3.2 燃え方の異なる愛と罪

 ここ数日、濃度の高い日が続いたせいか。いつもの廊下も久しぶりに歩いているような気がしてしまう。



 午前の講座を終えたイヅモは、腕の経過観察を受けるため、食堂に向かう学徒達とすれ違いながら医務へ向かっていた。

 ギプスの巻いてある左腕は、傷を受けた当日と翌日は痛みがあったが、今はさっぱり消えて、左右の重心が釣り合わない煩わしさだけを残していた。



 右腕については既に元に戻りつつあり、昨日の時点で刀を振るうのに支障ないくらいには回復した。



 結構忘れがちだけど、この回復力は自分でも異常だと思う。回復力を上げる薬なんかは使ってないし、それに気を使った食品を選んで食べたりもしてない。



 いつも通りの生活をしていたら、ケガから二日目には骨が繋がって機能するようになっている。我ながら生命力の強い肉体だと、感嘆すると同時に気持ち悪いと思う。



 早すぎるっていうのも一つだけど。きっと死ぬように捨てられたはずの場所で、私だけ健康のままいた理由が、今もこの命を支えているような気がするから。



 扉を開けて、足音の響く階段を一段ずつ下っていく。薄暗い照明の中、今しがた通り過ぎた、学堂の様子を振り返る。



 この頃、目に見えて学徒の数が減っている。業務の数自体が増えているのは薄っすら感じていていたが、この様子だと帰ってきていない奴も結構いるだろう。

 ただ単に帰ってこられていないだけならいいのだけれど、行った先で命を落とした可能性は、そいつらが帰ってくるまで拭えない。



(もし業務に失敗していたら、今度は私が向かわせられるやもしれない......)





 だから、どうした。

 どんな業務だろうが、必要な奴を殺して、帰ってくればいいだけのこと。



 今までなら、そうやって。恐れもせず、慄きもせず、機械がその身に備わった機能を遂行するみたいに。

 淡白なんて薄幸の色もないくらい。白地のパレットも光も歪めない空虚のような感覚のまま、刀を振るえた。



 死んでいった奴らに無念だったなと少し思うだけで、殺し合うことに何も感じなかった。



 でも、どうしてか。どうしてか今は、業務に行きたくないという気持ちが、心の片隅に浮かんでくる。



 敵が誰であれ、殺せる自信はある。その為に鍛えてきた自負もある。

 だけど、今更になって。今更になって、それらの自信より、死にたくないという恐怖が強くなっている。




 生きて帰れないかもしれない。そんな不安が悶々と滞留している。




 何をいまさら。そうやって無様な自分を嘲笑してやりたい。

 してやりたいのに、笑えない。



 あと少しなんだ。あと少しで、繕と万を地上うえに送ってやれる。漸く、こんな冷たくて息苦しい鉄箱から出してやれる。




 やっと、あの子達を連れてきたしまった私の罪に、半分、罰を払える。




 私は嬉しいんだ。心の底から嬉しいはずなんだ。




 やっと、どこでも勝手にくたばっても、まだ死ねないと後悔せずに死ねるようになるんだ。

 そう願っていたはずだ。そうなることを望んでいたはずだ。



 なのに、ここにきて変な恐怖が私の背中にへばり付いてきた。肩に乗った罪と癒着して、筋肉に杭を埋め込んできた。



 ゴールの無い感情が言葉になって、思考という名の速度に乗って脳内を巡る。

 階段を下りる脚が知らぬ間に止まり、その場に膝を抱えて蹲る。



 ダメだ。今のままじゃ。罪人に立ち止まることは許されてない。

 お姉ちゃんに弟の幸せを奪っていい権利はない。

 何の為に生きてるか考えろ。

 何の為に死ななかったのか思い出せん。






 こんな面倒な感情、とっとと失せろ。失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ────





「──いいいいいいいいいいいっずもちゃぁぁぁぁぁぁぁぁんんんんんんんんn!!!」




 頭上から、何者かが勢いよく駆け下りてくる足音が響いてくる。声の主は、察するまでもない。

 そのニタニタ顔が視界に映った時には、崖を飛び越える猫と同じ態勢で手すりを飛び越えた入陽が、イヅモの腹に頭頂部から突っ込んでいた。




「講座が独りぼっちで寂しすぎたから会いに来たよ!! 大丈夫。今回は誰の力も借りずに来てるから!」




 イヅモの腹に顔面を擦りつけながら入陽は言う。愛玩動物的な行動だが、当のイヅモは、入陽に可愛らしさを感じていない。



 それから、誰の力も借りていないからというだけで、何が大丈夫なのかを説明して欲しい。私は自分のスケジュールを他人に話さない。

 他人で唯一知ってるのは、それらを管理してる加々宮だけだ。だから入陽おまえが私を自力で見つけてるのは結構ホラーなことだったりする。



 しかもお前、イヅモを見つける前に叫んでただろ。誰が居ても可笑しくはないのに、予想だけで確定させただろ。



「あー、やっぱり濃厚なイヅモちゃんの匂いって犯罪的だわ~。残り香辿ってるだけでも禁断症状でそうだったもん!!」



『もん!』じゃねぇよ。なに残り香嗅いでんだよ......

 まって残り香ってなに入陽おまえの鼻どうなってんださすがにキモ────




「イヅモちゃん、これから医局に行くんでしょ? 私も一緒に行っていい?」



 餌を強請ねだるように、丸々と潤んだ瞳でイヅモに問う入陽。顔を中心に血の気が引いているイヅモは、右腕でアイアンクローをお見舞する。



「痛い!! イヅモちゃん!! 目の前真っ暗!! そして痛い! めちゃ痛いって!」


「当たり前だろ。痛くしてんだから」


「まぁそうだよね~っとはならないよ! 凄い握力なんですが! 皮膚とか筋肉じゃなくて骨から音が聞こえてきてるよ!」




 両手を頭と同じ高さに上げてあたふたしている姿に、ひっくり返った昆虫みたいだなとイヅモはほくそ笑む。



 反応が良いとついやりすぎるな。

 あ、これあれだ。

 夕飯を繕と万あいつらに褒められた時に調子に乗っちゃうのと一緒だ。



「ちょっと待ってイヅモちゃん。いまイヅモちゃんの意識こっちに向いてる!? もしかして気付かぬ内に放置始まってる!?」


「始まってねーよ。自分の手にナニ握ってるか忘れるほどアホじゃねぇ」



 掛け布団を放り投げるように。階下の踊場に向かって入陽を投げ飛ばす。入陽はバク転と同じ要領で着地を取ると、イヅモを見上げて手を振った。



 大きな溜息を吐いてから。イヅモは膝に手を置いて『よっこいせ』と立ち上がり、再び足を踏み出す。入陽も、イヅモが自分の隣に来るのを待ってから、一緒に階段を降り始めた。



「──つーか、お前医局になんか用事あったか?」




 ポケットに手を突っ込みながら歩くイヅモは不躾に。だけども何処か楽しそうに入陽に問う。




「ううん、何もないよ? 入陽ちゃんはいつ何時も健康で強いのが取り柄だからね! 命に愛され過ぎて死ぬことから一番嫌われてるよ!」


「ケガも病気も無ェ奴が来ると、豪さんキレるから付いてこない方がいいぞ。『元気な子はいいからご飯食べて寝なさい!』っていいながら拳骨が飛んで来る」


「おぉう......それはあんまり受けたくはないなぁ」


「だろ? ならとっとと上に戻ってメシ食ってろ」


「うーん、それもいいんだけどさ。ほら、ワタシこれでもイヅモちゃんの許嫁パートナーだからさ。今後の為にも、経過は知っておいた方が良いかなって」



 "パートナー"のところに余計なものが付いている気配がしたが、イヅモは敢えて気付かないフリをした。



「それに! 食堂のご飯よりイヅモちゃんの作ったご飯の方が美味しいんだもん! そればっかり思い出すから、食堂はあんまり行く気になれないんだ」



 入陽はイヅモの制服の裾を掴むと、興奮気味に食堂とイヅモの作った料理の味の比較を説明する。




 自分の世界に入ってしまったため、呼吸が聞こえそうなほど顔を近づいたところで、イヅモはギプス越しの腕で押し返し、近いと一言で身を引かせる。



 別に自分の作ったメシは大して美味くないと、イヅモはハッキリ言い切る。そんなことはないと入陽は食い下がるが、イヅモの表情はずっと変わらないまま。




「じゃあ、なんでイヅモちゃんはあんなに料理上手なの?」




 したり顔の入陽。美味しいか否かの感覚の比較ではなく、技術的な評価の視点からなら、イヅモは自身の技量を認めるだろうと思った。

 しかしイヅモは揺るがなかった。それは頑固だからでも、意地になっているからでもない。



「料理が上手いなんてのは、当たり前でなきゃいけない。なんせ、アイツらの幸福に関わるからな」



 そこに謙遜はなく、食堂でメシを作ってる機械を尊重する気持ちもない。ましてや自嘲なんてのはもっと無い。

 イヅモの料理は、美味しさを追求して作った食べ物じゃない。


 繕と万が食べるから、美味しさにこだわっていないとは言い切れないが、料理を作る上でも目的はそこじゃない。その点じゃ、食堂のスタンスと変わらない。


 人間が文化的に発展させてきた『食事』という行為が、一定の幸福感をもたらすことは広く知られている。

 だから効率と合理に特化させるのではなく、多少の手間があっても『食事』という行為に没頭する時間が重要である。



 もし食うのが自分だけだったら、全部ミキサーにぶっこんでデロデロにしちまうか、栄養ブロックでいい。



 でも、それでは『食事』じゃなくて『補給』だ。ただ生きるための活動にしかならない。



 いつか、地上うえで生活することになったら。その時に補給が食べ物を摂取するための行為と覚えてしまったら。



 私はあの二人から、また一つ幸福の機会を奪ってしまう。手間を惜しんで、それで自分の時間を得たとして。

 失われるのが、あの子達の幸福であるなら、そのリスクはイヅモにとってあまりにも大きすぎる。



 幸福に成りえるもの。上に行くあの子達に、私は出来るだけ多く、を残さなくてはいけない。その質を高めるために、料理も上手くなった。たったそれだけの事。



 それに、一人で生きていくのに自炊が出来るに越したことはない。困るものでもないし、この世に何が起こっても、自分さえ生きていれば、自分を守ることは出来る。そういう力を与えるのが役目だから。




 愚か者の私が、命を削ってでもやらなきゃいけないこと。




「だからやってるだけだ。味の良し悪しは、その一環ってだけだ」



 冷静に、淡々と言い切るイヅモ。その凛然たる生き様に入陽の瞳孔がハート型に変わりかかっている。



(やばい、知ってたけど、イヅモちゃんかっこよすぎるってぇぇ!!! 褒めたい。めっちゃ褒めたい。褒めたいけど、どう褒めたらいいか分かんない!!!)



 知っている褒めの言葉を、脳内を引っ搔き回して探すが、どれもこれも在り来たり。物珍しいのは時折見つかれど、その語ではイヅモが喜ぶ姿が見えない。



 何かないか。何かないか。ここでスタイリッシュに褒めることが出来るのがデキる嫁だって、何かの本に書いてあった気がする!



 平静を装いながら思考を転げ回すが、納得いく語は見つからないまま。そうこうしている内に医局に着いてしまった。



 イヅモは重厚な扉に手をかけている。中に入って診察が始まったら、イヅモの中でこの話は過去になってしまう。そしたら褒められても効果が薄い。



 褒めるのはタイミングが大事って、さっきのとは別の本に書いてあった気がする! 2人だけの閉鎖された空間。まだ言葉が大気に残っている内に、何かいい言葉を──




「わたしは、兄弟がいないから分からないけどさ」



 扉を開けようとするイヅモの手に、入陽は自身の右手を重ねる。弾かれるかと思ったが、イヅモは何もせず、入陽の肌の温度を受け入れた。




「わたしは、イヅモチャンは、凄い良いお姉ちゃんだと思うな」




 これで合ってるのかな。頭の中でも、実際に口に出しても疑ってしまう。もっと真面な誉め言葉があったんじゃないかって。



 だが、これでよかったのだとすぐに感じた。



 何の前触れもなく、入陽に言われてイヅモは一瞬ポカンとなる。だが言葉を段々咀嚼していく内に、腹の底が満ちていくのを感じた。



「ありがとよ。素直に受け取っておくわ」



 爽やかでカッコいい。だけでもどこか光のように眩いその笑顔に、入陽は卒倒し、医局の前で直立姿勢で倒れた。

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