3.3 温度を持った空虚


「ねぇ、階段のとこの扉の前で女の子倒れてんだけど、アンタの連れ?」


 腕から管を伸ばして、ベッドで横になっているイヅモに対し、金髪の女医(自称)は怪訝そうな表情で尋ねる。



「連れかと聞かれたら違ぇな。私が医局ここに来るのに、勝手について来ただけだ」


「それを連れっていうのよ」




 呆れたと大きな溜息を吐きだしながら、豪は脇に抱えていたカルテにイヅモの容態を記入していく。


 真っ白な天井を眺めるイヅモ。視界の端の管には赤黒い血が通っている。

 採血は別に苦手ではないが、血が身体の外に溢れる様は、大事なモノが奪われてしまっているような感触がするから、あまり好きじゃない。



 あと地下ここだと、勝手にゲノム培養されてクローンとか生み出されそうだし。あの大魔女クソまじょならやりかねない



「っと、はいこれCT。状態は自分で分かるでしょ? 勝手に見といて」



 心底面倒くさそうに、先に撮ったCTの現像を渡す豪。不機嫌、というよりいつもよりぶっきらぼうの部分が強く出てる感じだ。



「なに豪さんピリピリしてんの。彼氏にでもフラれた?」



 CTを診ている間の話のタネにになるかなと。身体を起こしてベッドのふちに腰を掛けたイヅモは、興味本位で荒れてる獅子に聞いてみる。



 別に他人がどういう気分であるかなんて、それこそ心底どうでもいいのだけれど。



「彼氏にフラれたからじゃないわよ! 彼氏が見つかんないから気が立ってるのよ!」



 満たされない現実を殴打するみたいに、豪は叫びをあげて持っていたボールペンをへし折る。そうやって細かくバラバラに散った残骸を、気性の荒れている女医(自称)は、先住民の土地を侵略するみたいに踏み散らかすと、クッションのはみ出ている回転椅子に、勢いよく腰を下ろした。



 ギシギシと悲鳴を上げる椅子は、背もたれが折れそうになっているのを必死になって耐えている。

 肩で息をする豪はそんなことお構いなしに、体重を支える役目を瀕死の椅子に任せていた。



「この地下で彼氏見つけるってほうが、そもそも無理な話でしょ。しかも豪さんの言うところのイイオトコって、若くて派手でナンパで中身ペラペラで借金してもトベばいいと思ってるクズ人間でしょ?」



「違うわよ! まだ世間の厳しさも知らない青い子が好きなの! 人としてまだ厚みのなくて、自分の不甲斐なさを遊びと酒で忘れて、一人になった途端、ベッドで名称し難い孤独感と焦燥感に襲われて泣き出しちゃうような子が好きなの!」



「なんだその甲斐性無し。早く山に捨てろ」



「なんで捨てんのよ! アタシが海になって溺れるほど愛するんだから寄越しなさい!」



 地下の人間は大魔女筆頭に変な奴が多いけど、やっぱりこの人が群を抜いて変わってんな。見た目もそうだけど、そんな明らかなクズを好きになる理由が分からない。私だったらイイオトコそんなやつぶっ殺しかねないぞ。いや、確実に殺してるな、うん。



「あと、どさくさに紛れてまた豪さんて呼んだでしょ! いい加減にしないと凝血剤注射して梗塞起こすわよ!」



 もう! と頭を掻きながら、豪はデスクのパソコンにカルテの内容を打ち込んでいく。

 漏れだす不快のオーラを感じながら、イヅモは渡された二枚のCTに眼を通す。



 骨は問題なく繋がっており、骨折については完治と言って問題ない。噛み傷も全て塞がっている。数日動かせなかった分、早く治った右腕と比べると筋力が衰えている感じがするが、この程度ならリハビリですぐに戻せる。



 懸念だった後遺症も、今回は残らずに済みそうだ。噛みどころが良かったのか、神経系も綺麗に避けられている。



 今日は午後の講座はない。終わったら加々宮の部屋でも借りて、左腕のリハビリするか。



 枕元にCT画像を置いて、イヅモは再び横になって目を閉じる。しばらくしてスタンドに吊るされたパックに血が貯まると、さらに目つきが悪くなった金髪の女医は、素早く針を抜き取って丁寧に消毒を済ませる。



 パックに蓋を閉め日付と個人名を記入すると、壁の埋め込み式のボックスに乱暴に投げ込んで、検体の納品を終わらせた。



「これが地上だったら、とっとと仕事終わらせてオトコ探しに行けるのにねぇ」



 どうやら、今日はそればかりに気を取られているようだ。これ以上絡まれる前に、とっとと逃げよう。

 スルリとベッドを抜け出したイヅモは、そのまま何事もなかったかのように処置室の出口に近づき、引手に指を掛ける。



「っていうか、アンタはどうなのよ? 学堂にイイオトコとかいないわけ?」



 うわ、めんどくせぇ。あと少しで逃げ切れる場面だったのにと、イヅモは心の中で舌打ちする。

 さすがは餌に飢えた獣といったところか。本能が鋭くなって、獲物でなくても動くモノは全て逃さない。



 このまま聞こえなかったフリをして行ってしまおうとも思ったが、豪さんオカマはそういうのを後からずっとネチネチ言い続けてくるタイプだ。命が懸かってる日常で、頼みの綱から敵対されるのは得策じゃない。生きられるモノも殺されてしまう。



 せめて、背中越しだからまだよかったと思うことにしよう。

 これがもし向き合ってたら、今のこの露骨に嫌がってる顔を見られたら、即ブチギレ食らってるところだった。



「学堂に男がそもそもいないでしょうが」



「何言ってんの。加々宮君も他の指導員もいるでしょ?」



「いるけど、だから何?」



 イヅモは大きく首を傾げる。

 豪の言う通り、指導員はみな男だが、それが何だというのか。



「だーから、その中にタイプの男とかいないの!? 顔が良いとか! スタイルが良いとか! 優しいとか!」



「どいつもこいつも柔そうで覚えてない。加々宮さんは好みじゃない。身なり妖怪すぎるし」



「アンタ、結構シツレイなこともガンガン言うわね。嫌いじゃないけどやめときなさい。後々面倒に巻き込まれるわよ」



「へいへい。肝に銘じておきまーす」



「そういう所が可愛くないのよっ!」



 豪が文句を言い切る前に、イヅモは颯爽と処置室を後にする。

 扉の向こうから追加で罵声が聞こえる気もするが、”そういう気がするだけ”ということにしておこう。本人の言っていた通り、引き返したら確実に面倒に巻き込まれることになるだろうから。 



 人気ひとけのない廊下を進み、踊り場に繋がる鉄扉を押し開く。出た先には誰もおらず、無機質で冷たい見慣れた空間が広がっていた。



(さてと、それじゃあこのまま加々宮さんの所に行くか──)




「ベロベロベロベロバァァァァ!!!!」



 突如、死角から襲い掛かってきた巨大な人影。反射的に出たイヅモの裏拳は、驚かそうと飛びかかってきた入陽の顔面に見事にヒットする。


 確かな手ごたえを感じたイヅモは、そこにさらに腰の入った追撃を振るったが、拳の行く当ては座り込んで痛みに悶えていたため、空を切る音だけが踊り場に響いた。



 「──ッブっっ!! ちょっ!! いっッったすぎるんですけどぉイヅモちゃん!?」



 痛む鼻を両手で抑えながら、涙目の入陽は真っ当な文句を吐き出す。



「こう見えてワタシも乙女なんだよ!? 好きな人には最高に可愛いお顔で会いたいんだよ! そりゃ裏拳もボディタッチだから若干嬉しいけど、ここまで痛いと暴力カウントだよ!」



 自分でやっておいてなんだけど、純粋な暴力をボディタッチをボディタッチの範疇に考えらえるの、どう考えても可笑しいだろ。私はマゾヒストは好みじゃない。



「世の中には暴力で恋人を服従させる輩もいるらしいぞ



「人の愛の形は否定しないけど、その手の人達って相対的には悪い人じゃないかなぁ!? 同じ暴力ならワタシはお尻を──!」



「それ以上はいけませんよ入陽さん。レディたるもの、服装と同じくらい言葉は綺麗にしておかないとですよ」



 突如として現れた妖怪に、少女二人は揃って肩を跳ね上げる。



「いや加々宮アンタどっから湧いて出てきた!!」



 当然のように、口元に人指し指を添えて助言アドバイスする加々宮に、イヅモと入陽は瞬時に構えをとる。



「そんなに驚かないでくださいよ。さっきからずっといましたよ?」



 他人行儀の笑みを浮かべながら、非常に落ち着いた声で二人を宥める加々宮。その態度が、逆に当人の怪しさを増長させる。


 声をかけてくるまで全くわからなかった。足音もなく、気配もない。それこそ空気と同化していたと言っても過言じゃない。



(この人マジで、ホントに妖怪なんじゃねぇかこの人)

(加々宮先生って、透明人間かなにかなのかな。もしくは忍者で隠れ身の術が使えるとか・・・・・・)



「まあ、お二人の気持ちも分かりますが、それは後で」



 いや、ホントにまで読んでるんだったら確定なんだわ。と、喉まで出かかったモノをイヅモは急いで飲みこむ。


 入陽は構えを解くと、緊張を解くように厚みのある胸元に手を置いて、鈍くなって伝わる鼓動を落ち着かせるよう呼吸した。



「お二人に新しい業務指示が来ました。要人の護衛です。詳しく説明しますので、このまま七階したに降りましょう」



 2人の間を抜けて、階段を下っていく加々宮。顔を見合わせたイヅモと入陽は言われるがまま、その後ろを三段空けて付いて行った。



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