3.1 原石は削らせない
策があるとは言ったが、正直、成功する確率は3割以下だと思う。
けど、それはあくまで客観的な話。
3人は絶対に地上に行ける。私だから見える確信があった。
それは、学堂に一つだけあるエレベーターの存在。これが、きっと逃げ道になる。
七階に降りた入陽と加々宮は、旅館にありそうな、木目がそのままのローテーブルを囲む。
畳みの床に、緑の豊かな日本庭園の風景が周囲に広がり、何処からか水の跳ねる音が聞こえてきた。
「不可解なのは、地上に繋がるエレベーターが一か所しかないはずなのに、大魔女と、彼女が連れてくる子どもの姿を見たことある人がいないことです」
テーブルに投影された学堂のマップを見ながら、入陽は自らが感じた疑問と、加々宮に投げかける。
「学徒さん達は、みんな
「その疑問は分からなくもないですが、エレベーターまで連れて行って、拾った子だけ下ろしたとは考えられませんか?」
加々宮の意見に、入陽は首を縦に振る。
私も、最初は加々宮さんと同じ考えだった。連れてきた子どもが、逃げられないのが確実になったタイミングで消える。
エレベーターに乗せてさえしまえば、乗せられた子どもはもう逃げられない。下から上に行くには、業務の時のデバイスが必要になるからだ。
獲物を逃がさずに自分が現場から離れるには、そのタイミングがベストだと思う。しかし、仮にそうだとするなら、どうにも納得できない部分がある。
マップのエレベーターを指差して、入陽は議論を加速させる。
「その可能性は考えました。だけどあのエレベーターは、降りる時に騒音がでます。訓練された学徒さん達全員が、その音に気付けないとは思えません。それに私とイヅモちゃんが対処したように、
「だから、私の結論としては、大魔女は地下に降りるために、私達のが認知していない別の手段を有している。そして存在の秘匿の為に、指導員と関係の無い私設の部下を数人持っています」
イヅモちゃんの話だと、地下には車で連れて来られて、路地に着けた時には何人かの大人が下りてきたと言っていた。
もし、それが地下の指導員だとするなら。学徒と接することのある彼らとの接触は、間接的であれ学徒に自分の情報が伝わるリスクになる。
そんなの、秘密主義者が許すわけない。露見のリスクを自ら増やすようなこと。
己の存在を知る人が少ない事。それが一番、自分の身を秘匿させることになる。
私設の部隊であれば、自分以外との接触を断ってしまえばいい。閉鎖的なコミュニティが一つあれば、身を守りつつ活動の幅も広がる。地上で単独で動くためには、持っていたいはずだし、実際に証言もあるわけだから、ほぼ確定で間違いない。
そして、その秘匿性をそのまま地下に持ち込むためには、他の干渉を受けない独立した出入口が必要になる。
学徒や侵入者がアクセスできる、あのエレベーターは論外。しかし、事実として大魔女は
「どちらも確定的な証拠がないので、憶測の範囲を出ることはありません。ですが、あの人のやり口から逆算すると、これが一番有り得るパターンだと思うんです」
入陽の答えを、加々宮は顔色を変えずに聞いている。納得、というより、恐らく加々宮も、入陽と同じ結論を持っていたのだろう。
「えぇ。私も同意です。となると問題になるのは……」
学堂の何処に、地上と繋がる"大魔女専用の出入り口"が存在するのか。そして、私設兵を何処に隠しているのか。
エレベーターは位置が割れれば、脱走のリスクを生み出す。だから、学徒と指導員に気付かれない場所。もしくは気付かれても触れられない場所に置いてあるはず。
学徒が普段利用する教室、食堂、寮部屋周りは無いと言い切れる。人目が多いからだ。さらに
しかしそうなると、学堂の何処にも設置できる箇所が存在しないことになる。
入陽は落ちるようにソファに座ると、眼前で五指を合わせて思考を巡らす。
絶対にあるはずなんだ 滅多に人が立ち寄らず、大魔女だけがアクセスできる所が、学堂内の何処かに────
前触れもなく、呼吸が止まる。眼は情報を得ることを止め、代わりに脳を覆う血液がぎゅんぎゅん加速していく。
入陽の眼に色は映らない。それを補うため、視覚は無意識のうちに、常人以上の情報を取り続けている。入陽は今それを無意識に止めた。
思考が見境なく加速していく快感。目に映る全てが透明になって、高等部に素通りしていく感覚。全身に巡る澄んだ血液は、ただ十全に、脳に酸素を運び続けた。
「……
何の脈絡もなくこぼれた独り言。
入陽はそれを、床に落ちる前に掴んだ。
「加々宮さん。母とどこか、眩しい部屋に居たことはありますか?」
質問の意図の察せない加々宮は言われるがまま、顎に手を添えて過去の記憶を漁る。
「眩しいかと言われれば微妙なですが、最初に地下に来た時に通された部屋が、一面だけやけに明るかったのは、覚えています」
「その後、その部屋に一度でも行きましたか?」
加々宮の回答を聞くや否や、入陽は矢継ぎ早に問いを繋げる。
「いえ、一度も。そも大魔女様に呼び出されたこともありませんから。それに不思議な話になりますが、初日以降、あの部屋は見たことがないんです」
長く地下にいる加々宮が、一度しか入ることのできなかった場所。
これなら、仮説が全部繋がる。滞りなく、一本の線になって纏まる。
お母さんの仕事部屋。小さい頃、私とお母さんの遊び場だった部屋。家族みたいなの話をしながら、多くを学んだ場所。
数学も、科学も、医療も、語学も。何もかもを、あの部屋でお母さんから教わった。いっつも暗くて、机の後ろにある大きい窓だけが、唯一の灯りだった。
でも明るすぎた。鉛筆で書いた文字は、ちょっと紙の角度が変わるだけで光に掻き消された。
母はきっと、この鉛筆と一緒だ。簡単に消えられる存在だからこそ、大魔女として生きてきた。
強大な光を背後に携えて。誰も自分を見ることはできない。常に影の中にいる。見えているのは、見させてくれない。けれど見てみたい。そう思うから、私たちは眩い中で細めを開けて、その輪郭を捉えようとする。
「だけど、それはお母さんの思う壺。見えない自分に注目させて、大事なモノを隠してた」
お母さんの背後があんなに明るいのは、部屋を照らす為じゃない。
「これで、脱出方法は決まりましたね」
加々宮の言葉に入陽は大きく頷く。だが、まだ解決していない問題は多くある。しかし、時間はあまりない。その現実が、入陽の鼓動を早まらせる。
爪を嚙み、三人を確実に逃がす方法を、必死に考える。思いつくアイデアを、精査しては消しを繰り返す。
自分が知る限りの情報から、イヅモの行動パターンを予測すると、どうしても彼女は逃げてくれない。
逃げられたとしても、どこかしらに傷を負っていて、上に着いた途端に死んでしまっている。何度やってみても、
乏しい思考力に、自分でも殺意が湧いてくる。あと脳が三つあればと思ったが、三つあったたところで、碌な案も浮かべられないだろう自分が嫌になる。
本来なら、安全のためにもっと時間を掛けたい。だが余り悠長にやっていられない。
今みたいな、カメラをシャットダウンした状態で不穏な行動をし続ければ、何れ他の指導員達にバレるかもしれない。そしたら二人揃って処分だ。逃がすどころの話じゃない。
もしかしたら、機密情報を漏洩させようとしたとか言われて、イヅモ達全員が消される可能性だってある。情報管理を徹底した地下で、情報の網に引っかからないというのは、それだけで十分な不信と疑いを買うことになる。
しかし、早くしなければイヅモに先を越されてしまう。イヅモは今まで、弟達を逃がすためだけに動いて来た。絶対に逃走の為の算段は組んであるはず。
それに行き当たりばったりのタイプじゃない、例え学徒全員と刺し違えてでも。ひとり、自分が地獄に行くことになっても、確実に
どうする……どうすれば3人を無事に送り出せる。
無意識に噛み続けていた左の親指から、パキっという音と共に小さな破片が跳ねる。滲んだ血が舌に流れ込む。相当な痛みのはずなのに、入陽は噛んだまま口から離れない。
次第に流れる血の量が増えていく。噴水のように飛んで、ボタボタと靴に落ちていく。なのに、入陽はそれにも気づいていない。鼓動が肋骨を叩いて痛い。獣みたいに荒れる呼吸が内側から聞こえてくる。瞬きを忘れた目は血走り、高温になっていく身体は汗もかかない。
全身が小刻みに震える。敵が来たらゼロ秒で首を嚙み千切れそうだ。
もっと考えろ。もっと考える。お前の命なんざどうだっていい。
あの3人を助けるんだ。
絶対に生きて地上に連れて行くんだ。
人生なんて放り出せ。
お前は死んでいい。
死んでいいから生かすんだ。
思いつけ。思いつけ。
3人揃って逃がすんだ。
逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ逃がすんだ────
パンッ──!!
何かが破裂する音が、入陽の鼓膜に響く。
銃声ではない。それはすぐにわかった。空間に響いた音色は、その木霊に至るまで、銃声と呼ぶには温かくて、柔らかだった、
遅れて、右の頬に痛みを感じる。
触ってみると、そこにも少し熱がこもっていた。
「落ち着きましたか? 入陽さん」
なんとも優しく、穏やかな声。入陽の頬を叩いた、目の前で佇む加々宮の顔には、生から逃げた人間のそれが、浄化されたように、綺麗さっぱり消え去っていた。
「人のため、好きな人の為に行動することは、人間の出来る、最も尊い行動のひとつです。ですが、それは時に亡霊にように憑りついてきて、視界を曇らせます」
加々宮は腰を屈め、ぶった頬を優しく撫でる。その姿は子を想う母のようであり、惑う妹に親身に寄り添う、兄のようでもあった。
「大丈夫。あなたはとても強い人です。それに此処には私もいます。一緒に悩みましょう。きっとうまくいくって、まずは私たちが信じましょう」
溜まっていた二酸化炭素が、肺から抜けていく。連動するように汗が流れて、籠もりっぱなしだった熱が霧散する。
そうしてようやく指の痛みを認知する。滴る血の量に驚いてから、掌で包んで止血する。
「ダメですよ。それだと雑菌が入って炎症を起こします。大事な時なんですから、身体には気を遣っていきましょう」
加々宮は、ポケットから消毒液とガーゼを取り出すと、手早く患部を消毒をして、真っ白なハンカチで止血する。
じんわりと、薄黒い血が滲んでいく様子は、少しず開いていく鼻を見ているような気分にさせた。
「加々宮さん、わたし、イヅモちゃんたちに会えて、とても幸せなんです」
微笑みながら、語はそよ風に乗ったように軽やかに宙を舞う。
「それと、もうひとつ。地下で良いことがあったと思います。加々宮さんみたいな人が、わたしの指導員でよかったです」
それは純粋な、尊敬と敬愛。噛み砕いて言うなら、心強い味方がいること。イヅモで満ちて、重たくなった心という器を、一緒に運ぶ大人がいることを、入陽は身をもって時間していた。
「改めて、よろしくお願いします。イヅモちゃんを助けたい、私の我儘を手伝ってください」
「えぇ、もちろんです。では作戦会議を続けましょう。私たちで、九重さん達を、太陽の下へ送り出しましょう」
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