グエンは苦しそうな声を漏らす。
そういえば、グエンは人間に化けるのが苦手なのだ。まったくできないことはないが、明らかに不自然な姿になる。しかも、安定しない。
勇者や聖女の捜索となると、秘密裏に行う必要があるだろう。そのため、人間にバレないように擬態する必要があるのだが、グエンには荷が重いのは確かだ。
さっきのココとの言い争いでは声を荒げていたグエンだったが、ピシスの指摘にはぐうの音も出ないようだ。
「ね? 行こうよ?」
「行かないわ。それ以外の仕事はまだまだあるのよ。手がかりがあるなら話は別だけど」
ココの言う通りだな。
これはノリや気分でやる任務ではない。計画的かつ効率的に動かなければならない任務だ。
「もー! 行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう」
「うるさい!」
ココがピシスを捕まえようと尾を向ける。
が、それは空を切るだけ。
本気で逃げるピシスを捕まえるのは至難の技だ。誰もできたことがない。そもそも触れることができるのかもわからない。少なくとも今までピシスにこちらから触れたことはなかった。
あっちが触れてくることはあるが。
「ひまー! ひまー!」
「ああ、うるさーい!」
こうなるとピシスは止まらないな。
このまま飽きるまで放置するのも手だが。
「はあ、わかった。行こう」
「え? アインツ?」
「わはー! 流石アインツ、話わかるぅ!」
このままピシスが騒いでいたら、どうせ大した仕事はできない。それなら俺がピシスを連れ出せば、少なくとも他の奴らの仕事はできるだろう。
俺の仕事は、まあ、他の奴らに比べれば大した量ではないからな。
「それなら早速行こうよ。期間はそうだなぁ、1ヶ月くらいとか?」
「まあ、とりあえずはそのくらいでいいだろ」
何の手がかりもなく動くのなら、それでも長い気はするが、ピシスの欲求を満たすためにはそのくらいは必要だろうな。
「やった。やったー。久しぶりのデートだぁ」
「なっ!」
「任務だぞ。遊びに行くんじゃない」
ピシスは遊びに行けると勘違いしてるようだ。
まあ、事務仕事よりは身体を動かす分、良いのかもしれないが。
特に準備の必要はない。人間のように食事はしなくても問題ないし、睡眠も不要だ。金についても何とでもなる。行くと決まれば、さっさと出発した方が合理的。
まったくもって乗り気はしないが。
「まったく、仕方ない。悪いが出掛けてくる。後は頼んだ」
「ちょっ、ちょっと待って!」
「ん? どうした? ココ」
俺の腕を掴んだのはココの尾だった。ココは俺が前に進むのを止めるように、全力で後ろに引っ張ってくる。
「どうしたんだ? ココ」
「……しも、……く」
「は?」
声が小さくて聞きとれなかった。
聞き返すように近づくと、睨むように鋭い視線が向けられる。そして、今度ははっきりとした声が聞こえてきた。
「私も行く」
「は? いやお前、仕事は?」
俺が何のためにピシスのわがままに付き合おうとしたのか。
「そんなの全部、グエンにさせればいいのよ」
「は? おいっ!」
グエンはとばっちりに狼狽えた。
「あなたはいつも書類仕事はこっちに投げてばかりだし、たまには仕事しなさい」
「ぐうっ」
グエンはさっきから、ぐうっ、しか言えていない。だが、絶妙に言い返せないのは普段の行いゆえだろう。
「いやそれより、どうせ行くなら、ピシスと2人で行けばいいだろう」
俺と部隊の主力である2人で、計3人が一斉に部隊を離れるなんて。
「アインツが行かないなら、行かない」
どうしてこうなった。
ピシスのわがままを聞くだけのつもりが、ココまでわがままを言い出すなんて。
ココとピシスは睨み合うように対峙している。いや、ピシスについては睨んでるのかわからないが。こいつに目があるのかも疑問だ。
いや、どうでもいいか。
「はぁ。わかったよ。グエン、後は頼んだ」
「は? わ、我が1人で、これを?」
「頼んだわ」
「たのんだー!」
俺とココ、そしてピシスの書類がグエンの前に置かれる。俺やココよりもかなり大きなグエンだが、今は書類で姿が見えなくなっている。
心なしか声が弱々しいようにも聞こえるが、姿が見えないので判断できないな。
「なるべく早めに帰るようにする」
「く、くっそぉ!」
部屋を出て行っても、グエンの悲痛な叫びが聞こえてきた。
「シャーリー」
「はい、ここに」
部屋を出てすぐの所で呼び掛ける。すると、まるで初めからそこにいたかのように1人の魔物が姿を現した。
ココに似た魔物。
というより、ココの妹だ。
俺たちの事務補佐をしている。
「グエンが逃げないように見張っててくれ」
「かしこまりました。アインツ様」
帰ってきた時にあの書類がまったく片付いていない、というのは流石にきついからな。
「お帰りをお待ちしております」
「あ、ああ」
シャーリーは俺の手を掴んで胸に寄せる。
それをココが払い落とし、俺とシャーリーの間に割り込んできた。
そんなココに、シャーリーは不機嫌そうに眉を寄せてニコリと作り笑いを浮かべる。
「お姉さまは、帰ってこなくてもいいですよ」
「あなたこそ、私が帰ってきた時には、消えていてもいいのよ?」
バチバチと火花を散らして睨み合う。
この姉妹、仲が悪いわけじゃないと思うんだが、よく喧嘩してるんだよな。
特に、ココがこの部隊の主力になるかどうかという話があった時は、本気で殺しあいをしたほどだ。
結局はココが部隊の主力、シャーリーが補佐官という形で落ち着いたのだが。止めなければ、どちらかが死んでいただろう。
……やっぱり仲が悪いのかもしれない。
「ちょっとー、あたしもいるんだけど?」
「行ってらー」
「むっかー!」
ピシスはビシビシとぶつかってくる。
俺に。
こういう時は触れられるんだよな。
「やめろ。八つ当たりするな」
「あんたの部下でしょうが」
「お前の部下でもあるはずなんだがな」
前途多難だか、こうして予期せず幹部としては初めての任務を始めることになったのだった。
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